言い訳や予防線を張ることで、
問題を問題として捕らえようとせず、
あるいは問題を他に押しやることで、
せっかくの対策、解決の途、機会を
逸している、そうした機会損失をしているのでは、
というの、私の気づきである。
以下、別の話を織り込んでおきたい。1
●「○○さんのアドレスを教えてください」
●「この前話されていた◎△って何県にあるんですか」
●「明日、12時頃に電話させてください」
この3つの例に、共通するものは何か。
相手の方の手を煩わせることである。
目くじらを立てるわけではない。
立てるほどのことでもない。
だが、相手の手を煩わすことには間違いがない、
ということは、心のどこかに意識しておくことだ、と思う。
おもてなしとか心遣いとか、私たちは、かねがね口にしている。
しかしそれらは、多分に営業上のセリフの上であって、
実際面では、「そんなことを考えていたら、営業はできないし、
携帯などかけられはしない」、ということであろう。
事実、私が、電話は受信はできても、発信はなかなかできない、
といったことになったのは、このことを考え始めてからである。
それで、何気なくであるが(これがくせもの)、
何か困ったことがあったら、手近の第三者だけではなく、
ブログの向こうの人たちにまで、尋ねごとをし、
多くの方々から答えのメールをいただいたりしている。
このことはその人たちの手を煩わした、ということ。
とすると、結局、
「物事はほどほど」とか、
「まあ、時と場合によるよな」
ということで、問題は何ら解決しないまま、放置、
ないしは先送りされてしまう。
もちろん人にものを尋ねることで,
一種の阿(おもんね)り、といったこともあろうし、
また答えてくれた人の中には、「この際、良い機会だから・・・」
ということで、なんらかの思惑をもって、新設に回答する人も
いないとは言えない。
しかし、自分のことで他の人に、
「余計な手を煩わせてしまう」
という事実に変わりがないことは、心しておくべきだと思う。
そして、自分でグーグルでもすれば簡単にわかることでも
気軽さからか、第三者にものを尋ねる、
それを「便利な世の中になったものだ」とは公言しないまでも
そうしたことが「当たり前のこと」と、
意識に留めない自分の「うかつさ」が、繰り替えされることで、
第三者の、こちらを見る評価が、固定化される可能性は高い。
あれこれ考えること。
これを脳力開発では「多角的に考える」と言っているが、
自分の心、ないしは脳の中で、あれこれ考えて
想定内の範囲を広くとる習慣作づくりは
「しまった! でも想定外のことだから仕方がないか」
と臍をかむリスクを少なくする有効手段と考える。
問題を問題として捕らえようとせず、
あるいは問題を他に押しやることで、
せっかくの対策、解決の途、機会を
逸している、そうした機会損失をしているのでは、
というの、私の気づきである。
以下、別の話を織り込んでおきたい。1
●「○○さんのアドレスを教えてください」
●「この前話されていた◎△って何県にあるんですか」
●「明日、12時頃に電話させてください」
この3つの例に、共通するものは何か。
相手の方の手を煩わせることである。
目くじらを立てるわけではない。
立てるほどのことでもない。
だが、相手の手を煩わすことには間違いがない、
ということは、心のどこかに意識しておくことだ、と思う。
おもてなしとか心遣いとか、私たちは、かねがね口にしている。
しかしそれらは、多分に営業上のセリフの上であって、
実際面では、「そんなことを考えていたら、営業はできないし、
携帯などかけられはしない」、ということであろう。
事実、私が、電話は受信はできても、発信はなかなかできない、
といったことになったのは、このことを考え始めてからである。
それで、何気なくであるが(これがくせもの)、
何か困ったことがあったら、手近の第三者だけではなく、
ブログの向こうの人たちにまで、尋ねごとをし、
多くの方々から答えのメールをいただいたりしている。
このことはその人たちの手を煩わした、ということ。
とすると、結局、
「物事はほどほど」とか、
「まあ、時と場合によるよな」
ということで、問題は何ら解決しないまま、放置、
ないしは先送りされてしまう。
もちろん人にものを尋ねることで,
一種の阿(おもんね)り、といったこともあろうし、
また答えてくれた人の中には、「この際、良い機会だから・・・」
ということで、なんらかの思惑をもって、新設に回答する人も
いないとは言えない。
しかし、自分のことで他の人に、
「余計な手を煩わせてしまう」
という事実に変わりがないことは、心しておくべきだと思う。
そして、自分でグーグルでもすれば簡単にわかることでも
気軽さからか、第三者にものを尋ねる、
それを「便利な世の中になったものだ」とは公言しないまでも
そうしたことが「当たり前のこと」と、
意識に留めない自分の「うかつさ」が、繰り替えされることで、
第三者の、こちらを見る評価が、固定化される可能性は高い。
あれこれ考えること。
これを脳力開発では「多角的に考える」と言っているが、
自分の心、ないしは脳の中で、あれこれ考えて
想定内の範囲を広くとる習慣作づくりは
「しまった! でも想定外のことだから仕方がないか」
と臍をかむリスクを少なくする有効手段と考える。
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