斑尾の住人

斑尾の開発当時から居座っている人間の裏話。

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夢見るおやじ達

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おらっちの周りにはいろんなおやじ達がいっぱいです。
  酒なんか飲み始めた時にゃ~えらいでっかい話になるなんか・・・毎度のこと。

  なんと、この間の酒を飲み始めたときの話題は・・・・
  おらっちジャズのビッグバンドつくろ~ぜェ~  でもりあがり   
  
  おまえ楽器何できる・・?  アルトサックスなんか・・かっこいいぜェ~。
      トランペットだって、前でソロなんかいいでェ~。
 スポットあびて、ドラムのソロも・・・・   良い いい おれやりてェ~。

     やろ~ぜ  やろ~ぜ~。    
ところでさ~  楽器なにやってたんだよォ~・・・・・。やったことあるんだろ~な~。
      おらっちなんか 小学校の時カスタネットの叩き方で手の返しがきれいだってほめられたことあるんだぜ~。    

  おれだって トライアングルの音がとってもきれいだって、言われたことあるぜ。
    おれ、大太鼓担当だったし。   ハーモニカだってうまかったぜ。・・・ 

    やっぱし、オープニングは「A列車で行こう」だよな!。
         なんだそりゃ。
  有名なバンドはちゃ~んとテーマ曲ってもってるんだよッ!。

         北島三郎だったら、与作 みてえなもんだな・・・・・・・・・・

      「A列車で行こう」はデューク・エリントン 。カウント・ベイシーは「ワン・オクロック・ジャンプ」。グレン・ミラーは「ムーン・ライト・セレナーデ」。ベニー・グッドマンは「レッツ・ダンス」
    てゆうように  あるのッ!
          ホー・・・かっこいいじゃん。  じゃおれら、なににする?。・・・・・演奏ちゃァ~んと出来てから  ゆうんだよッ。

   な~にゆってんだよ。あほとちゃあう。
  ほんならおめえ 何かやってたん
             おれ、トロンボーン。  おれだってエレクトーンやってたぜ。 じゃ、譜面読めるの? 当然ジャン。
       
  すっげえェ~。
    じゃ バンドできるじゃ~ん。  ところでビッグバンドって楽器何がいるの? 
  
   7月のじゃらんイベントはちょっと今までとは変えて、「じゃらん DE 音楽会」てなことでいろんなバンド集めるイベントにしたらどうだ。
    いいじゃん。 でも最後のトリはおれらだよな~。
      秋の「げーじゅつ祭」もいろんなイベントにもさ。
                       施設の慰問もいいでェ~。
  スケジュール調整や、ギャラのこともあるしマネージャーも必要だな。                 
    
   バ~カ  夢でもみて寝てろ!・・・

  でも、ほんとに夢見たのがいるんです。

                  おれたち、ビッグ・マウス・オーケストラ・・?
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斑尾高原の水芭蕉

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AE(アドベンチャーエデュケーション)プログラムのファシリテーターとして三重県の曽爾高原にある国立少年自然の家まで行ってきました。
  奈良育英高校の新一年生と楽しく遊んできました。
曽爾高原は、名張市から車で約30分ほど山の中に入った所です。名張市の隣には上野市がありますが、上野市は松尾芭蕉が生まれたところです。
  1644年伊賀の国上野赤坂村(三重県上野市赤坂町)で生まれ、幼名は金作、その後「宗房」と名乗り、俳句発表初期の頃(1675年頃)の号は「桃青」でありました。
    1681年春、38歳の時門下の「李下」よりバショウの木を一株譲り受け、庵に植えたそうです。そのバショウの葉の広がりが見事なことから、何時しかバショウ庵、「芭蕉庵」と呼ばれるようになりました。
       「ばせを植ゑてまづ憎む萩の二葉かな」    と詠んでいます。
 1682年、39歳の時初めて公に「芭蕉」の号を使用しています。

 バショウは、中国原産の多年草です。草といっても大型で、大きなものは幹の部分だけで2.5mにもなり、全体では4mにもなるバナナの木に似ていて、小さなバナナに似た実をつけます。
   大きく目印にもなり日陰の提供や雨をしのぐ事から「旅人の木」ともよばれ、そんな事からも「芭蕉」を号としたのかもしれません。

