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学者の誤解では?

2005年11月09日 | 法律一般
 東京大学の内田貴教授は、『民法1-総則・物権総論(第2版補訂版)』3頁(東京大学出版会、2002年3月15日発行)で、次のように書かれています(現在は、第3版が刊行されています。)。
http://www.utp.or.jp/shelf/200508/032331.html

「暗記か理解か
 民法の入門書の古典といえる故我妻栄博士の『新版民法案内』の第1巻「私法の道しるべ」の冒頭は、「法律を学ぶには、暗記しないで、理解しなければならないという項目から始まる。このことは、今日でもしばしば授業等で指摘されるし、私自身もそのようなに教わった。しかし、法律学の勉強が外国語の学習にたと得るなら、暗記せず理解せよ、というアドバイスはやや奇異である。外国語の勉強に、暗記せず理解せよ、などと助言する人はいないだろう。」

 私は、初めてこの文章を読んだ時、「本当にそのとおりだ!」と、内田教授の見解に賛成したのです。さらに、内田教授は、「重要なのは、適切な情報を、その内容を十分に理解したうえで、適切な順序で記憶することである。そのためにも、そのような配慮のゆきとどいた教科書が必要である。」という言葉で結んでおられます。この最後の見解に対しても、私は賛成でした。

 しかし、「適切な情報」とは何でしょうか? やはり、その説明が必要だと思います。適切な情報とは、法律を適用するための「事実」・・・・すべての事実ではなく、「法律を適用すべき事実」に対して、法律の何を適用するか、ということでないでしょうか。では、「何を適用」するのでしょうか? それは、法律に規定されている法律用語の意義・要件・効果を適用することだと思うのです。
 ですから、法律用語の意義・要件・効果をまず、理解して、記憶することが大切です。さらにいえば、この投稿記事の主眼は、上記の「意義・要件・効果」についてではないのです。主眼は、内田教授は、我妻博士の見解を誤解されているのではないか、と疑問を持ったことです。

 どういうことかと言いますと、我妻博士の思いは、次のものであったのではないかと思うようになったからです。

「みなさんは、法律書よりもさらに抽象度の高い哲学書を読んでいるから、私が書いた『民法講義(7分冊)』など、2~3回も読めば、もうそれだけで私の法解釈の論理の展開と結論を『暗記』されるだろう。」

 しかし、大切なことは、私が本に書いた論理展開と結論を覚えることではなく、その論理の道筋は、ほんとうに正しいのか、他の道はないのか、を考えることが大切なことだ。」

と言われているのではないか、と思ったからです。つまり、我妻博士と内田教授とは、「学生(読者)の読解力・記憶力」という前提条件を大幅に異にしているのではないか、と気づきました。