経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

天を物差しにした西郷隆盛

2006年06月06日 | Weblog
 かって、天を物差しにした途方もなく大きいリーダーががいた。西郷隆盛である。彼のあの人徳と器量の大きさの根底は、その無私にあるといわれている。彼は己をむなしくし、思考と行動の基準を天という無二の存在に求めていたことによるのではないだろうか。

 これは、天は一つしか存在しないこととから万民共通の物差しとなりえることと、地球の上から万民を包み込み得る存在であることから、たとえば「恥をなせば人は気付かずとも天は見ている」といった意味での自制の指針に成り得るからである。

 西郷ファンのMさんは、西郷の偉大さを「母の優しさである」と言っていた。母のいない人は存在しないし、その母は人にとっては「唯一」ということ、その愛が己の存在を忘れて注ぎ込まれる子への愛(慈愛)であることを思うと、興味深い指摘である。

 慈愛は、本質的には度量あるいは器量と置き換えられてよい。異質性を認める幅の大きさが慈愛もしくは度量ということになろう。 度量の大きい人の下では自然に群れは大きくなる。

 逆に、度量の小さい人は同質性にこだわる。ところが同質のものをいくら集めようとしても本来同じ人間は存在しないから、度量性が厳格であればあるほど人は集って来ないし、集まったとしても離れていくことになる。本来同質性を求めること自体が出来ないことなのである。