最近、ずっと暗い。
落ち込んでいる。
自分が、何で生かされてるか、わからない。
小説家の三浦綾子氏は「神様は役に立たない人を活かしておられるほど愚かではない」とかつて書かれたが、私は何の役に立っているんだろう、と思っている。
明日明日70才を迎える母に、生活の一切がっさいを頼っている。
通院している病院は精神科(鬱)内科(糖尿病)、眼科(糖尿合併症の緑内障予防のため)、歯医者(顎のずれの矯正のため)、接骨院(腰痛)と、五つもある。この病院代だって馬鹿にならない。
加えて毎日の食費、生活費、全部母に頼っている。
そして、もう41才だ。
私は、先月教会でお証しをさせてもらった時も言ったが、人一倍真面目に生きてきたと思う。
特に、私の両親は男女の交際にはとても厳しかった。
だからかもしれない、私はいつ、どんな男性と結ばれるのだろう?とかなり期待をして青春時代を送ったと思う。
私は、ごく普通に結婚をし、赤ちゃんを産んで育てたかった。
私は高校生の育児の授業の時、実習で3~4歳児のワンピースを作った。
自分で脱ぎ着ができるように、ジッパーの前開きにして、レースの縁取りをし、胸元には小さなリボンを縫いつけた。
私は、以前の結婚の時、このワンピースを大事に持ってお嫁に行った。
女の子が生まれたら、その子に「これはね、お母さんが生まれてくる娘のために縫って大事に取っておいたんだよ」と話したかった。
けれども、子どもは授からなかった。
結婚して4年目くらいだったろうか。先輩の先生のお嬢さんが丁度3歳くらいの年になったので、そのワンピースを着てもらうように差し上げた。
とても悲しかった。
離婚をし、大好きだった学校の教員の職も辞し、洗礼を受けた。
いつか、神様に用いられる日が来ると信じていた。
7年たっても、仕事も、結婚も与えられない。
その間、友人の結婚、出産、教会員の方の婚約・結婚・出産・育児・・・・
幸せの風景を見ていた。
見ていながら、羨ましく思った。
今日教会の友達Sちゃんに電話して、最後に祈る時私は神様に本音を言った。
「神様、なんであなたは私を生かしておくのですか?私は今なんで貴方に生かされてるのかわかりません。貴方はちっとも私を用いて下さらない!仕事も、結婚も与えて下さらない!私は絶望の中にいます。この先希望も無いまま生きていくなんて耐えられない!私をなんで生かしておくのかはっきりと判らせて下さい!・・・・」
後はなんと言ったか、正直覚えていない。
祈りと言うより、怒りをぶちまけた。
神様に「ガンつけた」と言っても良いだろう。
私は、神様が怖い。
そして聖書に「どんな時でも感謝しなさい」と書いてあるので
どんな時でも「神様感謝します・・・」と言ってから祈っていた。
でも、今日は言わなかった。
「神様、あんたなんかに感謝しない!」そう言う気持ちだった。
クリスチャンのくせに、なんてヤツだと思う人は思ってください。
私は、待ち疲れた。
私の今の一番の願いは、結婚だ。
笑う人は笑え。
私だけを愛してくれるクリスチャンの配偶者が欲しい。
「子どもが産めなくても良い」と言ってくれる夫が欲しい。
あざける人はそうして下さい。
私の本音。
でも、なんだか、本音をぶちまけたら、気持ちがすーっとした。
その後Sちゃんが祈ってくれた。
「神様、シズコさんが今本当に苦しみの中にいます。シズコさんの祈りにあったように、どうぞシズコさんにわかるように、シズコさんが世の中に必要だとわかるようにわからせてください」
その後彼女は「あきらめちゃ駄目だよ。良いクリスチャンの伴侶が与えられるように続けて祈るベね」と言ってくれた。
Sちゃんは本当に良い人だ。良い友達。ありがたい。
Sちゃんは今、素敵なご主人の良き奥さんとして仕えている。
偉いなーと思う。
私は、このことを、今日ブログに書かずにいられなくて、書いたところ。です。
元気でいるのも、がんばるのも、もう嫌。
あー結婚したい!
