元サラリーマン大家!山田里志のリタイア徒然記

元サラリーマン大家の山田里志が、主に海外暮らし中の更新用に新規開設したブログ(徒然記)です。よろしくお願いいたします。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

小説人間革命には書けない真実の池田大作!!

2015年10月16日 | 創価学会

まじめな創価学会信者に知られたくない池田大作の過去!一流の悪徳高利貸しだった、小説人間革命には書けない真実の池田大作!!

http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n141763

ライターgakkaiowattaさん(最終更新日時:2013/11/18)投稿日:2012/12/27

蛆虫池田は高利貸しとしては一流だったようだ!

 大蔵商事 池田大作.jpg戸田氏は、終戦を挟んで2度、自分の事業に大きな失敗をしました。(もっとも、雲雀〈ひばり〉という戸田氏の渾名〈あだな〉が物語るように、戦前の彼は何度か失敗を繰り返したそうですが)。
1度目は、治安維持法違反による逮捕・入獄、2度目はドッジ・ラインのために銀行の超貸し渋りにあい、運転資金が底をついてしまったことによります。つまり、時代があまりにも悪かったせい、といえるでしょう。
ところが、昭和25年6月に朝鮮戦争が勃発(ぼっぱつ)して、まず大企業が特需景気に沸(わ)き、ドッジ・ラインもなしくずしに解消していき、その年の秋 には好景気の余波が中小企業をもうるおすようになります。戸田氏は、破産した東京建設信用組合の後始末に追われながらも、密(ひそ)かに新しい金融会社・ 大蔵商事を設立しました。
初代代表役員は矢島周平氏(当時は『大白蓮華』の編集長)、専務理事(兼金庫番)は※森重紀美子さん、営業部長は池田大作氏(当初は1人の部下もいなかったそうです)という顔ぶれで、実質上社長である戸田氏は「顧問」に就(つ)きました。
この新金融会社は「時を得て」今度は成功していきます。
(中略)
大蔵商事は(前の東京建設信用組合も同様でしたが)、現代の消費者金融の走りのような会社で、銀行よりも高い金利で出資者から借り受け、当然のことながら、それをさらに高い金利で貸し出すものです。
当時をよく知る学会員の話などから、大蔵商事の利子は月3歩(年利36%)で借りて、月5歩(年利60%)~7歩(年利84%)で融資していたと思われます。
これがいかに途方もない高利であったか、4、5年前まで良心的な(?)消費者金融の利息の上限が29.9%(現在は20%まで)に抑(おさ)えられていたのと、比較してみてください。
ある時私は、1年複利で百万円を借りたとして、年利3%の銀行と、年利28%の高利貸しとを比較して、十年後の利息がどうなるかを計算して仰天したことが あります。銀行の場合は、元利を合せて134万円にしかなりませんが、高利貸しの場合は1,180万円、なんと、借りた額の十倍以上のお金を返済しなけれ ばならないのです。
まして、消費者金融で普通に行なわれていた半年複利だと、借りた分の十数倍ものお金が高利貸しの懐に入ることになります。
それゆえ、年利60%以上を取るような商売は、失敗しても成功しても、たくさんの人を泣かせる結果になるのです。特に、貸し金取り立てには、寝ている病人 の蒲団(ふとん)をもはぐことができるような、冷酷無慚(れいこくむざん)になれる人材が必要になります。そして池田大作営業部長は、高利貸しにはぴった りの人材なのでした。
当時を回顧して、池田氏は次のように述べています。

「大蔵商事では一番嫌な仕事をした。どうしてこんな嫌な仕事をするのかと思った」(社長会記録)

と。また、

「事業のことで、戸田先生の苦境でずい分苦しんだ。(中略)金融会社(※束京建設信用組合のこと)の時ずい分恨(うら)まれた」

とも述べています。(中略)
戸田氏が、鬼の所業のような貸し金取り立てを行なうためには、その豊かな教養と愛情が邪魔をしていたと思います。一度は莫大(ばくだい)な借金を背負いながら、わずか数年の間に盛り返すことができたのには、池田氏のような「人材」が必要不可欠でした。(以下省略
創価敵対サイトから以下コピペ

※金庫番、森重紀美子戸田の公然の愛人であり、戸田との間に子供をもうけていた。


この時代は金利無法時代で今ではヤクザでもつけないほどの金利で貸付し、剥がしまくっていた!
昭和29年に利息制限法が改定されたが、それでも上限金利(年率)109.5%というべらぼうな高利だった!
ちなみに現在の上限金利は29.2%(文中29.9%は誤り)

蛆虫池田が大倉商事を舞台にのし上がった時代は悪徳高利貸しにとって天国のような時代だったのだ!


