J’sてんてんてまり

はじまりは黎明期。今は、記憶と記録。

サムライofアユタヤ

2007年10月07日 | しぞーかだもんで

タイのスパイシーな香りと、アジア音階の音楽が聞こえてくる。

静岡浅間通り商店街で、長政祭りがあった。

美しい楽器が並んでいる。

日タイ修好120年を祝し、タイから長政祭りに訪日したメンバーの楽器。

雅楽に使われる楽器の装飾を髣髴とさせる。宮廷舞楽のためにしつらえられているのだろう。















三本の弦は三味線にも似るが、形は琵琶をも思わせる。

演奏している様子は、こんな。



木琴は、外して使っている。

何ゆえ、静岡市の浅間通りで、タイとの交流化と言えば、この人の生家があるからである。




山田仁左衛門長政。

天正18年西暦1590年ごろ、駿府馬場町の紺屋に生まれる。

大御所が駿府城に入場した慶長12年1607年ごろは、沼津藩主、大久保治右衛門忠佐の専属の駕篭かきだったという。
17歳でか。。。。
体力も体格も優れ、一文180センチとも伝えられる。これは、偉丈夫な。。。。

やがて、慶弔17年1612年ごろ、駿府からの貿易船に便乗してシャムに渡る。

大御所は、駿府の地で朱印状を発行し、外交政策を施していた。
海外からの使節も多く、城下の豪商には、海外との交易を我こそ計らんとした気運が高かった。

さて、シャムでの長政については、オランダ、ハーグの公文書館から発見された「シャム革命史話」に詳しい。
これは、長政が後に貿易商戦で勝利を勝ち取ることになる東インド会社のアユタヤ駐在商館長の報告。

当時は、アユタヤ王朝の時代、国際的な東西の海路の中継地賭して、重要な拠点になっていた。
季節風次第の航海に、風待ちの各国の人々が集まる外国人街があり、日本人町もそこにあった。

豊臣残党の水軍や、逃れ始めたキリシタンが町を形成し、アユタヤ郊外の日本人町には、
多い時には1500人、3000人、8000人といった邦人がいたらしい。

長政は、ソングダム国王の傭兵として、日本人義勇軍を組織し、内戦や紛争に活躍する。
その様子が、浅間神社の奉納された「十七世紀に於ける日本山田長政義勇軍行列の図」。




かくして王の信任も篤く、人望も篤い青年は、更に、貿易商としても大活躍する。
かの東インド会社が、勝算なしとして撤退したというのだから、賞賛だ。

元和7年1621年には日本人町の頭領となり、日本とタイとの国交にも力を尽くす。
この頃、既に長政は、アユタヤ王朝から貴族に叙せられている。
5年後、寛永3年1626年、王室から官位を与えられ、軍神を意味する「オークプラ・セーナピモック」と呼称されるようになる。

強くて、血気盛んで、賢くて、商才もあり、当然ながら語学の才、人心掌握の才、人情や勇気、礼儀も兼ね備えていたのだろう。
とても豊かな天賦の才は、渡航したからこそ、発揮できたのだろうと思う。
当時の平和になり始めた日本では、彼の才は、疎まれこそすれ、認められないものだったかもしれない。

更に2年後の官営5年、最上位の簡易であるオークヤー・セーナピモックに昇進。

しかし、翌年、王の崩御によって王位継承の構想が起こり、大きな発言力を持つ長政は、巻き込まれてゆく。

兄弟を優先とするシャム古来の優先順位に習わず、嫡男の即位をと考えていた亡き王の意向を踏まえた派閥に組し、
先王の弟を抱く派閥との実力抗争に、一時は勝利するものの、そこから状況は一転してゆく。

嫡男を即位させた勢力の長の画策により、嫡男の処刑、長政進言による第2王子の即位、紆余曲折、
リゴール王に推挙されて、内乱状態のリゴール平定を、日本人義勇軍2000人により成功させる。
しかし、事実上、影響力の強い長政を、アユタヤからはるか南に蟄居させたに近い処遇だった。

その間、長政が仕えた王の系譜は、わずか10歳の新王が在任38日で殺害され、終幕を迎える。
知らせを受けた長政は、もちろん、謀反征伐に乗り込もうとするが、
リゴール内乱の元凶である隣国との戦闘で受けた矢の傷が悪化し、生涯を終えた。
寛永7年1630年、長政40歳といわれている。

*以上、長政祭り実行委員会のまとめによる小冊子参考。


タイで、山田長政の物語の映画が制作されている。
[YAMADA サムライofアユタヤ」というタイトルらしい。

今日の長政祭りには、監督の浅間通り商店街に当てたメッセージが流れていた。
また、タイで行われた主役の在タイ日本人男優のトークショウとサイン会の様子も観た。
映画では、長政の生涯ではなく、タイに渡ってからの彼に焦点を当て、アクションシーンを多用した作品になるらしい。

そのプロモーションビデオは、とても美しかった。


持てる己の命を、輝かせた人、山田長政。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あれ~ (コニタ)
2007-10-08 09:40:08
一日いたのに会いませんでしたねぇ。

でも、昨日はホント、いろんな人と久しぶりにあって、沢山話をしましたよ。


ダンスも演奏もよかった。
映画の予告編、かっこいいですよね。
来年は内容の見えるようなやつが上映されるみたいです。


どんどんいいお祭りになっていく。

どこぞの公金大量投入一過性イベントとはえらい違いです。
あらら。。。 (本人)
2007-10-08 23:41:38
和服姿のご夫妻には遭遇しましたけどねえ。
他にも、久しぶりの友人とか、カメラマンとか。。。
残念でしたわ。

映画、楽しみですね。
タイの映画、レベル高そう。出来上がりに期待したいです。
カンヌにも出品したいらしいけど、どうなんだろ。
来年の行列の長政役は、主役の大関正義さんが来てくれたら、なんてほのかに恋心です。ア、今年の人も元気よくて堂々としていてよかったです。
とにかく、天気が持ってくれてよかったですね。
依頼の件 (邱如奕)
2015-12-21 23:56:24
 突然すみませんが、國立台灣大學數位人文典藏中心(Research Center of Digital Archives)の助手の邱と申します。
 
 こちらは台湾の中学生向け、非営利の歴史ウェブというプロジェクトを行っています。その中に、「十七世紀における日本山田長政義勇軍行列の図」という図をウェブに掲載したいです。あなたのブログで、撮影した写真を拝見しましたあと、写真の授権について相談したいです。良かったら、ご連絡いただけませんか。こちらのメールはb99103049@ntu.edu.twどうぞよろしくお願い致します。
邱如奕さま (本人)
2015-12-22 11:32:43
メールいたしましたのでお読みください。

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