犬神スケキヨ~さざれ石

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古事記を摘んで日本を知る!その6

2015-05-09 00:26:20 | 古事記
その6です。
今回はポーンと話を第十ニ代景行天皇に飛ばします。
今回少し長くなりますが現代へと繋がる記述がありますので、気長に読んで下さい。

大碓・小碓

「大政・小政」は清水次郎長一家の子分ですが、大碓・小碓は景行天皇の息子、つまり皇子です。
大碓命(おおうすのみこと)、小碓命(おうすのみこと)です。

母親は第七代孝霊天皇の孫娘になる伊那毘能太郎女(いなびのおおいらつめ)です。

話をざっくりいきますが、兄が大碓命で弟が小碓命です。

岐阜に美しい姉妹がいました。景行天皇はお兄さん大碓命に命じて岐阜まで行ってこい!となりますが、余りの美しさに大碓命は「オヤジに献上なんかできるかい!」と自分のモノにしてしまいます。

で、適当な身代わりを二人程都合して景行天皇に献上します。景行天皇は「アレ?そうでもないなぁ…」と思いながらもとりあえず手元に置いておいたそうです。

まぁ、しかしこの姉妹が相当美人だったのか、大碓命は心配だったのか…。
それはわかりませんが、とにかく宮中の神事行事に参加しません。将来天皇になるわけですからこれでは困りますね。
景行天皇は「アイツは何をやっとんじゃ!」と御怒りな訳です。

そして景行天皇は弟の小碓命に「お前ちょっと行って兄貴に注意しとけ!教え諭してこい!」と言い付けました。
しかし、大碓命はいつまで経っても出て来ないので景行天皇は小碓命に「兄貴を教え諭したのか?」と聞いたところ「ハイ!ちゃんと教え諭しました」と言います。
「どんな感じに教え諭したのか?」と聞いたところ。
夜中に厠へ行かれるお兄さまを待ち伏せして掴み潰して手足を引き裂いて袋に詰め込んで投げ捨てましたと言い出しました。
景行天皇は「え?殺したのか?」と聞くと「ハイ!殺しました」と言う。
悪びれる様子もありません。
小碓命は超怪力のド天然だったのです。

それを見て景行天皇は「これは恐ろしい事だ…こんなヤツを生かしておいては将来の害悪になるかもしれない…」と考えました。

征伐

南九州辺りに熊曾建(くまそたける)と言う天皇に従わない一派がありました。
景行天皇は小碓命に「お前行って征伐してこい」と命じます。
小碓命は重要な御役目を与えられた!と喜んで征伐に行く訳です。なにせド天然ですから。
景行天皇の真の狙いはわかりません。
熊曾建は兄弟二人で最強と言われた兄弟です。
そこへ小碓命を遣わし、相討ちで死んでくれたらいいと考えていたのです。

喜んで征伐に出掛けた小碓命。熊曾建の兄の胸をブスっと突き通し殺す。
熊曾建の弟を尻から突き通します。
すると熊曾建が小碓命に「あなた様はどなたですか?」と聞いた。尻から突き通された状態で聞く事でもあるまいに…と思いますが。
すると小碓命は「私は纒向(まきむく)の大帯日帯斯呂和気天皇(おおたらしひこおしろわけ)の御子、倭男具那王(やまとおぐなのみこ)である」と正式な名前を名乗ります。
尻から突き通されながら熊曾建の弟は「西には我ら兄弟より強い者はおりません、しかし我らより強い御子が居られた。ついては我らの名前を差し上げます」と言いました。
「此れからは倭建御子(やまとたけるのみこ)と御名乗り下さい」と。
ここに倭建御子が誕生したわけです。

熊曾建を言い付け通り征伐し意気揚々と帰る駄賃に、ついでに言われもしないのに出雲で出雲建と言う人物も征伐してしまいます。
ド天然ですから景行天皇に褒められると思ったのですね。

さすがに気づく

景行天皇は無傷で帰った倭建御子にビックリします。さすがの景行天皇もヤバイと思いました。
いよいよ殺さねば!となりますが自ら手を下す事は出来ません。今度は東の荒ぶる者達を征伐してこいと命じます。
倭建御子は「かしこまりました」と東征にいきさますが、さすがにド天然も気づきます。
「これは私に死んで欲しいと思っているのでは…」まぁだいたい気づくもんです。

お付きを一人と、そして妻である弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)を連れて出掛けます。

そして相模とも駿河とも説がありますが、その地へ着きます。しかし地元の豪族の謀で野に火を放たれてしまいます。
火にかこまれながら何とか脱出します。
そして関東までやってきます。

三浦半島から房総半島へ海を渡ろうとする時に船がグルグル回って進めません。
すると弟橘比売命が「私が海に入り、海の神を鎮めます、貴方は任務を全うしてください」と言います。自らが人身御供になり神の生贄となると言うのです。そして海に身を投げたのです。身を投げて美しい歌を詠みます。
さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
「相模の火の中に立ちて、貴方は私に問うてくれました、お前は無事か?と」