 フトンをはがす.gif暴利を貪る悪徳高利貸しに私情は厳禁だ!!

蛆虫池田が学会を手中に収めてからの集金力とセンスはまさにこの時代に培ったものだが、後の並々ならぬ莫大な金を蓄財した実績は、天賦の才があったと認めざるをえないだろう!

資料添付

池田営業部長、色と欲の二筋道

 大蔵商事のスタートの話から、いきなり今日の結論の話へと飛んでしまったが、それは昭和三十四年に入信し、昭和四十五年に創 価学会本部中枢に入った私が、なぜこの会社とかかわりを持ったかということを説明するためである。本論は、あくまで、池田大作が大蔵商事で何をやったかで ある。

 「要するに、金を持っていそうな学会員に目をつけて金を借り、それを貸しつけて利ざやをかせぐ仕事でした」  「池田先生は、金を借りてくるのが実にうまかった。」  森重章は、私に語った。  裕福そうな学会員、或いは、学会員の紹介で資産家のところに、池田大作と中西治雄がしげしげと通い、  「月三分(年利三六%)の利息を払います。どこに預けるよりも有利ですよ」 と言って言葉巧みに出資を勧誘した。

 その頃の二人は、二十二、三才。さっぱりと刈り上げたヘアスタイル、地味だがキチンとした身なりで、誠実さを演出した。  東京安全信用組合の時代は、世間のだれも金を出してくれなかったが、〝創価学会〟をバックに、  「実は、戸田先生の事業です」 といえば、話は違った。  創価学会では、戸田城聖の権威は絶対的である。しかも、創価学会の背後には、富士山麓に七百年の歴史をほこる日蓮正宗大石寺の存在がある。

 池田大作には、さらに、奥の手があった。  森重章はいった。  「役職や議員バッチの効き目は抜群でしたよ。私には、そんな権限はない。」  気前良く出資してくれた学会員は、後に戸田城聖に進言して無条件で創価学会の幹部に登用し、そして市会議員、町会議員等に推薦するのである。  軍隊組織をまねた創価学会において、幹部は絶大な権勢を振るう。特に〝大幹部〟といわれる、支部長以上、部隊長クラス、それと同格の監事クラスになる と、数百、数千の会員の上に君臨する。一つ階級が違えば、下の者は上の者に絶対服従させられる。幹部達にとって、会合のとき壇上の〝ヒナ壇〟に上れるか否 か、序列はどうかということは、最大の関心事の一つである。  会員の信仰心と日蓮正宗の信徒団体としての創価学会への信用、そして役職や議員の肩書きによる欲望の刺激の効き目は池田大作自身驚くほどであったらし い。

〝葉っぱをお金にする〟の〝葉っぱ〟とは、他ならぬ〝宗教〟〝会員の信仰心〟のことであったわけである。  池田大作の営業に協力したおかげで本人や息子らが創価学会で出世したり地方議員になったりした例は、神奈川県のY氏一家をはじめ数え切れないほどいた。  とりわけ顕著だったのが、埼玉県大宮市の松島勇氏一家であった。  国鉄大宮機関区に勤めていた松島氏は、池田大作の勧誘に応じて出資に応じたばかりか、機関区の仲間や同僚達に働きかけてその退職金や共済金までも出資さ せることに成功した。大蔵商事にとってその利益は、一時は決定的といえるほどで、池田大作は、この仕事の成功で、大蔵商事の中心者にのし上がったのである。  松島氏は、やがて支部長、理事、副理事長と出世し、創価学会の推薦で大宮市の市議会議員に出馬、当選した。  松島氏は、組織のオルガナイザーとしては最低で、いつもトラブルをおこしており、その収拾に、北条浩ら最高幹部は手を焼いたが、松島氏がどんなにヘマを やろうと、また不公平、不正を働こうと、更迭されることはなかった。池田大作が、更迭を許さなかったのである。

 池田大作は、中西治雄と二人で、そしていつの間にか単身で、仕事にかこつけて松島家に足しげく通うようになる。  松島家には、当時の創価学会内で有名だった才媛が二人居た。姉が郁子さん、妹が通子さんである。姉は、藤原行正氏(元公明党東京都議会議員、同都議会幹 事長、後に池田大作に造反)に嫁ぎ、妹は、現在、渡部一郎(元公明党代議士)の妻である。  池田大作は、とりわけ妹の松島通子さんに気があって、通子さんの方もまんざらではなく、やがて二人は深い仲となった。  通子さんには、当時青年部長だった辻武寿も執心で、同氏が松島家を訪れ、通子さんの手を取ってメンメンと口説いていたところを婦人の信者に目撃されてい る。