   バショウの学名は、「ムサ・バショウ」で、命名したのは、あのシーボルトなんです。
  シーボルトは、江戸時代の生活道具や生物の標本をいろいろオランダに持ち帰っていますが、朱鷺や100年前、1905年に絶滅したニホンオオカミの剥製も含まれていて、シーボルトが送った朱鷺の剥製に1871年「ニッポニア・ニッポン」の学名がつけられたんです。
   また、ニホンオオカミの剥製は、日本に3体・イギリスに1体・オランダに1体あるだけだそうです。

  成長した葉がバショウの葉に良く似ていて、水辺に咲くことからミズバショウと呼ばれる「水芭蕉」はバショウが名付け親とも言えるんです。

  斑尾高原の沼の原湿原や希望湖のまわり、あちこちの水辺には合わせて10万とも20万株とも言われる水芭蕉が咲きます。
  雪解けと共に競って花を咲かせます。沼の原湿原でも湧き水が雪を溶かしたところから咲き始めました。
   咲き誇る「水芭蕉」の美しさはもちろんですが、シーボルトや松尾芭蕉のことも振り返りながらの一味違った
               「高原の花めぐりトレッキング」も楽しいものです。

  斑尾高原の自然や動植物、地域の歴史文化、その名前や成り立ちをちょっと違った角度から見たりするととっても興味深くなります。
  時間がいくらあっても足りない・・・?
                 そんなおもしろい話と高原の花畑・・・ご案内いたします。
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私とJAZZ

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私がJAZZを始めて聞いたのは、中学に入った頃だった。テレビのある番組のバックミュージックで流れてきたものだった。
   ちょっと変わった拍子でありしかしその軽快なスイング感とメロディーがとっても新鮮で、いままで聞いたことの無い音楽だった。
  それが、「テイク・ファイブ」という曲だと知ったのは三年八ヶ月もたってからです。
  中学生時代、JAZZを聞くなんていう機会がまったく無かったし、興味もなかったのもあったからです。
 中学時代は、日活映画の小林旭・石原裕次郎のシリーズ物で高校時代は加山 雄三の「若大将シリーズ」に夢中。音楽といえばベンチャーズを筆頭にエレキギターもの中心。
  ある時、友人のところのレコードで懐かしい「あの曲」を聴き、曲名が「テイク・ファイブ」と知り、これがJAZZっていうジャンルだと知ったのであります。
 結構多くの人が、テイクファイブという曲名は知らなくても、メロディーは耳にしたことあると思うし、一度聞いたらわりと忘れない曲だと思います。

  JAZZとな何ぞや・・・とか詳しいことは知らないが、どんな場所・状況・雰囲気・気持ち・あらゆるものにすんなりと入ってくる音楽であることは確かのような気がします。

「テイク・ファイブ」は
   ジャズ史上はじめてミリオンセラーを記録した曲で、ディブ・ブルーベック(p)の「タイム・アウト」というアルバム(1959年6月~8月NYで録音)で発表されています。
    曲を書いたのは、ブルーベックのカルテットに参加していた、ポール・デスモンド(as)で、ブルーベックのカルテットは1951年サンフランシスコで結成、しかし当時はクラシックの影響が強く、スイングしないと言われ人気は無かったようです。1950年半ばよりライブ活動をジャズ・クラブから大学のキャンパスに移し、当時ジャズクラブに出入り禁止されていた大学生に、ジャズの魅力を知ってもらおうと「カレッジ・コンサート」と呼ばれたライブは、「ジャズは低俗な音楽」という一般常識をくつがえし、カルテットも絶頂期をむかえています。

  斑尾のジャズ・フェスも一回目に出演の「カーメン・マクレエ」(Vo)がテイク・ファイブを唄い、四回目のステージには、ディブ・ブルーベックカルテットが出演、ポール・デスモンド(as)・ジーン・ライト(b)・ジョー・モレロ(ds)から30年程の変遷を経て、ビル・スミス(cl)・クリス・ブルーベック(tb・b)・ランディー・ジョーンズ(ds)のカルテットで斑尾のステージに出演しています。クリスはディブの息子です。