倭建御子は絶体絶命の火の中にあって弟橘比売命に「お前は大丈夫か?」と自分の命もかえりみず妻の命を気遣った。弟橘比売命は「私の夫は何と優しい方だろう、私はあの方の為に何が出来るでしょう…」
それが自ら人身御供になることでした。

我が皇后陛下

第26回IBBYニューデリー大会での皇后陛下のお言葉にこの様な一節があります。

私が小学校に入る頃に戦争が始まりました。昭和16年(1941年)のことです。四学年に進級する頃には戦況が悪くなり,生徒達はそれぞれに縁故を求め,又は学校集団として,田舎に疎開していきました。私の家では父と兄が東京に残り,私は妹と弟と共に,母につれられて海辺に,山に,住居を移し,3度目の疎開先で終戦を迎えました。
度重なる移居と転校は子供には負担であり,異なる風土,習慣,方言の中での生活には,戸惑いを覚えることも少なくありませんでしたが,田舎での生活は,時に病気がちだった私をすっかり健康にし,私は蚕を飼ったり,草刈りをしたり,時にはゲンノショーコとカラマツ草を,それぞれ干して4キロずつ供出するという,宿題のノルマにも挑戦しました。8キロの干草は手では持ちきれず,母が背中に負わせてくれ,学校まで運びました。牛乳が手に入らなくなり,母は幼い弟のために山羊を飼い,その世話と乳しぼりを私にまかせてくれました。
教科書以外にほとんど読む本のなかったこの時代に,たまに父が東京から持ってきてくれる本は,どんなに嬉しかったか。冊数が少ないので,惜しみ惜しみ読みました。そのような中の1冊に,今,題を覚えていないのですが,子供のために書かれた日本の神話伝説の本がありました。日本の歴史の曙のようなこの時代を物語る神話や伝説は,どちらも8世紀に記された2冊の本,古事記と日本書紀に記されていますから,恐らくはそうした本から,子供向けに再話されたものだったのでしょう。
父がどのような気持ちからその本を選んだのか,寡黙な父から,その時も,その後もきいたことはありません。しかしこれは,今考えると,本当によい贈り物であったと思います。なぜなら,それから間もなく戦争が終わり,米軍の占領下に置かれた日本では,教育の方針が大巾に変わり,その後は歴史教育の中から,神話や伝説は全く削除されてしまったからです。
私は,自分が子供であったためか,民族の子供時代のようなこの太古の物語を,大変面白く読みました。今思うのですが,一国の神話や伝説は,正確な史実ではないかもしれませんが,不思議とその民族を象徴します。これに民話の世界を加えると,それぞれの国や地域の人々が,どのような自然観や生死観を持っていたか,何を尊び,何を恐れたか,どのような想像力を持っていたか等が,うっすらとですが感じられます。
父がくれた神話伝説の本は,私に,個々の家族以外にも,民族の共通の祖先があることを教えたという意味で,私に一つの根っこのようなものを与えてくれました。本というものは,時に子供に安定の根を与え,時にどこにでも飛んでいける翼を与えてくれるもののようです。もっとも,この時の根っこは,かすかに自分の帰属を知ったという程のもので,それ以後,これが自己確立という大きな根に少しずつ育っていく上の,ほんの第一段階に過ぎないものではあったのですが。
又,これはずっと後になって認識したことなのですが,この本は,日本の物語の原型ともいうべきものを私に示してくれました。やがてはその広大な裾野に,児童文学が生まれる力強い原型です。そしてこの原型との子供時代の出会いは,その後私が異国を知ろうとする時に,何よりもまず,その国の物語を知りたいと思うきっかけを作ってくれました。私にとり,フィンランドは第一にカレワラの国であり,アイルランドはオシーンやリヤの子供達の国,インドはラマヤナやジャータカの国,メキシコはポポル・ブフの国です。これだけがその国の全てでないことは勿論ですが,他国に親しみをもつ上で,これは大層楽しい入口ではないかと思っています。
2,30年程前から,「国際化」「地球化」という言葉をよくきくようになりました。しかしこうしたことは,ごく初歩的な形で,もう何十年――もしかしたら100年以上も前から――子供の世界では本を通じ,ゆるやかに始まっていたといえないでしょうか。1996年の「子供の本の日」のためにIBBYが作ったポスターには,世界の家々を象徴する沢山の屋根を見おろす上空に,ぷっかりと浮かんで,楽しげに本をよんでいる一人の少年が描かれていました。遠く離れた世界のあちこちの国で,子供達はもう何年も何年も前から,同じ物語を共有し,同じ物語の主人公に親しんで来たのです。

