経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

講習会での席の法則

2006年04月06日 | Weblog
講習会では、普通満場にならない限り教壇側からみて前が空き、次は右が空く。前が空くのは、主催者がたいてい「前の方からお詰め下さい」というぐらいだから、みなさんご遠慮深く後ろに座られるからだ。だから先に来た人が後ろ、後から来た人が前という、物理的には不思議な並びとなる。

ところがこのおかしな慣習を破る一握りの人が、どこの会場でも2-3人いる。彼らは最初から再前列を指定席にしていて、そのために早めに会場にくる。彼らは以前、某講師から「積極的人間は、云々」といった講演で、刺激を受け、実践している人たちである。その某講師、確か年も同じで、同じ年に脱サラ。但し彼の方は一流企業、そして東京在住。脱サラと同時に某テープ会社の講師として活躍。カリスマ講師になった。こちとらはご覧の通りだ。以前は御一緒したり、すれ違うこともあったが。今は、どうされているのだろう。

 ところで左寄り右側が開くのはなぜか。これはあまりわからない。講師側にしたら左側が、心理学によると視野にいりやすいから、この傾向は話しやすくなり、ありがたい。逆に右側というのは目にいりにくい。(居眠りしたい方は最右側の前2列を狙うべきですぞ)

4人の孤児が国を創れた、その理由。

2006年04月04日 | Weblog


人は不完全だからこそ、群れ、相互に補完し合い、生きるという戦略を共有し、果たそうと機能するわけである。 

 こうして、何も知らないこととか、何もないとか、小さいということを撒き餌に、人にかわいがられ、教えられ、有能な同志が集まってきて、自分たちの天下国家を作ることを戦略として共有し、その組織目的をついに成就した、といった事例は古今東西、いっぱいある。

 1つだけ知られたケースを上げるとしたら、大公「望」などその典型的な人であろう。なにせ1人の孤児が、同じ孤児3名で20数年後には国を作ったわけだからら、こりゃすごい。

 だが望がすごいのは、それまで民族毎の国家、すなわち単一民族で国家形成していたのを、他民族、異民族分け隔てない国家を作ったことだろう。これは1000年続いたローマ帝国でも、とりわけカエサル(シーザー)にその考えがあったが、それ以外事例を聞かない。
 
 あの魚釣りで、著名な大公 望だが、こうした組織の本質でもって、あとから考えると、実は天下を釣ったことになる。釣りは一人の作業で出来ますが、天下は一人じゃ釣れない。

 様々な人との協力関係を構築して行かねばなりません。では協力関係はどうしたら気づけるのか。異質の者も受容する、というおおらかさを前提にし、

 1に、戦略の共有化
 2に、他の人の利益を図る
3に、お互い補足しあう
この3つが不可欠と考える。

 身内、親戚だけを登用する。彼はダメ。これはダメ。おれが社長だ、と他者から孤立するような戦術に始終する。必要な情報へ部下にすら流さない。
 情報の開示がなければ、組織的、かつ戦略的に動けないのに。たとえばパート比率70%のところで、パートに情報を開示していないとしたら、組織は30%鹿機能していないのである。
 また、似たもの同士では、組織は意味がない。組織はそれぞれの長短をわきまえての機能分担だからである。

 規則で縛り、命令を徹底させることを組織と思っているようでは、国づくりどころか、中小企業の親父すら務まらないであろう

それだけのこと

2006年04月01日 | Weblog
 人は、皆自分で自分の身体すら途挙げることが出来ない。そのできないことを、一生続けても空しい。

 それは努力に問題があるのではない。人は、人様に持ち上げてもらうことしか出来ないのだ、ということを知っているかどうかの問題なのです。

 人の生き方の戦略は、人様にどうしたら持ち上げてもらえるかに尽きる。事業も然り。

 恐らく、たぶん、きっと、あなたの事業を持ちあげてやろう、という野郎も女性もいまい。だが、そのあなたをを持ち上げたろう、という人のおかげで結果としてその人がやっている事業が持ち上がっていくんだな、と私は思います。

 それがわかると事業、企業、会社は何を成すべきか、めさすものはなにか、ということがわかる。

 端的に言えば、その人を支え、持ち上げてくださる人々への恩返し、これがその人の事業、企業、会社の仕事だ、と私は思います。そこから外れない限り、永遠です獅、外れたら即リタイヤ。それだけのこと。