  はじめて聞いた、きっかけの曲を自分達が企画したジャズ・フェスのステージに招へい出来、見て、聞け、親しくパーティーも出来たのも何か因縁めいたものを感じます。

    斑尾ジャズの物語は、http://www.jazzyterase.com 「あるじの独り言」へアクセス。・・・・・よろしくです。

  

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春遠し沼の原湿原

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あちらこちら下界では、やれ桜だの菜の花だのッて花の話題です。
  沼の原湿原のミズバショウの様子が気になり、午前中、風は少々強いが太陽も出てたので行ってきました。

  アクアパークまで車で行き、そこからは道路が3mちかい雪のため歩きです。
さすがにこの時期の雪はブーツのしたの雪まで動く為歩き難い。
   スノーシューを着けるととっても楽ちんに・・ランランランてな具合にあるけます。
  太陽は出てるが雪面を吹く風は結構冷たく
         オーバーかなって思った装備が役立って・・・いざ出発。

  まず思っていたより雪の多さに・・「すッげええっぺえあるじゃん」と独り言。
      湿原入り口周辺の看板は上の横棒がようやく出たくらい。少なくても2mはまだ雪があります。
      入口の橋は1.5mくらいの雪はあるものの健在、その先の中央トレイルと湿原との道標は、雪面から20cmくらい下に頭が確認できる、やはり2m前後はあるんだ。湿原の中央を流れる川はまだ雪の下で川の位置は確認できません。
   地形を知っていなければちょっと危険かも・・・
     というのは雪の下を流れる川は雪解けによって水量が増え、水温によって雪を溶かし、空洞のような状態になってるからです。

     ですから、知らないでその上に乗った場合雪の層が薄くなってる場所では落ちる可能性があるんです。 
  もう少し気温が高い日が続けば川の部分は自然に溶け落ちて地形がはっきり解るんですが・・・。

   湿原の中の水が沸いてるような所は雪が溶け落ち、ミズバショウの目が出始めています。すっぽりとまるでクレーターのように溶け落ちていて、雪の断面をみると2mくらいの壁になっています。

   湿原の奥、例年ミズバショウが早く咲き始める場所も、水が動いている所だけ溶け落ちています。
     ここには、ミズバショウが咲きはじめていますが花はまだ小さく、咲いた後に霜に遇ったらしく先がすべて茶色く焼けていました。

   天気予報では、今夜も標高の高いところは雪の可能性とか言ってますので沼の原湿原の花の見ごろは何時になるんでしょうか。
      今年は、予測がたちません。
  
   やはり、湿原東トレイルの湿原への入口の橋、昨年電柱4本で架け替えたんですが、やはり今年の雪の量には耐え切れず4本とも折れていました。時機を見て架け替えです。

  草木が伸びると歩けない湿原の奥や、山すそ、ふだん見えない大きなダケカンバの木、2時間ほど歩き回ってきました。
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JAZZ

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今日、親しい友達が少々ホコリはかぶっていたが
     嬉しいものを運んできてくれました。

  自分の家を引越しするんで、手元におくよりおらっちのほうが使ったり良いと思うよって・・・。
   400枚近いJAZZのレコードです。

  彼も、JAZZが好きで、好みのJAZZ,好きなアーチスト、こつこつ集めたんだろうな。

  思ってもいなかった貴重なそして高価なもの・・・・・ありがとう。
機会みつけて、できるだけ ”JAZZY”に来て頂くお客様に聞いてもらおうと思います。

   これを加え、おらっちの所にはすべてJAZZもののレコード・CD・DVD などが約1200枚ほどになりました。
      これからがんばって整理しなくっちゃ。

   おらっちが繰り返し聞きたいもの見たいものいっぱいで・・・いつになることやら。           です。

   こんやは、ブランデーミストでも飲みながらビル・エバンスのピアノでも聴くかな。

     飲み過ぎないように、   しよォ~おッと。
              
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ゴルフ

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おらっちゴルフに少々のめり込んだ時期ありました。
  ゴルフは少しスコアーがよくなってくると、講釈をこきたくなるもので・・・
また、下手な人を見たりすると冗談で皮肉ってやろうと思ったりしたことありません・・・?
  自分もそういう時期が長~くか、少しの間かは・・・ともかく。