父のくれた古代の物語の中で,一つ忘れられない話がありました。
年代の確定出来ない,6世紀以前の一人の皇子の物語です。倭建御子(やまとたけるのみこ)と呼ばれるこの皇子は,父天皇の命を受け,遠隔の反乱の地に赴いては,これを平定して凱旋するのですが,あたかもその皇子の力を恐れているかのように,天皇は新たな任務を命じ,皇子に平穏な休息を与えません。悲しい心を抱き,皇子は結局はこれが最後となる遠征に出かけます。途中,海が荒れ,皇子の船は航路を閉ざされます。この時,付き添っていた后,弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)は,自分が海に入り海神のいかりを鎮めるので,皇子はその使命を遂行し覆奏してほしい,と云い入水し,皇子の船を目的地に向かわせます。この時,弟橘は,美しい別れの歌を歌います。

さねさし相武(さがむ)の小野(をの)に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも

このしばらく前,建(たける)と弟橘(おとたちばな)とは,広い枯れ野を通っていた時に,敵の謀(はかりごと)に会って草に火を放たれ,燃える火に追われて逃げまどい,九死に一生を得たのでした。弟橘の歌は,「あの時,燃えさかる火の中で,私の安否を気遣って下さった君よ」という,危急の折に皇子の示した,優しい庇護の気遣いに対する感謝の気持を歌ったものです。
悲しい「いけにえ」の物語は,それまでも幾つかは知っていました。しかし,この物語の犠牲は,少し違っていました。弟橘の言動には,何と表現したらよいか,建と任務を分かち合うような,どこか意志的なものが感じられ,弟橘の歌は――私は今,それが子供向けに現代語に直されていたのか,原文のまま解説が付されていたのか思い出すことが出来ないのですが――あまりにも美しいものに思われました。「いけにえ」という酷(むご)い運命を,進んで自らに受け入れながら,恐らくはこれまでの人生で,最も愛と感謝に満たされた瞬間の思い出を歌っていることに,感銘という以上に,強い衝撃を受けました。はっきりとした言葉にならないまでも,愛と犠牲という二つのものが,私の中で最も近いものとして,むしろ一つのものとして感じられた,不思議な経験であったと思います。
この物語は,その美しさの故に私を深くひきつけましたが,同時に,説明のつかない不安感で威圧するものでもありました。
古代ではない現代に,海を静めるためや,洪水を防ぐために,一人の人間の生命が求められるとは,まず考えられないことです。ですから,人身御供(ひとみごくう)というそのことを,私が恐れるはずはありません。しかし,弟橘の物語には,何かもっと現代にも通じる象徴性があるように感じられ,そのことが私を息苦しくさせていました。今思うと,それは愛というものが,時として過酷な形をとるものなのかも知れないという,やはり先に述べた愛と犠牲の不可分性への,恐れであり,畏怖(いふ)であったように思います。
全てのスピーチを読みたい方は例えばここをどうぞ。

愛と感謝

天皇陛下におかれては平成23年お体、いや心身共に打撃を受けられていました。
19日入院され更に翌年も心臓バイパス手術を受けておられました。
平成24年東日本大震災の一周年追悼式が行われ天皇皇后両陛下も出席されました。
天皇陛下は万全の体調ではなかった。

皇后陛下はこの追悼式に和服でお出ましになられた。これには理由がありました。
体調が悪い天皇陛下がもしかしたら式典中に、御倒れになるかもしれない。
その時、洋装でヒールを履いていては陛下を支えられない。草履の方が力も入り易く素早く動けると和服を自らお選びになられた。

昭和50年ひめゆりの塔を訪問された時、当時は皇太子皇太子妃であられた両陛下。
過激派が何日も前から身を潜めて、お出ましになられた時に火炎瓶を投げ付けた。
その時、皇太子妃殿下は皇太子殿下を守ろうとパッと前に出て皇太子殿下を御守りする仕草を見せました。

普通はこんな事出来ませんよ!ビックリして固まるとかうずくまっても仕方ない。
そんな状況でも我が身より殿下を御守りする行動を取られたのです。
意識していたとしても、まして女性がその様な行動を取れるものではありません。
それは皇后陛下の御覚悟が並々ならぬものであるからです。
いざとなったら御自分の命をかけても天皇陛下を御守りする!との強い覚悟なのです。

正に現代の弟橘比売命ではありませんか?

愛と感謝に満ち、そしてその時の思い。
生贄となりながら幸せの中で命果てる。
死と惨めさと美しさ。

愛と感謝と自己犠牲が一体として其処にある。
愛に報いることの意味があるのです。

我らの為に

この弟橘比売命の一節に我々日本人の根幹を垣間見ることが出来るのではありませんか?

先の大戦に出征された先達の方々、散華された方々の事を考えます。

何故、死ぬとわかっていても尚その死地へと向かうのか?
其の身を以って戦ったのか?

正に弟橘比売命の心境と重なり合うのです。

祖国を愛し、家族を愛し、友人を愛し。
そして其の祖国に家族に友人に育まれ愛されて来た。
だからこそ、其の愛に報いる。

我が身を犠牲に、人身御供の如き振る舞いを以って愛した、愛された国に身を捧げた。

愛と犠牲が一体として思える。
無惨な死を迎えるが、幸せの中で命果てる。

その様な境地だったのではないでしょうか?

特攻隊員の多くは古事記を忍ばせていたと聞いた事があります。
敗戦後70年を迎え一度深い思いを馳せてみるのも良いのでは?

