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続、この国の風景その4

2011年12月10日 | Weblog
秋風に誘われて

 晩秋のテレビでは、旅番組が視聴者を紅葉の名所へ誘う。紅葉するのは勿論日本の木々だけではないのだけれど、その種類の多さからくる色彩(いろどり)の美しさは世界に冠たるものであるらしい。春は桜の名所が至るところにあり、秋は紅葉を愛でる観光スポットに事欠かない日本列島の我々住人は恵まれている。そんな秋風に誘われて、二度目の上高地へ、そして初めての立山黒部アルペンルートをツアーで巡った。

 10月末日、朝の上高地は小雨がぱらついた。前回個人で来た時は、河童橋から上流へ明神池あたりまで歩いたが、今回は大正池を巡り河童橋まで歩いた。小雨の大正池は風情がある。木道など整備された遊歩道が楽しい。しばらくして小雨も止み、昼弁当の頃は薄日も射した。昼食時間を入れて丁度二時間、高原の秋を満喫した。澄んだ空気と清らかな水の流れ、川岸の20mの高さと思える林立する薄茶色に染まった木立の壮大さには打たれた。

 その夜は、長野県の北西の端、富山県と新潟県の県境に近い白馬温泉。ホテルは長野市の善光寺から車で90分とある。善光寺には2度ほど行ったことがあるが、ここまで足を運んだことはなかった。翌日の朝の出立が早いため、夕食、朝食とツワー客でごったがえす食堂でバイキングを詰め込むのが精いっぱい。周辺散策も何もできなかったけれど、温泉にはゆっくりと浸かった。

 翌朝早く雲海の広がる高原の道をツワーバスは下り、糸魚川に沿って日本海に出る。晴天。短区間にトンネルが200以上もあるという北陸自動車道で富山へ南下。山間の富山地方鉄道立山線の立山駅からいよいよ立山黒部アルペンルートに入る。まずは、立山ケーブルカー。昭和38年の黒四ダム完成に向けて、多くの資材の運搬に活躍したという。急こう配を7分、標高977mの美女平に到着。ここには伝説の美女杉があり、立札にある歌*8)を3度唱えることで恋が成就するという。

 立山高原バスに乗り換えてアルペンルートを登る。昨日の雪で化粧された立山連峰(雄山3015m)の雄大で美しい姿が見えてくる。バスに揺られて50分標高2450mの容堂に着く。運が良ければ雷鳥にも会えるという高原をしばらく散策。韓国から来た若い女性の二人連れからわれわれ夫婦に「写真を撮りましょう」と声をかけて貰う。観光地でカメラのシャッターを押す役は頼まれるが、「撮りましょう」としかも外国からの観光客に声を掛けられたのは初めてだった。

 容堂からは立山トンネルをトロリーバスで2316mの大観峰に出る。土産物売り場の若い女性に、どうやって通勤するのかと問うてみれば、売店の寮から通っているとのこと。辺境の寮生活では大変だろうと思うけれど、それも仕事なのだ。景観保護のため支柱の無いロープウェイ、日本唯一全線トンネルのケーブルカーを経て黒部ダムに出る。

 北海道に行けば、その開拓史の苦労話が心にしみる。黒部ダム建設の困難さは映画でも有名であるけれど、秘境にそびえるこの巨大ダムが完成して48年。このアルペンルートが全線開通して40周年*9)。この頃はいろんなところで、40周年、50周年があるけれど、戦後の復興期の数あるプロジェクトXのここも偉大な一つであり、象徴でさえあろうとさえ思う。現代人の将来への遺産でもある。そして戦後復興期の先輩諸氏の逞しさを見る。

 秋風に誘われて来た高原で、日本の美しい風景が、けっして自然の造形だけに依存するものでないことを教えられる。






*8)立山を開山した佐伯有頼の許婚者の美しい姫の「美しき御山の杉よ心あらばわがひそかなる祈りききしや」という歌。姫は有頼に会いたい一心で、立山に登ってきたけれど、有頼は山を拓くまで帰ることはできないと、すげなく姫を追い返した。姫は仕方なく下山の途中に一本の杉に願いを託したのである。後日二人は結ばれたという。
*9)昭和29年8月立山ケーブルカー営業開始。昭和31年8月黒部ダム建設開始。昭和38年6月黒四建設工事の竣工式。昭和46年6月立山黒部アルペンルート全線開通。平成23年6月全線開通40周年。

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