小島と広島と私たち

島爺の倉橋島での農作業と,
広島を中心とした孫たちとのくらし

櫂伝馬は宮島へ

2010-06-07 22:31:31 | 島の生活
小用,切串間で休憩
 江田島から櫂伝馬を見送る・・・明9日(水)NHKで放映
 大崎上島を出発し,宮島に向かう“櫂伝馬”を6日(日)あさ,音戸ノ瀬戸で見送る予定であった。ところが前夜尋ねてくれた従弟と一杯やったのがたたって,起床が遅れた。
 急遽能美島から見送る予定で,早瀬大橋を渡り三高港まで一直線。ところが,目的の舟が見えない。そうか,艪をこいで進むから時間がかかるかと,引き返す。
 ただし,能美島で呉市に面した側には「秋月弾薬庫」,「C火薬製造工場」があって,海岸線の見通しには制限が加わる。
 地理,地形から小用に焦点を絞る。小用港から北上し火薬工場の手前で休息中の櫂伝馬を発見。やれやれ。
 動き始めた櫂伝馬を見送り,切串港へ。
待つことしばし。太鼓に合わせた櫂の動きが「トン,ト,ト,トン」のおとで洋上での休息に入る。
 30分漕いでは休息・漕ぎ手の交代というパターンらしいが,洋上で陽にさらされての重労働。桟橋手前の小舟では,青サギが不思議そうに太鼓の音に耳を傾けていた。
 大須港からは陸地を離れるから,櫂伝馬と2艘の伴走船の無事を祈りここで櫂伝馬とはお別れ。待つ間に拾ったツブ貝は,おかげで晩酌の肴になった。
 帰りは道を変え,『国立江田島青少年交流の家(俗に“青年の家”)』を経由,
海上自衛隊第一術科学校を眺めながら
しばらく南下すると,大型商業施設の集中する「飛渡の瀬」。江田島市4町のうち3町(江田島,能美,大柿)の接点となるこの地は,昔は人が飛んで渡れるような瀬があったに違いない。ホームセンターで山の畠で使う砂嚢袋などを買って帰宅。

 おだやかな凪の瀬戸内海,櫂伝馬も無事に宮島に到着しただろう。

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4 コメント

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TVみました (T/H)
2010-06-08 20:29:39
夕方TVでみました。大鳥居をくぐられた時は達成感で感動されたことでしょう。会長さんの若いのにおどろき、伝統行事を伝承しょうとの意気込み、すばらしいと感激しました。島兄さんのご友人と思い勝手にもう少し年配の方を想像しておりました。
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本人も町もすごい,です (島爺)
2010-06-08 23:28:53
彼との出会いのきっかけは,広島城でのフードフェスタで櫂伝馬に乗ったことでした。
私のように,島でも広島でも役立たずの老人も珍しいですが,
彼のように,離島にあって島興しに,町おこしに活躍し,
またそれを支援する町・地域もすごいです。
こうした若者を発掘し育てる土壌が大崎上島にはある。
この島を尋ねて,“豊だ”と感じたのは,こうした空気に触れたからでしょうか。
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ありがとうございました。 (啓志)
2010-06-09 21:52:15
「旅する櫂伝馬」の応援に駆けつけてくれていたのですね!
本当にありがとうございました。
応援してくれる人がいたからこそ、みんなで力を合わせて宮島まで漕ぎきることができました。
この企画に携わる人だけでなく、周りで支えてくれる人達みんなで掴んだゴールだと思っています。
これからも力を合わせて頑張ります。
今年の夏は是非、お孫さんと大崎上島の祭に遊びにきてください。
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お疲れ様でした (島爺)
2010-06-10 12:55:26
天候に恵まれすぎて,難儀な旅だったでしょう。
長旅でお尻の皮のむけた人もいたのでは?
ブログの更新がないので,おいしいお酒で3日酔い?と心配しましたが,
メディアにも注目され,苦労した甲斐がありましたね。
継続し,大きく育てて島を元気にしてください。
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