Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「戦場でワルツを」アリ・フォルマン

2009-12-08 20:50:53 | cinema
戦場でワルツをVALS IM BASHIR
2008イスラエル/フランス/ドイツ/アメリカ
監督・脚本:アリ・フォルマン
アニメーション監督:ヨニ・グッドマン
音楽:マックス・リヒター


アニメ大国的観点からするとやや荒いつくりに思えるアニメーションであるけれども、アニメは絵柄がリアルであるかどうかではなくテーマや世界像にマッチしているかどうかが重要なのもまたいうまでもなく。
冒頭から夢の世界を描いてみせるこのアニメーションは、夢と限りなく同系である記憶の探訪の道を行くこの映画によくマッチしたほどよくギクシャクした質感を提示してくる。

中東問題という大括りの傷を見据えつつもテーマは極めて個人的な、特定の日の大虐殺の記憶、抑圧された記憶をたどり掘り起こすということのみに限られる。語られ伝えられるという象限の裏に、戦争は人にとってどのようなものを残してゆくのか。無数の語られない傷が人間の意識化に蓄積されていることに思いを馳せる。

繰り返し再現される夢や記憶、フラッシュバックを映像として提示することで、我々もその境界線上を生きる。現実感/非現実感の間を行き来する主人公の感覚をアニメーションはよく伝えてくれる。再現されるたびにビジョンは脈絡を得て、その意味を変えてゆく。そして最後には現実と地続きの映像として収斂した記憶像が示される。それが成功しているかどうかは意見が分かれそうであるが、監督の実体験に基づく作品の終わりとしてあのスタイルしかありえなかったのだろうと想像する。

戦闘場面などは戦争映画などで目にする激戦とは程遠く、言葉は悪いが地味である。しかし一瞬ごとの恐怖は恐ろしく深い。組織化された暴力においてはいくらでも大義名分が立つだろうが、それを個に突き詰めていけばどこまでも生の意志に反した愚行でしかない。大義名分において個人主義が危険な理由はそれであり、この映画はその危険を侵している。

****

そういう映画をイスラエルが製作し、しかも各地の映画祭に出品しているというのは、なにか意外な気がする。ある種の対外的柔和対策なのかと思わなくもない。イスラエル兵士だって人間的な葛藤を持ち、虐殺ばかりしているわけではないというアピールであるとか?
先ごろ話題となったエルサレム賞においてもそうであったが、民間では意外と多様な考え方を公にできる国家なのかもしれない。
ヘブライ語の耳慣れない響きも新鮮だったが、あの国の感覚をいまひとつ理解していないワタシである。

陰惨な場面にバッハーグールド風の音楽を付けるなど、若干陳腐な表現も気にはなり。『スローターハウス5』を思い出したりして。

音楽は今風のビートサウンドの部分はともかく、静かなノイズを使ったトラックなどはなかなかよく。サントラを探しているが今のところなく。マックス・リヒターってあのリヒターと同姓同名じゃん。

「豆コロッケ」で一儲けした仲間が出てくるが、豆コロッケとはファラフェルのことですね。発音は「ファラフェル」と言っていたが字幕は「コロッケ」となっていた。->パリ記参照。

声もアリ・フォルマンがやっているそうですね。


【追記】
サントラ普通にありました^^;
Waltz with Bashir

EMD Int'l

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2 コメント

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 (とらねこ)
2009-12-10 17:31:54
こんにちは。
>戦闘場面などは戦争映画などで目にする激戦とは程遠く、言葉は悪いが地味である。しかし一瞬ごとの恐怖は恐ろしく深い

これまで戦争映画が普通に描いていた衝撃的な映像とは全然違っているところが面白かったです。
個人レベルの、自分の「内部」に起きた戦争体験でしたね。
 (manimani)
2009-12-10 22:57:01
☆とらねこさま☆
コメありがとうです。
戦争における「内部」という感じですかね。

ちょっと思いましたがあのワルツの場面て、実写じゃ撮れそうにないですよね。あの優雅さと夢に出てくるような非現実感だけど実は現実っていう感じ。

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