経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

言葉と感動

2012年06月06日 | Weblog
「言葉との出会い」といったことはある。

人が真から発する言葉は、生きているといってもいい。



その言葉に触れることによって何らかの感動を受けた時に、

そのことを強く感じた、といった経験は誰しもが、

もっているのではないか。



だがその「言葉」が、その言葉を発した人の

自らの行動から創出されたものではないと、人は感動しない。

人が、感じ、動くには、体験に裏付けられた言葉にまさるものはない。



感動の下請けや孫請けでは、それはあせて聞こえるだけではない。

人を動かせないのだ。

人が動かない言葉であふれかえっている組織がどうして動くというのか。

だが巷には、どこかで見聞した言葉をはき出すテープレコーダー人間の

吐く言葉であふれかえっている、といっても過言ではない。

組織ないも、その例外ではない。



「動かない」と、上に書いた。

人は、自分を持ち上げられない。だから他人の力が不可欠である。

他の人を動かすには、自分の吐く言葉に他人が感じ、

自ら動いてもらうしかない。

だからこそ、このことこそ「感動」というのである。



繰り返すが、 人は、個々人の頭で感じ、個々、人の意志と身体で動く。

で、そう他人の思うとおりにならない。



もうひとつ。

人は、自分で自分の体を持ち上げることはできない。

だから、私が自分の体を持ち上げたかったら、

他の人がこちらの目的にそって、自らの意志で動いて、

この私を持ち上げる動きをしてもらう以外にない。

その媒体が、「言葉」、すなわち人(自分)を感じさせ動かしめるものが、

奥深く潜む言葉こそ、本来の言葉と考えている。



多くの人を動かしてなんぼ、である組織、

そのリーダーは、なおさらのこと。

そのことを肝に銘じておくべきである。

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