次回へ続く


古事記を摘んで日本を知る!その5

2015-05-07 18:12:46 | 古事記
その5です。

なんとなく日本の統治機構や天皇陛下の御存在に思いを巡らせるキッカケになってますでしょうか?

今回は前回の国生み辺りの話しをしたいと思います。

儀式

伊邪那岐・伊邪那美の二柱の神は国生みをします。これをみとのまぐわいと言います。

これは早い話しが性交渉と言うことです。
いきなり国生みの話しがこれからはじまり、何もはっきり言わなくても…と思いますね。

しかし、これが重要でして。
当時は性行為は儀式的意味合いが強く婚礼の儀で更に子を授かる儀式と考えられます。

つまり懐妊は子を授かるとか子宝に恵まれると言う様に、生命の誕生は神からの授かりものとして、有難く受け止められていたのです。

そして女性器は神聖視されていたと考えられるのです。本文にも「女陰(ほと)」と言う表現が幾度も見られます。

日本の神々は以前も申しましたが全知全能ではありません。不完全です。だから神々もお互いを補完し合い、合議をし総意を得るのです。

そして国生みの行為をします。
「あら?いい男ね!」「なんていい女だ!」と言う感じですかね?兎に角お互いを褒め合います。これも重要な事なんです。
"言霊"てありますね?コレ重要なんです。
お互いに褒め合いながら行為を行う。そうする事で深まるんですよ!と示唆しているのです。
不完全であるからお互い褒め合い高めながら補完しなさい、と言うことです。
「稼ぎが少ない」とか「家事も手伝わない」と旦那さんを責めたり、「気が強い」とか「若い頃はあんなんじゃなかった」と奥さんに嘆いたりせずに、「若い頃より体に安定感がある」とか、「渋みが出た」とか上手い事表現しなさい。て事でしょうか?

最初は…

そうして国生みをしますが、最初は失敗します。不完全な子供が生まれてしまいます。
水蛭子(ひるこ)です。その体が不完全だった為に捨てられてしまいます。なんと不遇でしょうか。これは葦の船に乗せて流されてしまいました。
しかし、この水蛭子の現在の姿は恵比寿様です。

水蛭子は流された後、西宮にたどり着くのです。古来、漂流して流され着いたものを福をもたらす「客人神(まれびとかみ)」として祀る習慣があります。恵比寿様も海からやってくる客人神として古くから漁民漁村などで尊ばれていました。面白いですね!

西宮にある西宮神社、毎年福男を選ぶ行事のあるあの神社です。「えべっさん」として親しまれていますね。実は不完全だった為に捨てられた子供だったのですね。

独断はなく

最初は不完全な子供が生まれてしまいましたね。しかし、ニ柱の神は独断では解決はせずに天つ神にお伺いをします。
基本は天つ神の指示を受けながら国生みをしていく訳ですね。常に神々と相談しながら国生み神生みをしていきます。
そして天つ神の占いで、どうやら女から声をかけたのが良くない!と解ります。
今度は男から「なんていい女だ!」と声をかけて「なんていい男かしら」と。
すると立派な子供が次から次へと生まれます。

これを男尊女卑だ!と言う人がいますが全く違います。
男と女には各々の役割りがあると説いていたのです。
男から申し込み、それを承諾するかの決定権は女にあると、それぞれに役割りがあるのだと言う話しだと考えます。

身体的な特徴にも則した役割りである、と言うことで女性は受ける側ですから、男は「私でどうですか?」と申し込みます。
女は受けたいとか、これはちょっと受けたくないなぁ…とかありますから決定権は女に、てことですね。

もし逆なら?どうですか?
女性からプロポーズしたら男性側に逃げる口実を与える訳ですね。
「お前が結婚してくれと言うから結婚してやったんだ!」て話しになります。

神々ですら不完全なワケですから、我々人ならそれは上手くはいきません。
まぁ、最近は主夫と言う男性もいますけれど、やっぱりプロポーズは男性からと言うことなんですかね?
しかし、最近は女性が強いですからプロポーズする女性もいるでしょう。その時は「待て!」と言って男性側からやり直せば良い。
この方が縁起が良いと言う話しです。
そうやって神々を生み、国生みをします。
このニ柱だけで21柱の神々を生み、ニ柱それぞれ単独で生み出した神々を含め61柱にもなります。おおよそ古事記に現れる神々の半数をこのニ柱の神が生み出します。

様々な神々を生み出したニ柱ですが面白いのはこの生み出した神々は人々の生活に密接に関わる神々である事です。
ですから、火や土、水や空、雲に雨に生活に必要な品々にも神々が宿る、自然そのものが神々だ!と日本人は考えるのです。

様々な神々が居て、その神々ですら不完全であるのだから我々人間は不完全なものだ!
神々は勝手には決めずお互いに補完し合いながら我々を生んだのだ!