  そこで・・・ほんとの様な・・冗談のような・・・ゴルフ中継。
  
   もしもおらっちがキャディー・・だったら。
    その1
      体格良い初心者、自慢のドライバーを一振り。
      30cm以上のターフのみを2ヤードほど飛ばし、それをもってキャディーのおらっちに・・・「これって、どうしたらいいの・・・?」 
      って。  
       おらっちはやさしくアドバイス。
      「家にもって帰って、その上で練習したらいいんじゃないですか?」   だって。

    その2
      飛ばすことだけは自信を持ってる奴が、ワンオンも可能なミドルホールを向かえ、自信たっぷりにキャディーのおらっちに
        「ドライバーで一発、後のパットが問題だよねッ」
      思いを込めて思いっきり振ったドライバーショットだったんですが、飛んだのはターフ。
          ボールは2~3ヤード転がっただけ。
      おらっちはつかさずバッグからパターを手渡し
         「オッシャッタ通りですね、パットが大変ですよ」  って。
    その3
      そのへたくその数々を笑われた奴は、頭にきておら    っちに向かって
         「こんどからかったら、クラブでお前の頭かち割ってやるからなッ」
       おらっちはにこやかに、
         「はいはい、そうゆう事は、その場合どのクラブを使ったらいいか解ってから言って下さいよ」  ッて。   ファ~。

   番外 
     キャディーのバルバイトに行ってる2人の話。
      「おまえ、キャディーのバイト、くびになったんだって・・?」
     「そうなんだ。 仕事は簡単で楽だし良いんだけどさ、どうしても我慢できなくてさァ」
       「何ががまんできね~の」
     「どうしても見てて、笑っちゃうんだよ」    
                             ジャン ジャン。

   次の話 こうご期待を!!。
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高原の茶室「無心庵」

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今日の、斑尾高原は朝から雨降りです。
  あちこちで、さくらの状況が伝えられますが、雨が雪に変わったりする斑尾高原では桜の話題はいつになるんでしょうか。

   この分では、桜・ミズバショウ・リュウキンカ・タムシバ・などみ~んな一緒の花見時になるのかも・・・・。  そして、残雪も。
   この地方の開花予想は、一週間から十日くらいずれるかも。
飯山市の「菜の花祭り」の会場は5月3日のオープンに合わせ、地元の人たちは雪消しに精を出しています。

  この春から、我が家では茶室にてお抹茶を楽しんでいただこうと思ってます。
      そうなんです、我が家にはお茶室があるんです。
 高原のお茶室は、「無心庵」・・・むしんあんと名付けられています。

  1973年、ペンションの一角に創設されました。当時親しくお付き合いをさせて頂いておりました飯山市にある「正受庵」という寺の第十一世住職 酒井盤山和尚が「初心に戻り、無からすべてを考える処」を意味し、「無心庵」という名を下さいました。

  「正受庵」は臨済宗の宗派に属し、禅宗のお寺です。
禅宗の中には臨済宗・曹洞宗・黄燐宗の三つの宗派がありますが、この寺は臨済宗のメッカだと言われていて、臨済宗では貴重な寺院とされています。
  日本の臨済禅を雪国・飯山でただ一人で担っていたのが、道鏡恵端禅師・通称正受老人と呼ばれた和尚であり、この和尚の禅室が正受庵と呼ばれたのであります。

   高原の緑の中で、小鳥のさえずりを聞きながら
      お手前など気にせず、心にも休息の時を「無心庵」で過ごしませんか。

   山野に咲き乱れる花達の季節は・・・・・もうそこ。
  
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小説「破戒」出版から100年

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複雑な世の中になっている現在、様々な面において変わりつつあるがまだまだいろいろな所で偏見や陰湿な差別、いじめはこの社会に潜在しています。

