斑尾の住人

斑尾の開発当時から居座っている人間の裏話。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

妙高山・その一

 | Weblog
様々なところに表示されていることについて不思議なこと・・・・気が着きました。
  天気の良い日には必ず見ている妙高山ですが、その紹介文は、この様になっています。

「妙高山は、古くから信仰の対象として山の神と仏教の思想とが習合した信仰の厚い山と言われています。その歴史は、今から約1300年前の和銅元年(708年)に裸形上人が妙高山頂を極め、開山したのが始まりとされています。」

  ここで疑問なのは、708年に誰かが妙高山頂を極め開山したのは良いのですが、
    裸形上人というのが問題になるのです。
 裸形上人という人は、インドの人で仁徳天皇の時代に熊野の海岸に漂着した人とされているんです。
    仁徳天皇は第16代天皇で、その年代といえば313年から399年なんです。
   もし、その年代からちょっと外れたとしても、708年に妙高山に登った時は年齢が約300歳になってしまうんです。

 熊野に神が祭られたのは崇神天皇の頃(紀元前97年~紀元前30年)と言われてるし、熊野の神社や寺には、裸形上人が開祖として関係してるし・・・どうなってるんでしょうね。

 妙高山に関しては、インドから漂着した裸形上人とは別の裸形上人を名乗った人であるか、この時代にこの地方に関係のある「泰澄法師」(682年生まれ) 「行基」(668年生まれ) 「役行者」(634年生まれ)の誰かか・・・?。

 708年とすれば、泰澄法師は26歳・行基は40歳・役行者は74歳である。

違いのあるのは、それぞれの伝承で当然とは思いますが
    こんな話いっぱいあるんで
 おらっち、おしゃべりガイドとしては話題等には事欠かないのであります。
      
コメント (10)