オレンジジュース

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お盆は過ぎたけど。

2008-08-23 02:16:51 | 思うこと
さすが親子!
今朝、おとんから電話がありました。(笑)
かけようって思ってたら来るんだもんね。でも、仕事中だったようなのでなんとなくバタバタして切ったんだけど。
夜かけ直したら、誰も出ない…。寝た?


なんとなく、この9年使い続けてるテントがボロボロになってるのが、申し訳なく思ってます。
いくら実家で使わないからとは言え、おとんが買ったものをこんなに独占して、ボロボロにして…。ごめんね。
きっとそんなことどうとも思ってないだろうと思うけど、娘は心苦しいです。
実家で一回も使ってないんだもん。イスも寝袋もね。
小さなことかもしれないけど、当たり前と思っちゃいけないよね。
それもこれもおとんの私への愛の一部。
大切にしてもらってます。
そのことはいつもいつも感じてます。
ありがとう。


なんかね、なんか私、ちょっと実家に帰りたいんだ。
今年のお盆、帰れなかったから。
今年はね、そうたろうの初盆だったんだ。
でも、実際問題、自分のスケジュール・体調のことを思ったら、帰るのはしんどいんじゃないかって思ってて、帰るという選択はしなかったの。
休みも不定期だったし、ちょっと仕事の時間も長い時もあって。
そんなに遠くはないんだけど、家でしたいこともあると思えば、なかなか帰れない。
そして、私が帰ると言えば、あの二人はなぜか仕事を早退して来たりする。(笑)
娘はそれも心苦しいんだよ、若干。
二人が中途半端に仕事してる人じゃないってこと知ってる分、そんな私が帰るくらいで休まれても…って思っちゃうっていうか。いや、二人はちゃんと仕事してるからこそ、そういう時くらいっていう考え方なんだけどね。

美輪様がね、お墓参りとか行けなくても、心で思って手を合わせればいいんだって言うでしょ?
だからね、いつも思ってるよ。
おじいちゃんのことも、おばあちゃんのことも、そうたろうのことも。
行けなくてごめんねって。
いつもありがとうって。



今日はおばあちゃんの話を書こう。
お母さんの方のおばあちゃんは今もバリバリ元気で、私よりも多忙な生活をしてる人なんだけど、お父さんの方のおばあちゃんは10年くらい前に亡くなってます。
頑固で意地っ張りな人だったようだけど、私にはとってもとっても優しい人でした。
私はおばあちゃんにとって初の内孫だったんで、やっぱり自分で言うのもなんですが、特別だったようです。子どもの頃も保育園帰りにはおばあちゃんの家に帰ってたし、一緒に過ごす時間が長かったんです。
おばあちゃんの家ではいつも相撲がかかってて、お菓子はおかきみたいな渋めのものでした。大人になってもよく言われたのは、「おばあちゃん家に泊まる!」って言い張るくせに、夜になるとやっぱり寝れなくて大泣きして、お父さんが迎えに来て、結局家に帰ってたっていうエピソード。
でも、私が一番覚えてるのは、煮物を作るおばあちゃんの横で、コンニャクの真ん中を切ってクルッと返すのを教えてもらったこと。楽しかったんだと思うんです、子ども心に。

小学生になる前に、うちは一軒家を建てたんで、おばあちゃんも一緒に住んでました。
1人の部屋に慣れられない私は、いつも隣のおばあちゃんの部屋へ行き、おばあちゃんの布団に潜り込んでました。
少しして、おばあちゃんは札幌の叔父の家に行くことになって、それでもお盆やお正月、それ以外にもうちはしょっちゅう札幌に行ってるお家だったので、よく会いに行ってました。

