夫と二人の子供を持つ専業主婦、涼子が、家事と子育て、内職の日々にむなしさを感じてたとき、夢のような男性と出会い、恋に落ちる。友人の万知子から忠告を受けながらも、恋を止められない。という、話。昔、NHKでドラマになったらしい。現実には、ありえなさそうな展開だけど、専業主婦のつぶやく言葉、発想がリアリティにあふれ、身につまされる。実際、ドラマの反響も大きく、女性陣からは共感、男性陣からは叱責の声が寄せられたという。
専業主婦の涼子は、普通に恵まれた生活を送り、文句といえば、夫が自分を女扱いしないことくらい。一般的には、十分幸せなのだろうけど、心のときめきのない生活が、さびしい。これを人は、わがままというかもしれない。でも、私はわかる。人間の欲求として、ワクワク、ドキドキするような刺激を求めるって、あると思う。
このまま平和な毎日を過ごし、年老いて死んでいくとしたら。今の私は子供がいないので、主人公の涼子は、十分に生産的な生活をしていると思うけど、でも、それでも空虚感を感じるというのは想像できる。結婚前は、結婚したら幸せと思うし、子供がいないうちは、子供ができたら幸せと思う。でも、それは、求めているものが得られた幸せだと思う。継続する時間も幸せではあるけど、その穏やかさは、ときとして単調になる。だから、不幸せ、ではない。幸せなんだけど、不満ではないけど、でも、このまま時が過ぎていくのは、むなしい。私を使い切っていないような、まだ湧いてくる感情が残っているような、そんな気がしてくる。
そんなときに涼子は、日常を超えた魅力で迫ってくる男性に出会う。女性として見つめられる喜び、話す楽しさ、彼を想う胸の高鳴りを感じる。それは涼子に、生きるエネルギーを与える。生活そのものが楽しくなる。夫や子供に申し訳ないと思うけど、自分の感情を大事にしたいと、突き進む。泣いたり、笑ったりしながら、自分を見つめなおす。
今、私は仕事をしていて、涼子ほどの空虚感はない。でも、それでも、このままでいいのかと、思うことがある。子供がいないこと、仕事をしていても派遣社員であること、趣味があるようでないこと、どれもが半端だから。何かの舞台で、求め、求められる自分を感じたいと思う。
新しい人と出会って、新しい自分を発見したい。昨日と違う私を、見て欲しい。私の考え、感情を伝えたい。そして、受け止めて欲しい。そういうことを全て、夫に求めるのは難しい。それをこの本では「日常」だから、と表現している。確かにそうかもしれない。でも私は、それだけじゃないと思う。夫一人で、これらを支えきるには重たい、ということもあるし、また、安心を維持したい場では、刺激や挑戦は、求められていないとも思う。もちろん、まったく求められていないわけでなく、不安にならない範疇の刺激は必要と思う。あくまで、信頼を失わない、安心感に支えられた関係。ワクワク、ドキドキするほどのものは、家庭では時に、落ち着きを失う。
涼子はそれを、夫ではない男性に求めた。涼子の友人、万知子は作詞家になるという夢にむかうことで、情熱を発散させた。私は会社に行きながら、解放している。形は違えど、内なる思いは同じ。自分が小さい存在だとわかるから、抵抗したい。最後は今と同じ場所に戻ると薄々感じながら、やるだけやってみたい。夢見る時間は、自分を少し、大きく感じさせてくれるから。