JA6VQA 日々新たに

趣味のアマチュア無線で海外との交信や写真などを中心に、日々感じることを書き綴ってみます。
 

軽井沢から八ヶ岳周辺

2015-09-13 12:18:36 | 旅行
 昨夜は羽田で帰りの便が遅れたために22時前に大分
空港に到着。それから自宅まで1時間ちょっとのドライ
ブでいささかくたびれました。
 入浴をすませると疲れがどっときて何もせず寝てしま
いました。

 軽井沢は朝から晴れて気温も低く、持参した長そでシ
ャツを引っ張り出しました。
 8時にバスは出発で、一般道を右手に浅間山を見てそ
のすそ野をグルーと回る感じで走りつ続けました。
 ようやく白樺湖が左手み見えてきます。

    バスより見えた白樺湖
 遠くに蓼科山、横岳などを背景に見る白樺湖は素晴ら
しい。九州では見ることだできない標高2000mを超
える山々の眺望はすばらしいですね。
 ビーナスラインと名付けられた観光道路をのぼると午
前中の見物個所の八島ヶ原湿原に到着。小1時間の自由
散策。湿原にわたされた木道を進みますが、いまは夏か
ら秋の花に切り替わるころか、花が少ない。この高い所
に広がる貴重な湿原も池と思える広さの水たまりが3ヶ
所。天然記念物に指定されている。

  八島ヶ原湿原

  数少ない花のアザミとせせり蝶

 諏訪のドライブインで名物の峠の釜めしを受け取り、
車中で食す。とにかく忙しい旅である。
 今度はJR線の日本一標高の高いところにある駅野辺山
に向かいます。

 1時49分発の2両編成のディーゼル車で一駅先の清
里まで乗車。
 沿線の途中で野辺山の直径45mのパラボラアンテナが
見えましたが、90度天を向いておりました。
 さて清里駅からまた先回りしていたバスに乗り、最後
の訪問です。

 一瞬車窓から見えた直径45mのパラボラアンテナ

 清泉寮 全く知りませんでした。何なの状態です。
 1925年東京と横浜のYMCA会館の再建委員の一人と
して初来日し、そのあと請われて立教大学で教鞭をとっ
たポール・ラッシュという人がいたそうです。
 第二次大戦のため強制送還された後GHQ将校として再来
日。
 ここ八ヶ岳の山麓が酪農に適していると開拓と農村の
復興に尽力した、その基地がこの清泉寮だったそうです。
 またポールが日本のアメリカンフットボールの父と言
われているのも初めて知りました。
 立教大学勤務時東京学生アメリカンフットボール連盟
を発足させ1934年11月に明治神宮外苑競技場で
日本初の公式試合を開催したそうです。、
 以前からなぜ「ライスボウル」というのか疑問に思っ
ておりましたが、1948年1月に全日本(東西選抜)
大会を明治神宮競技場で開催し、博士は軍服姿で始球式
を行い、日本人の主食にちなんで「ライスボウル」と名
付けたんだそうです。
 1961年、日本アメリカンフットボール協会はポー
ル・ラッシュ博士に「フットボールの父」の称号を贈り
、アメフト誕生50年を記念した1984年の第一回
全国選手権大会から「ポール・ラッシュ杯」が設けられ
最高殊勲選手に贈られていると初めて知りました。

 午後3時すべてを終了し、長坂ICから中央自動車道に
のり、一路羽田を目指しました。
 途中相模湖IC近くでの追突事故による状謡に巻き込ま
れ30分近くノロノロ運転が続きましたが、6時前には
羽田空港に無事到着。ツアー解散でした。
 今回の一泊二日のツアーは全国から羽田に集合し2台
のバスでまわりましたが、このくらいのスケジュールが
ちょうどいいですね。
 もう一泊と言われると「どーかなー」という感じです。
 天気にもぐまれ楽しい旅ができました。

 



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