  明治の奥信濃、飯山を舞台とし秋から初冬にかけての一ヶ月を瀬川丑松を主人公に偏見と差別を題材に書かれた小説「破戒」があります。

  「破戒」の作者は島崎藤村であります。
 「破戒」は1906(明治39年)3月25日に出版されました。
                 島崎藤村が34歳の誕生日に自費出版されています。

   ですから、今年は出版からちょうど100年になるんです。

 出版の反響は大きく、初版第一版はすぐに売り切れて、夏目漱石や島村抱月も絶賛し外国の自然主義文学に並ぶ文学と評価されています。
  しかし、その内容の様々な論議から藤村は1929年7月新潮社からの「破戒」を絶版にしたり、10年後の1939年2月には再版の声に応え、藤村は二百数十ケ所の言い換えや削除をして改訂版の「破戒」を再出版をしています。
  1953年に刊行された「現代日本文学全集」に収録の「破戒」は初版本が復元されています。

   毎日の新聞やニュース等で人間社会がつくりだす葛藤や矛盾等の問題が取り上げられ事件化しているのを見るたびに、
   経済や科学が日々進歩していても人間が持つ本来の感情や性格の成長には時間が掛かるしいろいろな交わりが必要なんだと・・・・

     島崎藤村の 小説「破戒」出版100年目に思いにふけりました。

飯山市にある真宗寺(浄土真宗本願寺派)という寺は、小説「破戒」の蓮華寺のモデルなんです。
    
     「蓮華寺では下宿を兼ねた。瀬川丑松が・・・・寺は信州下水内郡飯山町二十何ヶ寺の一つ・・・」
 
    寺を訪ねると、島崎藤村の「破戒」の第一章を刻んだ文学碑があります。
藤村は、この飯山を”小京都”と呼び、明治36年頃、たびたび飯山を訪れたとい言います。このことは「千曲川スケッチ」に見ることが出来ます。

もう直ぐ真宗寺前の通りの桜並木も花が咲き始めます。
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ご苦労様とちょっと売り込み・・・?

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2日のスキー大会が終了と同時に、斑尾高原スノーリゾートを盛り上げてくれた仲間が、それぞれの中で、お疲れ会を兼ねた納会が開かれます。

  RESTAURANT&BAR ”JAZZY” でも斑尾スポーツアカデミーの納会がありました。ご利用頂きありがとうございます。

  2日は、6時30分からのパーティーに間に合わせるべくスキー大会の表彰式を早々に途中退席を役員各位にお許しを願い、
  我が家に駆け戻り、表彰状をお渡しした手に包丁を握り締め、を脇に仕込みを
  斑尾高原に寝泊りしたり、飯山地域から雪の中を通いながら斑尾の一員としてお客様を迎えてくれたスタッフに感謝を込めての
   メニュー・・・・を。
 
  30人の大パーティー 時間は迫るし ・・・おらっち手おそいし・・・・

  それでも時間には、数種類の料理が大皿に40皿     ・・・準備
本日のパーティーメニュー
    焼きそば4kg ・酢豚 ・JAZZYの餃子 ・皮付きフライドポテトとソーセージ ・フライドチキン ・山菜のちらし寿司(一升五合) ・6種のくだもののフルーツポンチ ・厚揚げ、こんにゃく、れんこんの煮物 ・自家製じゃがいものポテトサラダ ・郷土料理のいもなます ・まぐろとたこのカルパッチョ ・かつおのたたき ・かきフライ ・お酒の飲めない人用チョコレートケーキ
飲み物
   ビール ・日本酒 ・芋焼酎(霧島黒麹) ・フルーツ酎ハイ ・ソフトドリンク(コーラ・ウーロン茶・オレンジジュース・グレープフルーツジュース・ミックスフルーツジュース)
  などで、日付が変わるまで大盛あがり
 これからの抱負を語り、シーズン中の反省を語り、感極まり涙流したり、ゲロを我慢し訳のわからん話したり、
                良く飲み、食べていただき・・・感謝、感謝
ちなみにビールは33リットルほど飲みました。
           おらっち最後のほうは、フルーツポンチにボルドーのバンドペイ赤ワイン注いで、フルーツワイン。
        うす甘いフルーツとの相性・・・・・ちょっと邪道かもしれんけど・・・・結構いけるし・・・うまかった。