これは決して利己主義にならず、他者を思いながら互いに協力し助け合いながら生きると言う日本オリジナルの民主主義を説いているのです。
あなたも不完全、自分も不完全。だからお互い補い合いましょう。これがお互い様と言う考えではないでしょうか。

次回へ続く

沖縄よ!しっかり足元を見よ!

2015-05-04 13:02:40 | 草莽崛起
古事記シリーズは少し置きまして沖縄の問題を考えようと思います。

色々調べて考えもまとまりましたので良い機会ですので考えていと思います。

古事記シリーズはまだ続けますので良ければ読んでみて下さい。

統治の真実

4月5日
菅官房長官と翁長知事との会談がありました。
「辺野古移設断念は普天間固定化に繋がるので承認された関連法令に基づき、辺野古移設を粛々と進めている」と官房長官が説明したところ、翁長知事は「上から目線」とか、米国統治時代の高等弁務官キャラウェイ氏の話しを持ち出し「新基地建設は絶対させない」と発言しました。

キャラウェイ氏とは米軍軍政下時代に沖縄での最高責任者で高等弁務官でした。
当時キャラウェイ氏は「沖縄の自治は神話だ!」と発言した人物です。

この意味は「責任と能力の度合いを考慮せずに」と言う前置きがあり「神話だ」と発言しました。

キャラウェイ氏は1961年2月16日から3年6ヶ月間沖縄に赴任し、沖縄県民の啓蒙活動に邁進した人物です。
当時の沖縄金融界は腐敗が激しく利益独占団体と化していました。

日米政府が経済援助をしておりましたが、この変な団体集団が中間で搾取する。
その腐敗に手を入れたのがキャラウェイ氏です。
キャラウェイ氏が行ったのは沖縄金融界の清浄化、感染症防遏(ぼうあつ)対策、インフラの構築に珊瑚などの自然保護政策に寄与しました。

南大東村では1900年に大日本製糖会社が八丈島から移民を募り「農地を開墾し一定期間工作すれば農地解放する」と言う条件で小作をさせていましたが全く約束を履行しない。
敗戦後も履行されず困った村民達がキャラウェイ氏に仲介を頼みました。
弁護士資格を有していたキャラウェイ氏が仲介し会社側を説得し農地解放が実現しました。
移住64年を経てようやく開墾地の私有化が実現しました。

そして1964年6月4日、那覇市議会はキャラウェイ氏に名誉那覇市民憲章を授与して功績を称えています。
さらに2000年には南大東村は開墾100周年を記念しキャラウェイ氏の胸像を建立しています。

現在の沖縄ではキャラウェイ氏を「米国支配の沖縄で強権政策をした人物」と悪者にしています。
そんな悪者に何故、名誉那覇市民憲章を授与し、南大東村に胸像が建立さるたのか?全く説得力の無い話しです。

アメリカ政策

アメリカの施政下にあったのは1945年からの27年間です。沖縄では暗黒の27年間と言われます。しかしそうでしょうか?

事実を見ればそうは思えません。
むしろ沖縄県民の生活環境は向上したのではないでしょうか。

敗戦後の沖縄県民は焦土と化した本土を最早再起不能と見ていました。
貧乏極まりない本土より豊かな戦勝国アメリカの施政下の方が良いと考えていたと思われます。
1ドル360円の固定相場制ですから、アメリカでいた方が儲かります。実際に「日本人御断り」の看板を出す商店も多数ありました。
アメリカ人はチップをはずんでくれます。
日本人にはそうした習慣もないからです。

アメリカ統治時代には医療衛生は飛躍的に進歩しました。

戦前の沖縄県人口はピーク時で59万8000人弱、県民の平均寿命は47歳。
また亜熱帯地域な為にマラリア、結核、ハンセン病など東南アジアと同じような感染症が蔓延していました。
更に戦前の沖縄では病気になると庶民はユタと呼ばれるシャーマンに頼る。
祈るだけですから瞬く間に感染が広がる。

しかし、戦後アメリカ政府は「沖縄振興は住民啓蒙と衛生環境」と言う政策をしました。
その為、看護学校を設立し公衆衛生看護婦の育成をしました。

沖縄県の有人島全てにその看護婦を配置し住民の公衆衛生に対する教育を行い感染症対策を行いました。
公衆衛生看護婦は医師と同等の権限を有し、在宅、急患患者にも医療行為をしました。
本土復帰後は日本の医師法が適用される為に平成7年に廃止されました。
しかし、今でもそのノウハウを習得する為に東南アジアやアフリカから看護師が訪れます。

このアメリカの政策により感染症は撲滅され本土復帰の頃には人口約96万1300人、平均寿命は79歳と最長寿地域になりました。
沖縄が長寿なのは何も南国特有の自然環境と言うだけではありません。むしろ戦前は50手前でありました。
そして沖縄の主張する恨み節なるものは全くの無知蒙昧と言えます。

基地

日本返還の際には復帰反対運動すらあった程に親米ムードもありました。

沖縄財界は本土復帰反対の意見広告を出そうとしました。慌てた官邸が官房長官を派遣して「控えてくれ」と説得した程です。

その引き換えに特別措置法が設けられて地元企業の法人税減免を時限立法化しました。
今尚沖縄県内酒造会社に限り延長適用されています。

そして基地です。「米軍基地は県民が望んだ訳ではない!」これは本当でしょうか?