いつも思っていた。
「なんで私より適当に遊んでずるしてる人がちゃんと結婚できて、子どもまで産んで、旦那さんに養ってもらってるなんて不公平だ!」
あー書いたら、少しすっきりしたような気がする。
けれども
これを書いた事で、私の結婚は、ますます縁遠くなった気もして、さびしい。
おわり。
落ち込んでいる。
自分が、何で生かされてるか、わからない。
小説家の三浦綾子氏は「神様は役に立たない人を活かしておられるほど愚かではない」とかつて書かれたが、私は何の役に立っているんだろう、と思っている。
明日明日70才を迎える母に、生活の一切がっさいを頼っている。
通院している病院は精神科(鬱)内科(糖尿病)、眼科(糖尿合併症の緑内障予防のため)、歯医者(顎のずれの矯正のため)、接骨院(腰痛)と、五つもある。この病院代だって馬鹿にならない。
加えて毎日の食費、生活費、全部母に頼っている。
そして、もう41才だ。
私は、先月教会でお証しをさせてもらった時も言ったが、人一倍真面目に生きてきたと思う。
特に、私の両親は男女の交際にはとても厳しかった。
だからかもしれない、私はいつ、どんな男性と結ばれるのだろう?とかなり期待をして青春時代を送ったと思う。
私は、ごく普通に結婚をし、赤ちゃんを産んで育てたかった。
私は高校生の育児の授業の時、実習で3~4歳児のワンピースを作った。
自分で脱ぎ着ができるように、ジッパーの前開きにして、レースの縁取りをし、胸元には小さなリボンを縫いつけた。
私は、以前の結婚の時、このワンピースを大事に持ってお嫁に行った。
女の子が生まれたら、その子に「これはね、お母さんが生まれてくる娘のために縫って大事に取っておいたんだよ」と話したかった。
けれども、子どもは授からなかった。
結婚して4年目くらいだったろうか。先輩の先生のお嬢さんが丁度3歳くらいの年になったので、そのワンピースを着てもらうように差し上げた。
とても悲しかった。
離婚をし、大好きだった学校の教員の職も辞し、洗礼を受けた。
いつか、神様に用いられる日が来ると信じていた。
7年たっても、仕事も、結婚も与えられない。
その間、友人の結婚、出産、教会員の方の婚約・結婚・出産・育児・・・・
幸せの風景を見ていた。
見ていながら、羨ましく思った。
今日教会の友達Sちゃんに電話して、最後に祈る時私は神様に本音を言った。
「神様、なんであなたは私を生かしておくのですか?私は今なんで貴方に生かされてるのかわかりません。貴方はちっとも私を用いて下さらない!仕事も、結婚も与えて下さらない!私は絶望の中にいます。この先希望も無いまま生きていくなんて耐えられない!私をなんで生かしておくのかはっきりと判らせて下さい!・・・・」
後はなんと言ったか、正直覚えていない。
祈りと言うより、怒りをぶちまけた。
神様に「ガンつけた」と言っても良いだろう。
私は、神様が怖い。
そして聖書に「どんな時でも感謝しなさい」と書いてあるので
どんな時でも「神様感謝します・・・」と言ってから祈っていた。
でも、今日は言わなかった。
「神様、あんたなんかに感謝しない!」そう言う気持ちだった。
クリスチャンのくせに、なんてヤツだと思う人は思ってください。
私は、待ち疲れた。
私の今の一番の願いは、結婚だ。
笑う人は笑え。
私だけを愛してくれるクリスチャンの配偶者が欲しい。
「子どもが産めなくても良い」と言ってくれる夫が欲しい。
あざける人はそうして下さい。
私の本音。
でも、なんだか、本音をぶちまけたら、気持ちがすーっとした。
その後Sちゃんが祈ってくれた。
「神様、シズコさんが今本当に苦しみの中にいます。シズコさんの祈りにあったように、どうぞシズコさんにわかるように、シズコさんが世の中に必要だとわかるようにわからせてください」
その後彼女は「あきらめちゃ駄目だよ。良いクリスチャンの伴侶が与えられるように続けて祈るベね」と言ってくれた。
Sちゃんは本当に良い人だ。良い友達。ありがたい。
Sちゃんは今、素敵なご主人の良き奥さんとして仕えている。
偉いなーと思う。
私は、このことを、今日ブログに書かずにいられなくて、書いたところ。です。
元気でいるのも、がんばるのも、もう嫌。
あー結婚したい!
いつも思っていた。
「なんで私より適当に遊んでずるしてる人がちゃんと結婚できて、子どもまで産んで、旦那さんに養ってもらってるなんて不公平だ!」
あー書いたら、少しすっきりしたような気がする。
けれども
これを書いた事で、私の結婚は、ますます縁遠くなった気もして、さびしい。
おわり。