「古田史学とMe」記事一覧
投稿日が 古い順 | 新しい順
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「大宝令」と「浄御原令」
(2025年02月08日 | 古代史)
以前「釈奠」について書きました。そのとき「その後の『永徽律令』では「釈奠」とし... -
朔旦冬至と伊勢神宮
(2025年01月25日 | 古代史)
伊勢神宮の「式年遷宮」は二〇一三年に行われており、それまで二十年に一度遷宮が行... -
倭国王権の東方進出と「改新の詔」
(2025年01月20日 | 古代史)
私見では「改新の詔」とそれと一体となって出された各種の「詔」について、いずれも... -
近畿王権の官位制
(2025年01月12日 | 古代史)
以前日本国としての初めての遣唐使は白雉五年(六五四年)の高向玄理たちのものであ... -
「倭京」とは「難波京」か
(2024年12月30日 | 古代史)
『書紀』で「倭」について「読み」が指定されていないのはなぜか、という文を先日書... -
2024年度年末総括と古代史セミナー
(2024年12月29日 | 古代史)
いつもこのブログを見てくださってい... -
「隋」皇帝からの「訓令」について(二)
(2024年12月24日 | 古代史)
「隋」の「高祖」「楊堅」は(諡「文... -
「隋」皇帝からの「訓令」について(一)
(2024年12月23日 | 古代史)
以下も以前投稿したものですがあちらこちら見てもほぼ触れられることのないポイント... -
「大興王」と「隋」の高祖
(2024年12月22日 | 古代史)
ここに出てくる「大興」という用語については、この時代「隋」に関してのみ使用され... -
「高麗國大興王」とは誰か
(2024年12月22日 | 古代史)
これは以前投稿したものですが、改めてここに再度投稿し、問題を提起したいと思います... -
「倭国」の「軍楽隊」と「裴世清」
(2024年12月22日 | 古代史)
「裴世清」の来倭記事を『書紀』に見ると以下のような流れとなっています。「(六〇八... -
「遣隋使」と「法華義疏」との関連
(2024年12月22日 | 古代史)
これは以前投稿したものの祖型となった文ですが、端的に真意を説明しているのでここ... -
「天子在東京」について
(2024年12月21日 | 古代史)
以下はかなり以前投稿したものですが、最近新たな視点から別の見解に至ったことから... -
「伊吉博徳」の官位について(改訂版)
(2024年12月20日 | 古代史)
以前「伊吉博徳」の冠位の停滞について書きました。その記事を訂正して改めて提示し... -
いわゆる「唐」による「驥尾政策」の有無について
(2024年12月15日 | 古代史)
今回の講演でもいくつかの論者は「唐」による「驥尾政策」つまり「筑紫」他に「都督府... -
「倭国」の中心が「筑紫」であることについて(補論)
(2024年12月15日 | 古代史)
すでに「倭国」の領域について『隋書』の記述や『和名抄』の記事、あるいは「高麗」... -
「薩夜麻」と「天智」
(2024年11月30日 | 古代史)
『天智紀』の「天智三年」(六六四年)には「熊津都督府」から「使者」として「郭務... -
「薩夜麻」の帰国と「大海人」の動向(二)
(2024年11月30日 | 古代史)
「薩夜麻」と「大海人」の関係について考察しています。 「壬申の乱」についても、... -
『書紀』で「倭」について「読み」が指定されていないのはなぜか
(2024年11月27日 | 古代史)
『書紀』を見ると、天皇の称号として「根子」というものが現れます。この「根子」と... -
「薩夜麻」の帰国と「大海人」の動向(一)
(2024年11月24日 | 古代史)
『書紀』によれば「六七一年」になって「捕囚」の身となっていた「薩夜麻」が帰国し...