例えばキャンプシュワブ。元は久志村と言う村でした。しかし、その村会議は満場一致で誘致を可決。全議員が署名捺印し、村長は3回も陳情しようやく誘致となりました。
キャンプコートニーも誘致運動によるものです。

キャンプコートニーなどは、1983年に一旦返還されましたが、地主が陳情して返還1日後に再賃貸となりました。

此れだけを見ても翁長スチールタワシ知事の言う「沖縄県民は用地を自ら差し出したことはない」という主張が嘘だとわかります。

廃藩置県後、琉球を牛耳っていた支那帰化人達が廃藩置県に反対し妨害しました。
明治政府は奈良原繁という元薩摩藩士を送り込み民主化をさせました。

奈良原繁は16年間知事を務め離任時には「沖縄振興最高功労者」として銅像も建立されました。しかし、戦後の沖縄は何故か歴史を改ざん、奈良原繁は県民差別、弾圧の代表的な悪者にされてしまいました。

沖縄県民は恩も歴史も忘れてしまうのでしょうか?隣の半島の様ですね。

翁長スチールタワシ知事は基地移設を仕切りに
反対しています、「粛々」を上から目線などと言っていますが、泡瀬干潟埋め立てなどは県は住民から訴訟されました。
県勝訴の判決になりましたが、その際に「粛々と埋め立て工事を進める」と自ら発言しています。スチールタワシの被りものを見られてはいけないとばかりに上から目線です。

珊瑚破壊!と騒いでいますが、那覇空港第二滑走路埋め立て事業などは同じ事をやります。
むしろ、辺野古より派手なことになります。

スチールタワシ知事

基地移設反対!のみで当選した翁長知事ですが、今更それも辞める事はできません。
何せ共産党から支援を受け当選したのです。
その共産党は県庁内に手を入れておりスチールタワシ知事を24時間監視しています。
チョットでも妥協しようものならばすぐに首を飛ばされます。

翁長氏はそもそも自民党沖縄県連幹事長でした。基地県内移設を推進した中心的人物です。
それがいきなりの親中派に寝返りました。

大田昌秀知事時代に県が出資して支那福建省に福建・沖縄有好会館の建設を推進しました。
完成まで3年3ヶ月。予算5千万円。しかし、支那側から「人件費が上がった」とか「材料費が上がった」とヤカラを言われ最終的に5億5千万円まで膨らみました。そして所有権まで取られてしまいました。
これには県議だった翁長氏も県執行部を追求していました。

ところがこの直後辺りから急激に左傾化し出し親中派に身替りしました。
当時プロジェクトを強行した支那帰化人子孫である副知事がその後県知事選挙に出馬しました。しかしその際に多額のキャッシュを持っていたらしい。
先の友好会館予算がロンダリングされた疑いがあります。
その直後に振る舞いの変わったスチールタワシも、ご相伴にあずかった可能性が高い。

翁長スチールタワシは先般、北京に行きましたが、そもそも知事当選後最初に北京に行くつもりだった様です。
しかしさすがにそれは国を敵にし過ぎると身内から反対された様で、今回の訪中は河野洋平を隠れ蓑にしたと考えられます。

龍柱設置を推進したり、那覇市内の公園に儒教創始者の孔子を祀り上げた孔子廟なる物を支那帰化人子孫に作らせたりしています。
孔子廟設置の公園も11億4千万円を投じ那覇市が用地を取得し造成したものです。

最悪を想定します

スチールタワシに対して支那政府から「沖縄振興」を理由に日本政府以上に支那が沖縄に金を出す事態など起きれば最悪です。

例えば、尖閣から180km辺りに位置する下地島。ここに3000m級の滑走路があります。
沖縄県が管理権を所有しています。

もしこれをスチールタワシが支那企業に賃貸する様な事態になったらどうなるか?

支那は企業と言っても民間企業の顔はしていますが実質国有です。
最初は平和利用を謳いながらいずれ既得権を積み上げて軍用機を降ろすでしょう。

こんな現状に違和感や危機感を持っている沖縄県民もいます。むしろ一般の県民の方がその気持ちは顕著でしょう。

事実を啓蒙し、其処にある本当の危機を県民は知らねばならないと思います。

それは県民だけでなく、日本国民全てが共通の危機感を持ち対処しなければ取り返しの付かない事態を招きます。


古事記を摘んで日本を知る!その4

2015-05-03 20:08:07 | 古事記
その4です。

古事記を摘んで…と言ってみましたが摘む所が多数あり一体何回やるのやら。

やり出してみたらえらいことに手を出した。
と、収拾がつきますのやら…

その根拠は神々の総意

この二柱の神は国生みをする神ですね。

この国生みは天つ神の総意によって伊邪那岐・伊邪那美に命ぜられます。

前回も話しましたが日本の神々は合議制だったと言うことです。
何かあると神々が集まり合議をし「ヨシ!こうしよう!」と決めるんです。
つまりは誰か、絶対的な存在が命令する訳ではなくて、みんなで話し合い総意を得て行動するんです。これが世界との決定的な違いなんで。