 だが、創価学会での役職がはるかに上の辻氏を打倒して池田大作は、恋の勝利者となる。その勝因は、池田大作の〝金力〟であった。  この頃、二十三、四才の池田大作の月給は、月二十万円であったという。当時の総理大臣の月給が十一万円で、国家公務員の初任給が七千六百五十円であっ た。  ちなみに、私がそれより十数年後に司法修習生になった時の月給が、特別手当を加算しても二万七千円であった。それでも人にうらやましがられたし、弁護士 になって、月収十万円にこぎつけるのに、二年ばかりかかった。

 現在の価値に換算するとどのくらいになるだろうか。おそらく、五百万円は下らないのではなかろうか。  さらに、社長会記録(六十九年六月一日)によれば、 「三年かかってかせいだ歩合のお金。私の貰い分が二百万。今(昭和四十三年~四年頃)の金にすると数千万円になるな。それで先生(戸田氏)の借金を返した」 という。  池田大作は、この金を、創価学会のこれはという幹部を手なづけるのに使う、そしてまた、目をつけた女性を落とすためにつかった。

 当時、松島氏宅の三畳間で、池田大作が素っ裸で仁王立ちになり、通子さんにタオルで身体をふかせていたところを小沢よねさんら二人の婦人会員に見られて いる。

二人は、この事実を〝月刊ペン〟事件のやりなおし裁判の法廷で証言したが、創価学会側は通子さんの弟らに偽証させて、  「三畳間など、当時なかった」 と主張し、二人の証言を弾がいした。裁判所は、なぜか二人の証言を正面をから取り上げずに隈部氏に有罪を宣言した。

 だが、後日、造反した竜年光氏(元創価学会総務、公明党東京都議会議員、都議会副議長)は、  「私は、当時、松島氏の選挙の応援などで松島家に行っているが、三畳間はたしかにあった」 と証言している。  また、通子さんの姉、郁子さんの夫、藤原行正氏は、私に、

 「〝月刊ペン事件〟の時、私は学会本部によばれ、秋谷氏(現会長)、八尋弁護士(現副会長、ルノワール絵画疑惑の中心人物)らから、〝三畳間なかった〟 という偽証をたのまれが、〝私はわからんし、女房や母は、法廷に出たら何を言うかわからんですよ〟と答えたら、あきらめて、弟にたのんだ」 と語っている。


 色と欲の二筋道を共に満足させてくれる大宮市の松島家は、池田大作にとって〝極楽〟の地であったに違いない。


 戸田城聖は、愛人の柏原ヤスさんを参議院議員にしたが、池田大作はこれにならって後日、愛人の通子さん を衆議院議員にしてしまった。  これも、池田大作流〝アメとムチ〟の論功行賞の典型であり、創価学会私物化の典型である。  


「広宣流布のため」「王仏冥合のため」と言って、必死の選挙運動をさせられた学会員こそ良い面の皮である。


 余談であるが、池田大作は、大蔵商事時代に自分に金をつぎ込んだ者の他に自分に貞操をささげた女性とその一家を、ことの他手 厚く遇している

彼女や彼らが、池田大作の寵愛を鼻にかけて、やりたい放題をしても、だれも咎めることはできない。そんなことをしたら、逆に池田大作にあることないこと言いつけられ、その結果、理事会などの席で立たされて池田大作から目の玉が飛び出るほどドヤされるからである。

 さて、戸田城聖から、金融業の奥の手を直々に指南され、腕ききの営業マンとなった池田大作は、創価学会員という願ってもないマーケットを与えられ、いか んなくその力を発揮した。  やがて、聖教新聞にも広告をのせるようになる。  

 

高利貸池田大作〝取り立て〟のすご腕

〝信仰心〟という〝葉っぱ〟を〝月三分〟という高利でくすぐり、〝出資金〟という〝お札〟に替えることに成功した大蔵商事は、その金を〝月七分〟以上で貸しつけ、或いは〝月一割〟という高利で手形割引にまわした。

 現在、年利一%台の預金金利が常識となっている時代には、一般庶民には考えられないような高利の世界である。だが、終戦直後 のインフレ期からようやく抜け出そうという昭和二十五年当時では、当然といってよい金利であるし、現在でも、暴力団金融、町金融では、月五分、月八分、と いった金利は、むしろ良識的ですらある。〝トイチ〟(十日で一割)とか、〝カラス銭〟(カラスがカーと鳴いたら一割上るという、日歩一割〟といった金融も いまだに根強く存在しているのである。  〝高利〟には、貸倒れに対する危険保障がふくまれる。貸倒れになる確率の高い金融ほど利息が高いのである。

