--Katabatic Wind-- ずっと南の、白い大地をわたる風

応援していた第47次南極地域観測隊は、すべての活動を終了しました。
本当にお疲れさまでした。

南極観測50年目に思うこと。

2007-01-29 | ちょっと思ったこと
今日2007年1月29日は、第一次南極観測隊がオングル等に上陸し、昭和基地と命名(1957年1月29日)してから50年目にあたります。
50年間の観測隊に関わってきた方々の苦労や思いを分かることはできませんが、
毎日届く南極だよりをもとに、調べたり考えたりする中で、
昭和基地NOW!!やブログなど、隊員さんの発信する記事を読む中で、
南極観測50年の記念講演や企画展、中高生フォーラム、昨夏に行われたふしぎ大陸南極展2006などいくつかに参加する中で、
むさぼるように読んだ南極および南極観測隊関連の書籍の中で、
私なりに日本の南極観測隊を理解しようとしてきました。

私のようなものが観測50年に何かを語るなんてどうかと思うのですが、47次隊が越冬している50年目のこの日に、何も書かずにもいられないので、この約2年間に私が感じてきた、考えてきたことを、綴ってみることにしました。

渡井さんが南極に行きたい、南極観測隊に参加したいと希望していたのは、もう18年も前から知っていましたが、実際のところ私は南極観測というものについて何の知識もなく、南極についても氷に覆われたところ、ペンギンがいるところというくらいしか知りませんでした(例に漏れず昭和基地は南極大陸にあると思っていました)。
観測の中身について初めて知ったのは、4年ほど前に渡井さんから聞いた氷床コアの掘削でした。
100万年前の空気のタイムカプセルを掘り出すというプロジェクトに、ロマンを感じたのは言うまでもありません。
大和山脈で隕石発見、共役オーロラ観測、昨夏と今夏行われている日独共同観測(地物観測、エアロゾル観測)、海底コア掘削など、どの研究も興味深く、知れば知るほど面白いのです。
一方で、渡井さんが1年間行ってきた温室効果気体のモニタリング研究観測は、実に地味です。
毎日毎日こつこつと行うものばかりだし、しかも1年観測しても数値が大きく変わるということもなく、さらにいえば、採取したものも目に見えないのです(気体は透明なので)。
私が素人だからそう思うのかもしれませんが、ほとんどが計器のメンテナンス調整と、ひたすら目に見えないものの採取なので、モチベーションが保てるのかしら?と思ってしまうことがあるのです(渡井さんは一向にそのような様子はなく、とてもやりがいを感じて毎日楽しそうなのですが)。
地道な積み重ねを続け、長いスパンの中で見ると見えてくるものがある、モニタリングというのはそういう観測なのだそうです。
この1年渡井さんの仕事をいろいろ教えてもらいながら、地道に観測を重ねてくることの大切さが次第に分かるようになってきましたが、なかなか実感できない部分があったのも事実でした。
昨年末に南極地域観測50周年記念講演会「南極観測の50年」で、松原廣司氏(46次隊長)の講演を聞きました。
オゾンホールが発見されるきっかけになったのは、1982年に研究観測系の隊員として南極観測隊に参加した中鉢氏のオゾン観測によるものでしたが、その単年の観測で見つけたられたのではなく、日本の南極観測隊が1966年から継続的にオゾン観測を続けてきたからこそ、発見があったと知りました。
オゾン観測は、日本よりも早く1962年にアメリカの基地で始まりましたが、数年で中断されており、日本の観測隊だけが継続して観測を続けていたのだそうです。
“南極のオゾンホールの生成機構を世界で初めて明らかにし、オゾン層の保護に大きく貢献した業績”で2004年のブループラネット賞を受賞したスーザン・ソロモン博士が受賞者講演の中で、昭和基地の科学者たちが継続的にオゾン観測を続けてきたことにとても感動し、そのデータを一種の「知識の川(river of knowledge)」だとその価値について、述べていたそうです。
モニタリング観測や定常観測など、継続して観測を行うことの大切さがよく分かった講演でした。

南極で(南極だけではないと思いますが)観測をするということは、過去からのメッセージを受け取ること、現在地球が発しているメッセージを受け取ること、地球外からくるメッセージを受け取ること、そして、受け取ったメッセージを未来に託すことがあり、どれが一番ということなく、そのすべてがどれも大切なのだと思うようになりました。

