沖縄・台湾友の会

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李克強前首相は知日派だったか?    安倍晋三を理解した一方で、小沢一朗宅にホームスティ

2023-10-29 22:25:32 | 日記
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
    令和五年(2023)10月28日(土曜日)
        通巻第7978号  <臨時増刊>
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 李克強前首相は知日派だったか? 
  安倍晋三を理解した一方で、小沢一朗宅にホームスティ
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 急死した李克強は心臓発作と言われるが、夏に敦煌を見学した写真をみると、健康そうで顔色も良い。台湾ではいちはやく暗殺説が行き交った。
 ホテルのプールで斃れたなどと報道されているが、ホテルも入院した上海の病院も厳戒態勢で、立ち入り禁止となった。

 李は安徽省合肥生まれで、戸籍上は胡錦濤と同じ、改革思想も同じ。経済学にあかるく中国経済の本質を知っていた逸話がある。
河南省書記時代に米国大使と会見し「中国の統計数字を信用しているのですか。われわれも信じていないのに?」。
「では何を指標としているのか」との米大使の問いかけに応じて、「電力消費量と貨物輸送量だ」とごまかせない数字を示したという。

 李克強は1985年に外務省の招待で中国青年団の副団長として初来日。新橋の中華レストランでの歓迎会に出席、この時は池田大作を訪問している。1992年には岩手県の小沢一郎邸宅にホームスティの経験がある。

 政治履歴は97年に中央委員、2002年に河南省書記、07年に二段飛びで政治局常務委員にジャンプし、将来の希望の星と言われた。
 胡錦濤政権の重鎮として八面六臂の活躍をしたが、胡錦濤政権の十年は江沢民院政であり、土壇場で江沢民は改革派を嫌い、習近平を指名した。
 2018年に日中友好40周年で来日し、安倍晋三と懇談、またトヨタを見学している。だが、かれは果たして知日派であったか。

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