古事記には様々な神々が出て来ます。
そして伊勢の神様である天照大御神が自らその孫にあたる神に「地上を治めなさい」と申されて地上世界に派遣する。
その方が地上世界に降臨される、これが天孫降臨です。
そしてその天照大御神の孫、天孫のひ孫に当たりますのが神武天皇な訳です。
そして高天の原でお預かりした三種の神器が代々継承されて125代今上陛下がお預かりされています。
つまり、この話しから解るのは今上陛下に至るまで天皇が天皇である根拠です。
根拠とは「神々の総意である」と言うことです。
ここが古事記が現代へと繋がる最も重要な部分でもある訳です。

伊邪那岐・伊邪那美の神々も勝手に国生みをした訳ではありませんね。
それは神々の総意により命令を受け国生み、神生みをなさったと。

そして生みっぱなしでは荒れ放題になる。だから、その子孫に「地上世界をしっかり治めなさい」と、その総意で天皇が国を治めているのです。
ですから、天皇が天皇であるのは神々の総意であってくだらない頂き物の憲法が根拠ではないと言うことです。
つまり天皇統治へ到る理由が神々の総意ですよ、と言う為に古事記は最初の最初から書いてあるのです。

伊邪那岐・伊邪那美

いざ国生み!です。

記述によれば伊邪那岐・伊邪那美は先ず天浮橋に立ち海に矛を下ろして「こうろ、こうろ」と掻き鳴らして引き上げると、ボトッと海水から滴り落ちた塩が固まり島が出来ました。
淤能碁呂島(おのごろじま)です。どこの島かはわかりません!
この島をベースに国生みが行われます。
どんな作法でしょうか?

伊邪那岐・伊邪那美のニ柱の神は天つ神と心を通わせる為に天の御柱を立てました。
ん~アンテナみたいな感じですかね?
これで高天の原と通じる訳です。

そして八尋殿と言う大きな神殿を建てます。
そこで「僕のからだ出っ張りが!」「私の体はなんか窪んでるわ!」となりまして。
「じゃ、ちょっと出っ張りを窪んだとこへ入れてみよう!」と「ヨシ!それで国を生もう!」となります。
いきなり官能小説みたいな展開になるのです。

此れだけ見ても解るように日本の神々は完全ではないんですね。
他の宗教の神は性別もよくわかりませんが、とにかく自分の姿に似せて人間を作りました。

日本の神々は体も出来てないんでしょうね。
色々神々が出て来て伊邪那岐・伊邪那美に至ってようやく体が出来たのではないでしょうか?
そして何か出っ張りが…とか、窪みが…と言う話しになったと考えます。
神なのに不完全で、だから二人が力を合わせてお互いが補完される。そして生命が産み落とされる。

なんと日本的かと思いますね。

そしてこれが国歌「君が代」に繋がる訳です。
き=伊邪那岐、み=伊邪那美。
男と女がいて愛し合いお互いを補完し合い、そして生命が産み落とされる。
そしてその生命がまた生命を生みだし、そんな事が千代に八千代に、小さな小石が集まりやがて大岩となり、そこに苔が蒸すほどに繋がります様に。

き=男、み=女、君=あなた。
これは伊邪那岐神、伊邪那岐神の国生みを基に作られた壮大なスケールのラブソングなのです。
君=あなた。それは神々の総意で御存在する天皇陛下。
君=あなた。あなたは民。民は宝。大御宝。

こんな壮大な国歌を持つ国は日本ただ一つです。

そして世界がまだ国家と言う概念を持たぬ時代から国家を形成した世界で唯一の国です。

その象徴が天皇陛下です。
国民の総意。神々の総意なんです。

米議会演説を終えての戦略!

2015-05-02 15:11:15 | 草莽崛起
今回は連続シリーズから少し離れて草莽崛起カテゴリーにて。

米議会での安倍首相演説は成功しましたね。

良かった良かった!と、ばかりは言ってられません。

世界に向かって対等に渡り合うぞ!
と、宣言したわけですから、どう言う戦略を取るのか?
今後の日本は一体どうするのか?少し考えてみようと思います。

連続、古事記を摘んで日本を知る!はまだ続きますのでよろしくお願いします。

AIIB

これは相変わらず、どこの国のメディアか?
支那から金でも出てるのか?
と、思う程の報道振りですね。
アホです。
「バスに乗り遅れるな!」
支那共産党が運転する様なバスには絶対に乗ってはいけません!

