経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

いないだろうな

2006年12月18日 | Weblog
市町村合併で誰が困るかと言ったら、他所から訪れる人だろう。目的地に行くのに、市町村名が変わり、大混乱しているからである。住民には読めても、他の地の人には読めない看板にふりがなはない。地元の人に尋ねたら、代わる前の旧名で教えてくれることがしばしば。案内看板も、新旧入り乱れである。議員定数が変わってどうのこうのという論議は時折新聞などに出ているが、こうした問題が取り上げられたことはない。
地元の人など、わかる人に看板はいらない。

 ここで、国と国のトップ同士の会談で、通訳の場合を考えてみよう。
 この場に同席する通訳の役割は、如何。
 通訳には通訳の役割に関しての定義やルールがあろうが、無知な私がかってに想像するに、両国の両者の考えを忠実に意訳して、お互いの意思疎通をはかり、もって両者の所期目的の具現に間接的に貢献すること。
 だから、どちらにとっての代弁者であってはいけないし、どちらかに偏った、都合のいい通訳をすることであってはならない。といったことではなかろうか。建前は建前としてお互いの国から、それぞれ通訳を付けている。理由は、もちろん、自国民でなければ表現できない微妙さをお互いカバーする、ということもあろうが、相互に少しでも自分側に不利な意訳をされないように牽制し合うという側面があることは間違いがない。これは、お互いの国益が絡むのだから、公正さの側面からも当然であろう。
 では外国からきたタレントにインタビューするときとき、どちらに通訳をつけるか。日本語を話せないタレントに通訳がつく。

 経済における取引、契約でも然り。公平、対等という原則でみて弱い立場の方にサポートを考えるということが自明の理である。政治にも、弱者対策という概念はある。

 こんなことを考えてみたら、お客、消費者に必要なもの、考え方、歓迎される組織といったものを、たとえば、多勢に無勢、専門的に知っている立場と素人の立場、強者と弱者、といった視点から、どちらに代理なりサポートを置いた方がいいか。考え、ひとつうちの組織でも、と言って実行する人がいてもいいと思うのだが。

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