長尾たかしの・・・未来へのメッセージ

自民党衆議院議員長尾たかしのブログ。平成11年からネット上で情報発信を継続。サラリーマン生活を経て政界へ。

矛盾の中にあるオバマ大統領の姿に感ずるコト

2016-05-30 10:22:21 | 政治信条
平成28年5月27日は歴史的な一日でした。

「71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変した。 閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示された」

初めて現職米国大統領として広島平和記念公園を訪れたオバマ大統領の演説は、まるで叙情小説を読んでいるかのように始まり、全世界の人々の心を揺さぶったに違いありません。

国際法違反である米国による広島・長崎への原爆投下が、戦後公の場で批判されることはありませんでした。 恐らく今後もそうなのでしょう。 広島平和記念公園にある「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」の碑文の主語をめぐっては、私も何度も触れてきたテーマ。 「主語は、米国であるから、核使用国は謝罪をすべきである」という主張を続けてきました。

この日オバマ大統領は、以下のように述べました。

「この空に立ち上ったキノコ雲の映像を見た時、私たちは人間の中核に矛盾があることを非常にくっきりとした形で思い起こした」

「私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。 選択をすることができます。 子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。 人類の共通性、戦争が起こらない世界、残虐性を容易く受け入れない世界を作っていくことができます。 物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。 原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。 殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。 アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています」

過ちを犯したのは、人類であると。

正直申し上げて、広島訪問に際して、私は、米国による謝罪が予定されていないことに疑問符を打つ一人でした。 日米同盟という名の下、そして戦後71年という時間が経過してしまったことで、なんとか自分自身を言い聞かせているような状態でした。 ところがオバマ大統領の言葉である種の納得がいきました。

主語は「人類」だと。

これは私の中にある矛盾です。

しかし、オバマ大統領も矛盾の中にいたのです。
・先住民を虐殺し建国した歴史
・黒人奴隷制度を持った歴史
・唯一の核使用国であるという歴史
これらは歴代米国大統領のタブーでした。

恐らく米国大統領としてはこれらに対する謝罪はできないのでしょう。

しかし、唯一の核兵器使用国に関しては、一人の人間、人類として、あの佇まいからは、矛盾の中にあるオバマ大統領のもがき苦しみながら滲み出る謝罪の気持ちが伝わってきたのです。

「私の国のように核を保有する国々は、勇気を持って恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求しなければなりません。 私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。 しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。 このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この死の道具が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません」

もはやこの言葉で、私は納得したいと思います。

矛盾と言えばもう一つあります。 核廃絶を訴えながら「核のフットボール」を会場に持ち込んでいたという事実です。 ゼロハリバートン(実は私も愛用)のフレームを黒い革が覆っており、大統領が持つ認証コードで身元を確認、大統領が米軍最高司令官として核攻撃をいつでもどこでも承認でき、2分以内の核攻撃が可能な装置が入っているのです。 この鞄が、演説中のオバマ大統領の半径10メートル以内に存在していたのです。

米国大統領としてこの状況を拒否することはできません。

オバマ大統領の内面にある明らかなる矛盾です。

米国としての謝罪は許されず、立ち振舞から伝わる気は限りなくそれに近く、核廃絶を訴えながら、「核のフットボール」を手放す事も許されないその姿が印象的でした。

我国も矛盾を避けてきて今日があると考えるならば、矛盾に苦しむ姿こそ、必要な時代なのだと確信しました。 もう矛盾を避けていく時代ではありません。

私も矛盾に苦しむ政治家でありたいと思いました。
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