こんなもの正体は支那が人民元を使って支那帝国を作ろうと目論む胡散臭さを通り越しヤバい銀行でトイチの高利貸しよりまだ酷い。
支那の思惑は軍事、通貨、金融で覇権を確立する為のものです。

日本はアメリカとの結束を基に跳ね返すことが現在は肝要です。
しかし、油断は出来ません。

支那のこの人民元帝国が如き戦略は日本に脅威をもたらします。
それは経済、ビジネス、外交面から安全保障にまで渡ります。

しかし、アメリカとて実利を見れば経済にとってプラスの面があります。
現在のアメリカにとっては支那はまだ安全保障面を見ても「スグそこにある危機」ではありません。支那人民元の対等が著しく避けては通れないならば支那と組む、日本を裏切る可能性はあります。

そうさせない為の一歩としては今般の首相演説は有効的でした。
対等にやり合うぞ!という姿勢は評価します。

日中戦争当時、日本軍の軍票や親日政権が発行する銀行券は実は信用度に於いては蒋介石国民党発行通貨「法幣」にかないませんでした。
それは英米の支援を受けていたこともあり精巧に作られていました。

日本軍は法幣がないと物資調達さえままならず、結果戦線拡大に至ります。

しかし、日本敗戦後に蒋介石はこの法幣を乱発してインフレを引き起こします。
これにより腐敗した蒋介石を見限った高度教育を受けた人材が共産党支配地域に集まり出しました。
この人材を使い共産党勢力は時間を掛けて人民元を支那全土に浸透させました。
国民党vs共産党は通貨戦争でもあったわけです。しかし、人民元など国内通貨程度の地域振興券並みの通貨です。
しかし、90年代初めに国際通貨を目指す!と決めました。
そして仕上げとして今般のバスになるのです。

何を入手するのか?

リーマンショック後、人民元を国際通貨に押し上げようとIMFに働きかけます。
IMFにはドル、ユーロ、円、ポンドを合成した帳簿上の通貨SDRを発行しています。

この通貨SDRを構成する通貨は何時でもSDRを通じて他の通貨に交換できます。
ですので世界の通貨当局や中央銀行は準備資産として組み込みます。
世界の企業や金融機関は安心してSDRで決済します。ですから、この構成通貨は世界に通用する通貨となるのです。
ドルは基軸通貨ですから原油や金融商品がドル建てで取り引きされます。
結果、各国はドルを尺度に為替取り引きをせざるを得ません。

ヨーロッパは第二の基軸通貨を狙いユーロを創設しました。これにより産油国は一時期ユーロ建てで原油を売ろうとしました。
イラクのサダムフセインは先んじてこれをやろうとしたところアメリカに駆逐されてしまいました。これにより実質ユーロ建て原油取り引きは潰えてしまいました。

支那が先ず目指しているのは人民元での取り引きです。産油国に対して人民元での取り引きを働きかけています。人民元なる地域振興券が国際通貨の仲間入りを果たせば産油国も受け入れるだろうと考えています。

安全保障面

アジア各国に人民元が浸透すれば支那の影響力が絶大なものになります。
刷りに刷りまくった人民元を資金にインフラ整備の名の基に港湾整備、石油パイプライン、鉄道を整備するでしょう。
港湾整備は軍港に、鉄道は人民解放軍をどこにでも送れ、パイプラインは切れ間なくエネルギーを得ることになります。
またASEAN諸国にも日本が出て来ないばかりに現在は支那頼み。ヤクザの脅しに屈する結果になっていますから支那資本を受け入れざるを得ません。これでは支那経済圏がアジア全域に広がってしまいます。

日本の影響力は小さくなり、企業や銀行は人民元で決済しなければならなくなります。
支那依存が強くなった国々を相手に外交しなくてはならず、ミリタリオプションを持たない日本は劣勢に立ちます。

金の話しではありません

一見金融の話しの様で日本にとっては安全保障問題なのです。
アジア諸国はヤクザの脅しに、ヨーロッパ各国は市場目当てに参加をします。
アジア諸国は安全保障面から参加、ヨーロッパは危機がないから参加。
そしてアメリカも利権拡大を目論み最終的に転ぶ恐れがあります。

前にもブログでアップしましたが支那は債務大国です。
日本は純資産世界一の国です。
安全保障面からも絶対にこの胡散臭い支那主導のサブプライム銀行を潰さねばなりません。

人民元経済圏などが出来てしまえば日本の安全保障は根底からグラつきます。

日本は支那の覇権主義を阻み、更に毎度申しています大東亜共栄圏を構築しアジアでの基軸通貨を目指してアジアの平和、安定を更に発展させなければならない。

力を背景に現状を変える様な国には決して勃興させてはなりません。
70年前あれ程の犠牲を払いアジア諸国を白人支配から独立させたことが水泡に喫してしまいます。
同じ有色人種が有色人種を支配するような事は絶対に避けなければなりません。

その為にも対米同盟は対等な同盟にし、ADB強化によりアジア諸国の発展に寄与しなければ世界の秩序は破綻しアジア諸国は当然ユーラシア大陸がチベットやウイグル、内モンゴルの様になってしまいます。

幸い今般の安倍首相演説はアメリカに与えた影響は小さくありません。
これを足掛かりに結束したアジアの安定、先達が果たせなかった夢を我々は果たさねばなりません。