色は匂へど 散りぬるを

浅き夢見じ 酔ひもせず

■ 蝦夷地山道サミット

2011-03-27 | 歴史&山道



3月12日(土) 札幌中央図書館で
『蝦夷地山道サミット』が開催された。

折りしも、 東日本大震災の発生した次の日

私は仕事に追われ、図書館に着いたのは
後半の「増毛山道」の説明中の頃。





明治以前の蝦夷地の山道と呼ばれる箇所は
文献上では約33ヶ所あるそうです。





 1857年(安政4年)
浜益と増毛の場所請負人だった
伊達林右衛門が江戸幕府函館奉行の命を受けて
私費を投じて増毛山道を切り開いた、

と、ありました。





1857年(安政4)
厚田の場所請負人・濱屋與三右衛門によって開かれた。

と、あります。





寛政11年
松前藩は幕府の命により、
礼文華山道に着手したが
翌年、小林卯十郎が改修した。

と、ありました。






寛政11年(1799年)
 蝦夷地取締御用を命ぜられた大河内善兵衛政寿は
中村小市郎、最上徳内を
開削工事に担当させました。

と、ありました。





江戸時代末、1799年に
蝦夷地防衛のために造られた道
最上徳内が手がけ、
伊能忠敬が測量し、
松浦武四郎が旅した道。

と、ありました。


12日の山道サミットには、東日本大震災のため
様似山道、猿留山道が講演できなかったようです。






12日の講演会は150人ほどの来場者があり、
資料が頂けませんでした。


総合司会の伊達会長に挨拶をし帰宅。
ロマンのあるお話でした。
 


北海道の道路はこのようにして開発していった歴史があったのでした。