 つまり、大蔵商事の貸付金利は、当時の経済情勢からすれば、リーズナブルなものであったのではないか。そして、その金利で利益を上げるということは、 〝回収の確実性〟が必要である。貸しつける元金を確保するのも大仕事であるが、貸付けた金の回収は、もっと大仕事である。だからこそ、弁護士や、取立て屋 や、更には暴力団などがそこでシノギをしている。だが、こうした〝取立て職人〟をつかえば、コストは飛躍的にはね上る。少々の利息など吹きとんでしまう。

 金融の営業マンの腕の見せどころは、まさに「取り立て」にあると言えるのである。  貸し出すときの調査、法律手続、担保、そして、コゲついた時の対応。  先述の森重章は、  

「それは、池田先生は、群を抜いていましたよ。だれも及びませんでした」

と語った。

 学会員から金を借り入れる時の、ニコヤカで礼儀正しい青年が、取り立てる時は、冷酷非情に徹しなくてはならない。

 よく、  「寝ている病人のフトンをはがして行く」 とか、  「ナベ、カマまで持って行く」 とかいわれるが、それに似た徹底さがなくては、金融業はやっていけない。  東京安全信用組合の失敗や教訓として、戸田城聖と池田大作は、貸出先を厳選した。聖教新聞の広告を見て、倒産間ぎわの学会員が大蔵商事を訪れても初めから相手にされなかった。  「うちは、あなたのような人が利用するところではありませんよ。利息は高いし、一度借金地獄に入ると抜けられなくなります。悪いことはいわないから、地道に努力しなさい。あなたのために言うんです」  会員をいたわるような口調でていねいにことわられる。  

ことわられた会員は、

「戸田先生は、商売気抜きでそこまで私のためを思って下さる」 と逆に感激する。

 その一方で、回収の見込みがあり、或いは担保の充分ある相手にはどんどん貸し付ける。それでもコゲついたら、容赦なく担保を流す。足りなかったら、「寝ているフトンをはがす」こともやる。

 こういう仕事の過程で暴力団など裏の組織との接触も当然生じる。  終戦直後のインフレ、そして次にデフレ。戦災で打ちのめされていた日本経済に、チャンスが訪れていた。  昭和二十五年から七年にかけての朝鮮動乱は、我が国に〝特需景気〟をもたらし、経済は一気に立ちなおりはじめた。  「一ヵ月たつと物価が倍になり、お札の値打ちは半分になる」 といった時代。  「ものを作ろうにも金も資材もなく、作っても売れない」 といった時代。  それをしのいだ後に、  「作りさえすれば売れる」 という時代が到来したのである。  町工場も企業も、設備投資と増産に走り、そしてそれがもうけにつながった。強い資金需要と好景気の中で、大蔵商事にとって有利な貸付先に不自由せず、し かも倒産とか貸倒れといったケースが少ないという経済状況は、願ってもないことであった。以上貼付け完

悪辣敏腕金融業者池田大作は天国のような春を謳歌していたのだ!!歩合給であった当時(最高潮時の)の収入は一般会社員の収入の百倍近くに達していた!!現在の価値にして2千万円に相当していた金額だ!!!月収でだぞ!!

 

小説人間革命とやらに貧乏の辛酸を舐めたという記述があるらしいが、これらのエピソードとはまったく違っていることが覗えるだろう!!

 

信じがたいだろうが、そんなおめでたい馬鹿は冒頭に貼り付けておいた金融屋時代の悪辣顔写真でもじっくりと凝視してみるんだな!!

新聞 勧誘 死亡 死去 逝去 死亡説 葬儀 隠蔽 面会謝絶 入院 隠匿 車椅子 車イス 言語障害 介護 介護用 介護用品 看護師 激怒 癇癪

見!! 発覚!!
新しい池田の勲章売買の状況証拠をリークしておいたぞ!!

下記 「このライターが設定した関連知恵ノート」

新たな疑惑を提起しておいたのでぜひクリックして見てくれ!!

小心者、ノミの心臓をもつ池田大作の受賞にまつわるトリビア② 驚き!新しい池田の勲章売買の状況証拠を固めた! 追加データ

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n113581
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n149457

(以上転載終了)


 

※反社会的組織である創価学会(カルト教団)が弱体化すれば、日本を毀損し続けている安倍自公政権の暴走を止めることができます。

創価学会は集団的自衛権に賛成し、国民の言論弾圧法である秘密保護法にも賛成するとんでもない似非平和団体です。末端の学会員は矛盾に気付きませんか?

創価学会員の皆さんへ

◎創価学会による被害者の会「自由の砦」 

◎一日も早く脱会しましょう

  ニセ本尊の害毒は本当にある

 


この記事についてブログを書く
« 創価学会元幹部実名告発座談... | トップ | 漫画で脱原発 »
最近の画像もっと見る

創価学会」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事