まずは近所の薬局へ。
店内に入ってぼ~っと歩いていたら、私に向かって手を振る女性が・・・
って、従姉のおねぇちゃんぢゃんっ!
同じ町内に住んでいながら、なかなか会わない従姉。
二ヶ月前の父の葬儀のときに、いつの間にかおばぁちゃんになっていたことが判明。
でも私にとっては、いつまでも高校生のお姉ちゃんです。
従姉の実家は、わが母・ゆくのんの実家でもあり、私が産まれた時の事を覚えていてくれている大切な人。
父も亡くなり、私を産んだゆくのんも認知症になった今、私の幼い頃のことを覚えていてくれている人の存在は、私にとってとても励みになります。
先日会ったゆくのんは、血圧も安定し食欲も一時期よりは出てきたようで、少し前と比べると落ち着いていました。
でも、いつもこの状態という保証は無い。
二ヶ月前に父が亡くなってから、ずーっと気持ちが晴れない。
それは頭の中からゆくのんの事が離れないから。
私にとって『父の死』は、一年前からある程度覚悟していたことで、こうゆう言い方はとても親不孝かもしれないけれど“悲しくは無い”
ただ『父の死』の向こうにある、そう遠い未来ではない『ゆくのんの死』を意識してしまった。
ゆくのんが施設に入所して、来月で一年になる。
入所してすぐは「家に帰りたい」「ここに居たら頭が変になりそう」と、面会に来た私に訴えていた。
どんなに立派な施設でも、どんなに優秀なスタッフが居ても、入所しているゆくのんが受け入れなければ、そこは“姥捨て山”と一緒なのだ。
週に三回、多いときで四回、ゆくのんに会いに行き、毎回そうゆう言葉を聞いているうちに、どんどん辛くなっていった。
夏を過ぎた頃、面会を週に二回にしても、施設に行こうとすると気持ちが悪くなる。
電車で約十分の距離なのに、電車に乗っていると頭が重くなる。
施設のにおいを嗅ぐと、ますます気持ちが悪くなり、ゆくのんが居る階に行くためにエレベーターに乗ると、何度も吐きそうになった。
面会を週に一回にして、洗濯も施設にお願いするようになった今でも、長い時間電車に乗るのが苦痛になってきた。
元々乗り物は得意ではなかったけれど、混雑した電車はモチロン、空いている電車やバス、車に乗って目的地まで無事に到着できるのか自信が無い。
だから今は、なるべく平日に一人で出かけるようにしている。
いつ大丈夫になるのかはわからないけれど、トリアエズ今はリハビリ中。
もう少ししたら、また着物で電車に乗ってみよう。