  一人暮らしの人、おかあちゃんが留守の人、待ってる家族がいる人、ちょっと夜食が必要な人、明日の朝食にする人、其々の残っ       
                たもの詰めてオミヤできれいにかたつけてもらいました。

  斑尾にはこうしたサポーターがいて成り立つ部分がイ~パイあるんだよね。
スノーシーズンのキッズに対する展開は、この斑尾スポーツアカデミーが長年積み重ねてきたものがお客様に評価され、斑尾にファミリーが多く訪れていただけるんですよ。お客様は安心して、信頼してレッスンに預けられる、任せられるこうした努力一つ一つが斑尾高原を支えるんだと思いま~す。

  今日はシーズン中、訪れるお客様の食をお世話した人たちの昼食会がありました。いつもとは逆に食事を用意されサービスを受ける、ちょっとうれしい時間の様な気がします。
   やっぱり、上げ膳、下げ膳ゆっくり出来るのが だよね。
 いつも職場でのランチと違ったメニューで
   
   ご苦労様の気持ちを添えてのランチ
     サーモン・えび・ホタテのカルパッチョ
     キングサーモンのマヨネーズ焼き ふきのとうのから揚げとポテトサラダ添え
     田舎の煮物 (レンコン・厚揚げ・さやえんどう)
     ビーフシチュー
     3種のお漬物
     お替り自由ライス        
     コーヒー       でした。
                                     宣伝ですが、このランチ2000円です。

  まだあとかた付けの仕事がちょっと残ってるとの事でアルコールはおあずけ・・・・

  みんな、みんなご苦労様でした。
また、明日から斑尾高原のイメージ造りにご協力お願いしま~す。

     レストラン”JAZZY”のメニュ~紹介みたいで
                           恐縮です。

  のんびり・・くっちゃべりに・・・・おでかけください       ませ。


  


    
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2005~2006スノーシーズン終了

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4月2日をもってスノーシーズンが終了してしまいました。
 今年のシーズンの印象は、ただただ雪が多く、よく雪かきだけはしたなァ~・・・です。

  毎年シーズン最後に行なわれているスキー大会も天候面に心配はありましたが無事終了。
  1日の「デュアルレース イン 斑尾」には95人
  2日の「斑尾高原リーゼンスラローム大会」は148人の参加申し込み、選手の皆さん本当にありがとうございました。

  3月29・30には30cmほどの積雪があり気温もすこし低めで、デュアルレースは4月の大会としては、とっても良い条件の中で出来たんですが、
  その夜からは、雨と風・・・
       夜中にはそれもひどくなり、心配のあまりときどき目がさめる・・・
  朝、案の定雨はさほどでもないが風が強く、リフトの運行が心配。
南風が強く、スーパークワッドは運行不可。第二クワッド・第三B線にてトラバースコースを逆上しスタート地点へのルート。
   選手も大会役員も移動に大変なことになっちゃいました。

  レースのスタート時には、時折強風はあるものの雨も止み、時折日差しも射すようになり、怪我等のトラブルもなく2日間の大会が無事終了。
しかし、競技終了と同時に雨が激しくなり、大会役員全員撤収作業でびしょ濡れ、
       あと1時間天候ががまんしてくれれば・・・・・

  出場選手のみなさん・大会役員の皆さんご苦労様、そしてありがとうございました。

  この大会は歴史も古く、第一回は昭和52年(1977)4月2日に行なわれ、昭和58年(1983)までは、初日に「斑尾高原リーゼンスラローム大会」
2日目は、お客様への感謝を込めた「ファミリーカーニバル」というイベントを開催しシーズンを終了していたんです。
  「ファミリー・カーニバル」の第一回は、斑尾高原が開設されたシーズンの終了時、昭和48年(1973)3月24日にさかのぼり、10年間行なわれ、宝さがし・ペンション対抗の仮装大会・など様々なゲームなどが企画されていました。
また、昭和57年(1982)は雪不足のために、スキー大会が中止になったこともありました。

 斑尾高原はスノーリゾートとして、様々な情報発信をしていくことが大切であり
   いろいろな大会などイベントを開催したい。   なァ~と思います。
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