かねがねからの馴染みのお店、その常連客が、
しかもなじみの店員から、不特定多数のお客として
扱われたとしたらどうだろう。
いかに言葉や態度が丁重であったとしても、
いな、だからこそいっそう自分が無視された気分を感じ、
結構気になるのではなかろうか。
こちらは知っている。店員は覚えていない。
店員は気がつくまいが、お客はしらけ、傷つくものである。
もっとも初めてのお店はもちろんなじみの店でも、
固有名詞でやたらに話しかけられたら、
逆に気持ち悪く思われるだろう。
そこには、いわゆる「その前提となるもの」が、
必要なのではなかろうか。
その前提とは、「かねがね」、「日常」、「普段」といった
ぼんやりしたもの。 そうしたものを背景に、
接客の妙が生きてくるのでは、と考える。
お客として私は、ときおりホテルのフロントの人や
店員の名前を会話に入れて、
「○○さん、これ、これお願いをできますか」とか、
「△○さん、助かりました」といったように。
一瞬「えっ、なんでや?」と怪訝な顔つき。
その後一応に嬉しそうな顔をされる。
怪訝な顔つきは、「かねがね」、「日常」、「普段」に、
そうしたことがないからである。
とにかく名前まで絶対に、とは言わないが、
接客は不特定多数ではなく、言葉に出すかどうかは別にして
お客一人一人の固有名詞を頭に入れて対応すること。
最低でも主語を特定した接遇に近づけることである。
この世界に、「お客様」という個人は存在しないのである。
存在しないものへの対応ができるわけはなかろうに、
と考えていただきたいのだ。
最近は固有名詞をとってつけたように自動的に挿入した
メルマガやメールが主流になったが、
あれで感激した人がいるだろうか。
むしろ、怪訝さ、不審なおもいが、先に来るはずだ。
としたら、ソフトをかけてやったことが、
マイナスになっている、といえる。
しかもなじみの店員から、不特定多数のお客として
扱われたとしたらどうだろう。
いかに言葉や態度が丁重であったとしても、
いな、だからこそいっそう自分が無視された気分を感じ、
結構気になるのではなかろうか。
こちらは知っている。店員は覚えていない。
店員は気がつくまいが、お客はしらけ、傷つくものである。
もっとも初めてのお店はもちろんなじみの店でも、
固有名詞でやたらに話しかけられたら、
逆に気持ち悪く思われるだろう。
そこには、いわゆる「その前提となるもの」が、
必要なのではなかろうか。
その前提とは、「かねがね」、「日常」、「普段」といった
ぼんやりしたもの。 そうしたものを背景に、
接客の妙が生きてくるのでは、と考える。
お客として私は、ときおりホテルのフロントの人や
店員の名前を会話に入れて、
「○○さん、これ、これお願いをできますか」とか、
「△○さん、助かりました」といったように。
一瞬「えっ、なんでや?」と怪訝な顔つき。
その後一応に嬉しそうな顔をされる。
怪訝な顔つきは、「かねがね」、「日常」、「普段」に、
そうしたことがないからである。
とにかく名前まで絶対に、とは言わないが、
接客は不特定多数ではなく、言葉に出すかどうかは別にして
お客一人一人の固有名詞を頭に入れて対応すること。
最低でも主語を特定した接遇に近づけることである。
この世界に、「お客様」という個人は存在しないのである。
存在しないものへの対応ができるわけはなかろうに、
と考えていただきたいのだ。
最近は固有名詞をとってつけたように自動的に挿入した
メルマガやメールが主流になったが、
あれで感激した人がいるだろうか。
むしろ、怪訝さ、不審なおもいが、先に来るはずだ。
としたら、ソフトをかけてやったことが、
マイナスになっている、といえる。
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