経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

分業、それはメールと殺しのプロの共通点

2005年09月28日 | Weblog
 W社長から、私の送った原稿を紛失.再送願いたし、といったメールを受信。
そんなことだろうと、「秘書のMさんへも送っている」、と返信したらそのMさんが担当を代わったので、前任者ではなく後任のSさんへもう一度送って欲しい、とのこと。

 交代したと言っても、総勢38人の社員が、同じ部屋にいる小さな会社なのだ。しかも前任者と後任は、2メートルと離れていない席に位置している。
 そうでなくてもまず社内で調べてから、再送信を依頼するのが常識であろう。ところがWさんかばうつもりはないが、悪気が無く、そうしたことにはまったく想いが馳せない人なのだ。いうなら自分を自動説者と信じ込んでいる、実践派天動説者なのである。だからこうしたことは年がら年中なのである。

 たとえば彼自身、遅刻、中抜け、早退をなんともおもわず、当たり前にやる。どたきゃんなど、悪いことなどとは思っていない。なぜなら自分は忙しい。一生懸命忙しく働いている、だから自分の行為は悪くない。自分は人様に役立つている仕事で忙しいのだから、治外法権で当然、と思っているのだ。

 その忙しい方が、メールがきた。宣わく。「最近多忙で、自宅のパソコン見る間がないので、自分にメール送る時は、会社の方のメールにして欲しい」、である。
 
 これでわかった。彼の、非を認めず他に振るくせはから判断するに、原稿紛失ではなく、私の送ったメールを開いておらず、当然添付も見ていない。会社、自宅双方へ送っているのだが、実はどちらも見ていなかったのだ。そのためにいろいろ言い訳を加え、人事委異動までして繕ったわけだ。なにせ、彼は自分が嘘などつけない、言い訳などしたことはない、心からそれをと信じている人なのだから。

 そこで、ここで彼のことは横に置いたうえで、これがメールの怖さではないか、そのことを考えてみたい。

 送った。見ていない。送った人には、見ていないのかみたということは、返事を書かない限りわからない。その返事を見ないとわからない。
 こうしたことは手紙でもFAXでもえることなのだが、私にはメールの方が、こうしたトラブルが多発しそうに思える。

 なぜなら、手紙やFAXは他の人の目にとまるが、メールはパソコンを盗み見でもしない限り、同僚の目に触れることはない。

 そこで、何はともあれこの際と、過去のメールを調べてみることにした。
 3月以降、相手に返事を依頼したにも関わらず、なしのつぶてだけひろって7件。それも4人(3社)に限定されることがわかった
 つまりそういう人、そういう組織体質にあるところへ限定されるというのが、仮説に対する中間結論である。
 
 ほぼ半日かかったが収穫はあった。これで安心。相手の会社、相手をみてフォローすれば、こうしたトラブルは避けられるからである。他人は変えられないが、自分の対応を変えればすむ。こんなことに腹を立てて損をするのは自分。他社、他人のへマで私が腹を立てては、損の上塗りだから、そんな馬鹿なことはしない。枯れても経営コンサルタントなのだから。

 ところで昨夜見た映画「マイボデーガード」で、おもしろいセリフがあった。おおむねこういうことだ。「オレは、殺しのプロフェショナルだから、子供がコロされたかどうかはなどは知らない」、「オレは、運搬のプロフェショナルだから、荷物の中身が何なのかは知らない」。
 アメリカは、専門職の世界。分業の世界。個人主義の世界なのだ。
 
 メールは個人の引出や、手帳同様、閉鎖的であるから専門、縦割り、分業、個人主義を生み、今後その弊害から、思わぬトラブルが多発することになるのでは、とと思った。 おもしろそうなので少し、研究してみたい。