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2003年 第4回

2023年01月10日 | ブログ
王将戦

 王将戦7番勝負が1月8日開始された。100個目のタイトル奪取を目指す将棋界のレジェント羽生9段(名人、竜王ほか7冠すべてに永世称号を持っている)と超天才藤井五冠の夢のタイトル戦での対決が実現したのだ。

 将棋ファンならずともその結果には関心を寄せるであろう。囲碁や将棋の超難解なゲームも今やAIの敵ではなくなった現代に、プロ棋士の存在が歴然と存在し続けるのは、彼らの活躍があってのことだ。

 私が、将棋を熱心にやっていた頃は、升田/大山(15世名人)時代に続く、中原(16世名人)/加藤/内藤/米長そして谷川(17世名人)の時代だった。そこに忽然と登場したのが羽生善治だった。羽生さんには直接お目にかかったことはないが、羽生さんと同年でライバルだった森内18世名人には、彼が18歳で、朝日トーナメントを制した頃、実際に2枚落ち(飛車角落ち)で教えていただいたことがある。

 森内18世名人は当時から、その立ち居振る舞い、盤に向かわれる姿勢態度、物腰、いずれも優れた棋士、人物と思える方だった。私は大企業に勤め、難関大学の大学院出の秀才諸兄にも多く接していたが、これほどの若者に会ったことはなかった。

 当時、升田さんや米長さんの著作本などよく読んでいたが、今の将棋界が隆盛であり、藤井五冠を産んだ素地は、大山15世や中原16世の将棋技術の高さにもよるが、升田さん、米長さんの哲学こそが目には見えぬが、岩盤のような土台になっていると思う。

 米長さんの「人生一手の違い」という本の推薦文のひとつを、囲碁の武宮正樹さん(タイトル獲得数24の大棋士)が書いている。『囲碁でも将棋でも、研究に没頭し、真剣な対局を繰り返すと、棋力とともに勝負に対する独自の考え方、判断の仕方が身に付いてくる。棋士は、そこから自分なりの勝負に対する独自の考え方、判断の仕方が身に付いていくのだが、これを人生観にまで敷衍(ふえん)し、誰にでも分かるように表現するのは、至難の技と言わねばならない。・・・』

 升田幸三実力制第四代名人の著作の中には『歩というのは、人間社会でいえばヒラということになるんですが、未熟な人ほど、この歩を粗末に扱う、しかしこれは、大間違いなんだ。・・・戦端が開始されないときは、歩の立場は皮膚のようなものだと思えば、いいでしょう、肉をおおって守っている皮膚ですよ。だからあそこ(歩)にはもっとも敏感な神経がかよっていないと困る。・・・だから歩の感度がよければよいほど、いい。私なんぞ、歩にははなはだ細やかな神経を使います。・・・』があり、米長さんの『自分にとって関係ない試合でも、相手にとって非常に重要な勝負の場合がある。そういう時こそ、自分の力を出しきらなければいけない』とのまさに勝負における名言がある。

 同じように厳しい勝負の世界である相撲界が、モンゴル勢に食い荒らされて荒野になっている状況をみて、まさに、どのような業界であれ、日本精神を失ってはならないとの思いを強くする。中国頼みで、依存してこれまで儲けてきた企業は、いずれ相撲界のようになるであろう。 



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