柳は緑、花は紅

ありのままのすうざん

大変ご無沙汰しております。

2010-02-14 13:09:10 | Weblog
ぇえ~っと、何の前触れも無く、暫くブログをお休みして、ご心配をおかけしております。

何からお話してよいのか分かりませんが、まず、先月末にわが実家に起こったことからお話しましょう。


先月半ば過ぎ、二週間にも及ぶ、ヒゲ君の夜勤が終わりに近づいたある日の夜、実家の兄から電話がありました。

「親父が脳梗塞で緊急入院した。今回は言葉が出ない」

過去に二度、この手の病気で入院している父ですが、今回はちょっと深刻かも。

母のことが心配になり、次の日に連絡したけど、突然のことで少し心細げでした。

実の娘としては、一刻も早く、入院している父の様子も見に行きたいし、一人で家にいる人一倍寂しがり屋の母のことも気になるところですが、ヒゲ君の勤務がいつもの夜勤と違い、なかなか私の時間が取れないまま、3日が過ぎました。

ようやく父の見舞いに行けたのは、日曜日のお昼。

連日早朝四時起きでしたが、割と元気な父の顔を見たら、少し落ち着きました。

でも、言葉が話せない父との対面は、覚悟をしていたとはいえ、ショックでした。

病院を後にしたのは二時間後、実家の母に電話をしたら、やはり「一人で寂しい」と言っていたけれど、体力的にも精神的にも疲れていた私は、そのまま実家に寄らず帰宅しました。

母の身に異変が起こったのはその夜の事。


ずーっと一緒だった夫が入院し、同居している息子は会社と父の病院先との往復で、なかなか家におらず、娘である私も会いに来ない状態が、『一人で留守番をする事を最も嫌う母』には耐え切れず

母の心が壊れてしまいました。


日曜日の夜、帰宅した兄・タイ君を、赤の他人の「ニイミ君」と呼び、錯乱状態で興奮していると言う。

なんとか宥めて落ち着かせたけれど、月曜日には兄は仕事に行かねばならず、急遽、近くに住む母のお友達にお願いし、月曜日の朝に来てもらうことにしました。

その連絡を受けた私も、月曜日に実家へ。

すでにお友達が来てくれていて、ご機嫌だった母を見たときは、これから始まるいろんな出来事を予測できませんでした。

もともと物忘れがあった母ですが、日にちや曜日に対して認識が無く、何度も聴いてくる。

過去の思い出と最近の出来事がゴチャゴチャに。

そして、父が入院している事を忘れ、「今出かけているから夕方に帰ってくる」と言い出す。

これは、医学的に素人の私でも分かります。


認知症。

母の認知症については、昨年の秋くらいから(ちょっとおかしいかも)と疑っていて、お正月に会ったときも、ちょっとチグハグな会話になるので、そろそろどこかに相談しようとしていた矢先に、突然父が入院してしまい、母の心のバランスが崩れてしまったようです。

それからの一週間は、実家へ通い続け、身の回りの世話や話し相手になり、一緒に過ごしていました。

このとき初めて知ったのですが、母は殆ど家事が出来なくなっていたのでした。

その母のフォローを父がしていて、ナントカ暮らしていた様子。

兄とも相談して、母をちゃんと診察してもらう事に。

丁度、父が入院している病院で受診してはどうか。とアドバイスをいただきましたので、お見舞いを口実に母を連れ出しました。

このときに相談に乗っていただいた葉さんには、本当に感謝しています。

父のお見舞いを済ませ、ナントカ母を神経内科へ。

とても優しい先生で、母はかなりお気に入りでしたし、次回も会う約束をしていたので、ちょっと安心。

この週は、朝10時~夕方四時まで実家に。その後は兄が。

週末の土曜日は、兄の予定が詰まっていて、家にいる時間が無いとのことでしたので、私が泊まりに。

ようやく母も落ち着き、私も久しぶりの実家に慣れた頃、面と向かって母に言われました。

「私はあなた(私)を産んだ覚
えが無い。そもそも娘を産んだ記憶が無い」と



いつかはこう言われる日が来るとは思っていましたが、まさか今とは・・・

それでも暫くすると思い出しましたけどね。


私が毎日実家にいる事、少し前から母の言動がちょっと尋常ではない。という事にご近所の方が気が付いて、いろいろ心配してくれてまして、私たちが居ないときに気にかけてくれているようです。
実家は古い団地ですが、何となく長屋っぽいご近所付き合いがあって有難いです。

その後、認知症についての情報をいろいろと仕入れ、その人なりにパターンがあることを知りました。

こちらが落ち着くと母も落ち着くようで、私のことは娘と認識し、兄の事を『ニイミ君』と呼ぶ事はなくなりました。

あ、一度だけ、長い時間に一人にしたら、やはり『ニイミ君』になっちゃいましたけど。



兄は仕事をしながらも、住んでいる地域の福祉サービスに連絡し、これからの母の介護について打ち合わせを重ねて、ようやく明日から介護ヘルパーさんが、夕方の二時間だけ来てくれる事になりました。

わが実家のように、両親が同時にこうゆう状態になる事はあまり無いようで、介護保険の上手な使い方をいろいろアドバイスしてもらったり、ケアマネージャーさんが心配して頻繁に顔を見せてくれたりと、いろんな方に協力してもらっています。


ある日、兄が言いました

「俺は親の犠牲にはなりたくない」

この言葉を聞いた時は「なんて冷たい言葉だろう」と思いましたが、やはりこのまま兄妹で両親の介護を続けるのには限界があるし、現に私も毎日この生活を続ける事は、経済的にも肉体的にも無理だというのは分かっている。

でもどうしても気持ち的に「私が母の世話をしたい」と思ってしまう。

久しぶりに母と長い時間を過ごしているせいか、忘れかけていた“情”が沸いてきて、そんな感傷的な気持ちになったんだと思う。

母がこんな状態になって最初の一週間は、あまり眠れず食欲も無く、ただ毎日あっちの世界に行ってしまった母が心配で、冷静な判断が出来なくなっていたんだと。

でも今は、このままでは母にも兄にも私にもよくないと理解し、メソメソするのも止めて、どんな生活が一番よいのかを考える事にしました。

介護の優等生

になるつもりはありませんが、これからは無理をせず自分ができる事をしていくことにします。

まだまだこれから、母が新しい生活に慣れるまで安心は出来ませんが、お互いに落ち着いてきた頃、また“普段着物生活” に戻りたいと思っています。


あ、その後の父ですが、医療的な治療は終了し、リハビリに集中しています。

言葉は戻りませんが、兄が今の母の状況を説明したら「こまったなぁ」と、誰にでも分かるはっきりとした言葉でつぶやいたそうです。

もしかしたら在宅での生活は無理と言われた父ですが、実家に帰ることが出来るかもしれません。

今回の事で、いろいろと相談に乗っていただいた方、お約束していたお出かけが出来なくなってしまった方、心配してお電話をしていただいた方、本当にありがとうございました。

またこのブログに、自分の着物姿をご披露できる日がいつになるか分かりませんが、必ず戻ることをお約束して、もう暫くお休みします。

では皆様、ご両親を大切に。