「過去からのメッセージ」は、氷床、海底、湖沼などのコアから得られるもの、地形から読み取るもの、岩石などから分かるものなど、
「現在地球が発しているメッセージ」は、CO2,CH4,O3などの大気、エアロゾルなどの観測、潮汐観測、海洋生物、陸上生物の調査など、
「地球外からくるメッセージ」は、オーロラ観測をはじめ、VLBIや、隕石の採取などがそれにあたりそうです。
「受け取ったメッセージを未来に託す」というのは、あまり私のイメージになかったのですが、大気の観測の中には、大量に二酸化炭素を採取して持ち帰るというのがあります。
それはこれから先、もっと科学が進歩して新しい分析方法が発見されたときに、過去の試料を準備しておこうというものなのだそうです。
これはまさに受け取ったメッセージを、未来に託すというものだと思います。
今挙げたものは、私が思い浮かんだままを書いたのですが、それでもこれだけあります。
また、昭和基地が日本にある研究機関と大きく違うのは、いろいろな分野の専門家が一堂に会しているところにあると思います。
今まではあまり知り合う機会のなかった分野の研究者とも知り合え、その研究や観測についても知ることができます。
また、設営部門は50年の間に多くのものを生み出してきました。
南極観測隊が発祥というものは、建物や衣類などたくさんあるようです。
また、研究や観測を行うために基地を守り、車を整備し、基地周辺の環境を整備し、食や健康を守る大切な役割を担っている隊員さんのことも忘れるわけにいきません。
このように、多くの職種の人が仲間として過ごしている場所は他にないと思うのです。
そして集まった隊員の分野はそれぞれだけれど、目指している方向は同じだと私は思っています。

南極観測50年のオープンフォーラムのキャッチフレーズは「氷の中に、未来が眠っている。」でした。
南極観測では、地球の過去を知り、現在を知ることで、地球の未来が見えてくるといいます。
では、どうして未来を知りたいのでしょう?
それは地球が、私たちにとってかけがえのないものだと考えるからだと思うのです。
JAXA宇宙教育センターの的川泰宣先生のお話を聞いたとき(子ども向けの授業)、こんなことをおっしゃられていました。
「私たちは、地球以外に生命体を知りません。
もしかしたらどこかにいるかもしれないけれど、その存在をはっきりと知らないし、ましてや交流もありません。
地球に危機が起こったとき、助けてくれる隣人を地球は持っていないのです。
もし地球を助けられるとしたら、それは私たち人間だけなのです。」

未来を予測することができれば、私たちは地球に起こりうる危機を未然に防いだり、少なくしたりする手立てをとることができます。
それは、作ることもそして壊すこともできるほどの文明を持った私たち人間に課せられた任務なのかもしれません。
私は観測隊の活動を見ていて、まさに地球を守る方向を示唆してくれる存在だと思いました。

観測隊の活動や観測を知る一方で、南極の自然に圧倒されっぱなしでした。
夕日が染める氷山の紅、海氷をも一晩で流し去るブリザード、大きな氷の洞穴、大陸に雪の風紋を作り出すカタバ風など、挙げ出すときりがありません。
実際に見たわけでも感じたわけでもないので、おそらく私の想像を遙かに超える迫力なのでしょうけれど、それでも私には、圧倒的な自然からの贈り物でした。
南極を見ながら、身近な自然や生き物に、空や風にも気持ちが向くようになっていきました。
足元のタンポポでさえ、コンクリートを割って出てくる力強さに心を奪われずには居れないのです。
この2年の間に、私は地球を愛しく思うようになりました。
以前は地球を愛しく思うなんて、なんだかきれいごと過ぎるような気がしていましたが、身近な自然が「私の住んでいる東京」とか「オゾンホールがぽっかり開いている南極」とか「紛争の絶えないアフガン」とか「今にも海に沈んでしまいそうなツバル」という一つ一つの場所を繋げていき、「地球」というひとつのまとまりとして捉えられるようになったのだと思います。

フォーラムでは、これからの南極や南極観測を考えるというテーマでしたが、どんな話だったのでしょう?
もっと門戸を開いていろいろな分野の人たちが必要な期間いけるようになればいいと、新聞などにも書かれています。
そうかもしれないな、と思います。
もっと、研究的なことに重きを置いていったほうがいいと書いてあるものがあります。
それも、そうかもしれません。
私には観測隊のこれからを語るだけのものを持ち合わせてはいないし、今後どれだけの人がどんな方法で南極を訪れるかも分かりません。
でも、南極という地で研究や発信をするのは、この地球上のほんの小さな「いのち」にも寄り添える人たちであってほしいと心から願っています。


(分かったようなことを書いてしまった部分もあるかとは思いますが、どうかご容赦くださいませ)

最新の画像もっと見る