大人になってから、お母さんは嫁いだ時の苦労話をしてくれました。
おばあちゃんにいっぱいいじめられたみたいです。(笑)
さすが長男の嫁ですね。

でも、本当に私には優しいおばあちゃんだったの。


おばあちゃんが札幌に行って、何年か経って、おばあちゃんの様子が少しずつ変わって来ました。
痴呆が始まってきたのです。
親戚の中で沢山沢山話し合いをして、おばあちゃんは病院へ入ることになりました。
病院では、看護士さんを沢山沢山悩ませたようです。
タオル投げつけてみたり、わがまま放題言ってみたり…。
でもね、それでもやっぱり私には優しいの。
段々、みんなのことを忘れて行っても、最後の方まで私のことはわかってくれてたんだ。
行くとちょっと笑うの。
「ナオ~、今何してるの?学校行ってるの?」って何度も何度も毎回同じことを聞かれるんだけど、私も毎回毎回「今ね、学校卒業して保育園で働いてるよ。」と答えました。その度に「ん~、そうか。」と言いながら涙ぐむおばあちゃん。
時々ね、「家に帰りたい。」って言うの。
私に言えば言うこと聞いてくれるって思ってるから、私に言うの。
私もなんて答えればいいかわかんないし、気休めの約束のできないことなんて言えなかった。お母さんもおばさんたちもおじさんも苦労してるのわかってたから。


おばあちゃんが亡くなった日。
目を閉じたままのおばあちゃんを見ても、実感がなくて涙も出なかった。
私にとっては、ちゃんと自覚して身近な人の死を受け止めるのが初めてのことだったんだ。おじいちゃんが亡くなったり、親戚の大好きだったおじちゃんが亡くなった時も、私は子ども過ぎた。


お通夜の葬儀場で、なんやかんやと動き回ってた私には、おばあちゃんの死を実感することがやっぱりできなかった。
お線香の火が途絶えないように見ている時に、お父さんが私に顎で指示をしたの。お線香つけてこいっていう意味で。
いつもはきっと気に求めないその些細なお父さんのしぐさ。お父さんに悪気がないのもわかってた。でも、なんで私が顎で指示されなきゃいけないの!って。
パッパと動きもしないおばさんたち。お客さんじゃないんだよ?
「お風呂入りたいから」というこんな時にどうでもいい理由で帰ったいとこ。好き放題欲しいもの買ってもらってたくせに。

そんなことが重なって、悔しくて、悔しくて、我慢ができなかった。
本当は怒鳴ってやりたかった。
何度も何度も「いい加減にして!」って言葉が出かかった。
でも、こんな時にそう言ってしまえるほど、私は子どもじゃなかった。
いろんなことに私は傷ついた。
きっとあまり寝てなかったのもあるだろうけど…。


1人で急いで給湯室に駆け込んだ。
涙が出て止まらなかったから。
こんなことってそう起こるもんじゃないじゃない?
それなのに、今どうしてもお風呂に入らなきゃダメなの?
おばあちゃんを送り出してあげる時にどうしてそんなのんきにしてられるの?
おばあちゃんがかわいそうでかわいそうで仕方なかった。
おばあちゃんを送り出すのは、一生で今しかないんだよ!


今思い出しても、やっぱりあの時のことは悔しくて、泣きそうになる。
私には自負があった。
おばあちゃんの自慢の孫であるという。
他の誰にどう思われててもいいんだよ。
うちのおばあちゃんに「ナオはいい子で、優しい。」って思ってもらえてれば。
いい子でいなければならないって思うことが、私にとってすべていいことだったかと言えばそうじゃないかもしれない。
でもさ、やっぱり、おばあちゃんがいなきゃ今の私はいないんだよ。
おばあちゃんがお父さんを生んでくれたからとか、そういうことだけじゃなくて、子どもの頃一緒に過ごしてたことも含めてね。あの時の私の経験がなければ今の私は成立しない。
共働きの両親への私の思いを埋めてくれたのは、やっぱりおばあちゃんだもん。
そう思ったら、私にはやっぱり感謝の気持ちしかないんだよ。
「ありがとう」しかない。


給湯室で号泣してた私の元へ、お母さんが来ました。
「あんた、ここにいたの?何してるの?」って。(笑)
なんなら半笑いで。
彼女ののんきさに救われました。(笑)
おばあちゃんが亡くなった時に、号泣してる娘に言う一言がそれですよ?
さすがです…。
さすが、おおらかさが売りのO型ですね。


私の中にある、若干気の強いところは、お父さんとお母さん譲りだと思ってたけど、おばあちゃんもだね、きっと。
家系的にきっとそうなんだな。
私ね、勝手にいつも思うんだ。
守られてるって。
おじいちゃんやおばあちゃんに。
私に究極のピンチが訪れないのはそのおかげだって思ってるんです。
たぶん、それはこれからも変わらないだろうなぁ。
お盆はちょっと過ぎちゃったけど、そんなことを思う今日この頃です。