経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

論理が変わる

2014年10月16日 | Weblog
組織の外の人間が、組織内の戦略を
垣間見ることができるのが、現場である。

現場には、経営者の理念、思いが、戦略として方向付けられ
組織のそれぞれに共有され、その戦略を現場のそれぞれが、
それぞれかつ次々と戦術として形化している。

心の思いは見えないが、形化されていれば見える。
言葉は見えないが、形化されていれば見える。

しかし形は、何とでもなる。
言葉なら、何とでも言える。
形からそれを見極めることは難しい。

事実、その形と言葉で、これまでなんども、なんども
消費者は裏切られてきた。
否、それは今後もなくなることはなかろう。

ならば見極めが付かないじゃないか、
と考えるのは早計というもの。

裏切られる度に、消費者の選択眼は磨かれる。
自分が裏切られなくとも、他山の石を
拾い、学習する。

そして掴んだことは、大きくは,
1に、きれい事、美辞麗句は疑ってみる。
2に、情報開示が少ないところは疑ってみる。
3に、時間軸と俯瞰的に観察する。
4に、一事が万事、そして他山の意志的見方をする
5に、消費者同士のネットワークを活かし見る。

といったことになろう。

こうなると、
これまで企業の論理を押し通す企業が有利であった
それが、消費者の観点から、消費者の物差しに対応する企業が、
消費者から選択される、といったことで有利になると、
まさに攻守所を変えるところとなった。

ところで、上の「企業の論理」とは、
1に、画一化、標準化といったこと。
2に、情報不開示、企業側からの一方的情報提供
3に、売れれば良し。あと知らず
4に、自分だけ良し。他は知らず
5に、建材苦情への個別対応にとどまり、本質的原因解明は避ける。

といったことが挙げられる。

しかし世界中探しても、画一人間、標準化された人間は存在していない。
それでも売れていたのは、人間様が、画一化、標準化といった
企業の論理に合わせていたのである。

こうしたことで、今や、
1に、きれい事、美辞麗句は敬遠される。
2に、情報開示が少ないところは敬遠される。
3に、一度ことを起こせば、次から長く敬遠される。
4に、一事が起きれば他も、同業他社まで、敬遠される
5に、消費者同士の情報交換による評価で,ノウとなれば敬遠される、

といったことになったのである。

そうしたことによる売り上げ不振を、「景気低迷で」なんてことで、
すり替えているようではその企業の起死回生は難しい。