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この頃気になることなど第10回

2012年06月28日 | Weblog
ミル

 数学者で当時奈良女子大学教授の岡潔先生は、ある日教え子の女子大生と歩いていて捨て猫に出会う。女子大生が理屈っぽい娘で、こういう場合どうすればいいかと尋ねるもので、先生はその子猫を拾って帰る羽目になります。ミルクで育てたので「ミル」と名付けました。ミルは変わった猫でした。何といっても変わりもののわたし(岡先生)によくなついたのです。

 『ミルもだいぶうちのものとなじみ、仲よしになったころでした。わたしは、おまえに一つ人間のことを教えてやろうということで、どうしようかと考えた末に庭のばらのところにつれていきました。南側の、わたしが花園と呼んでいるすこしの空地です。そのすみにちょうどばらが咲いていました。

 かかえられて足をだらっと下げたかっこうでおとなしくしているミルに、わたしはきれいなばらを見せてやりました。そうすると、ちょっとかぐまではおとなしくしているのですが、すぐ、フンと横を向いてしまって、そのあとはどうしようもありません。

 これはやってみなければ実感が出ませんが、とにかく、とりつくしまがないとはこのことだと思いました。ねこにばらをいくら教えようとしてもだめです。

 そこでわたしはつくづく思いました。ねこがねこであることを抑止してくれなくては、ねこにばらはなんとも教えようがない。

 そのうち、ミルの死ぬときが来ました。ひどく弱ってきたのです。

 そのころ、わたしはひとりで、奥の間に寝ていました。いつも寝床で考える癖があるので床は敷きっぱなしですが、その朝は少し寒かったので、二枚続きの毛布を二つ折りにし、その間にはいって考えていました。

 すると、ミルが障子の外に来て中にはいろうとしているのがわかりました。障子に穴があっていつもそこをとびこえて中にはいるのですが、もうとびこむ力がないらしい。障子をあけて入れてやると、どうも毛布の中にはいりたそうなようすをします。

 わたしはミルを毛布の中に入れてやり、いつものように学校へ出かけました。そして、帰ってきたときは、ミルは毛布の中で冷たくなっていました。

 ねこはふつう死に場所をけっして人に知らせないといわれていますのに、このねこはわたしの寝間に死に場所を求めて、わざわざもどってきたらしい。』ここまでで、岡先生は別の話に移っています。

 自分によくなついた猫がかわいいとか愛おしいとか、その猫が死んでしまった時にさえ、悲しいとか寂しくなったとか一切書かれてはいない。それでも十分にその「こころ」は伝わってくる。

 岡潔「わが人生観」*8)の「こころといのち」の章の「こころ(二)」にあった文章を、そのまま2回にわたりお借りしてきました。

 「生命を賭ける」とか「愛」や「絆」とか言葉だけが大仰に先行する時代。それらは口に出した途端に空虚になるものではないだろうか。岡先生はそれらをすべて「こころ」としてそれ以上の表現を控えられている。だから一層その気持ちが伝わってくる。そんなことを読者に伝えたかったのではないか。





*8)「わが人生観」Ⅰ岡潔 著 1968年11月初版 大和書房。『 』内はひらがな書きを多用していますが、原文をそのまま引用しています。
コメント
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