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経済学のすすめ16

2011年07月22日 | Weblog
マクロ理論の成立

 『経済学の流れには、大きな屈折点がある。アダム・スミスの「国富論」を経済学の生誕と考えるなら、それ以後「比較生産費説」のリカードまで、古典派経済学が大きな一つの流れになっている。この流れを大きく屈曲させたのが、1870年代のメンガー*54)、ワルラス、マーシャルらの限界革命。そこで近代経済学(新古典派:ケンブリッジ学派)のミクロ理論が発展する。この大きな流れが再び折れ曲がったのが1930年代の半ば、ケインズ*55)の「一般理論」*56)が成立した1936年である。後に“ケインズ革命”と呼ばれるものだ。

 きっかけは1929年に始まる世界大恐慌とそれに基づく資本主義経済の危機に、経済学がどう対処するかという課題と無関係ではない。これまでの需要供給価格決定論(ミクロ理論)を労働市場に適用した場合、労働者の賃金率が高止まりするところに大量失業の原因が求められたが、現実には賃金率は下がり、安い賃金でも働きたいとする人たちが山をなしているにも関わらず、大量失業があった。これまでの不況、失業は一時的で、せいぜい失業率は10パーセント以下であった。ところがこの大恐慌では、1933年にはアメリカで24パーセントまで高めた。明らかに説明がつかない。

 このような状態を前にして語られた有名な言葉は、「いままで我々は自動車の運転さえ知っていれば良かった。ところがいまや自動車のエンジンそのものが故障したのだ。」つまり、ミクロ理論が指し示すように、価格の動きに従って、人々は合理的に適応しさえすれば良かった。ちょうど信号機の動きに従って、赤なら止まり、青なら進む、というように自動車の運転をすれば良かったように・・・。しかし、いまや資本主義という自動車のエンジンが故障したのだ。それはいままでのように運転技術を教えるミクロ理論ではどうにもならないことを意味した。

 かくして、ミクロ理論をこえて、資本主義のエンジンそのものを分解し、構造を解明し、そしてこの故障した資本主義を、ふたたび稼働させる責務が経済学に生じたのである。そこに「現実こそ最大の師」であり、現実に対して謙虚であり、自己の理論に対して絶えず反省する人たちによって、マクロ経済学の大きな流れが形成されていった』。

 従来のミクロ理論(古典派理論)においては、労働市場における需要と供給の関係にあっても通常の財の需給曲線と同様の関係にあると考えた。すなわち、実質賃金が低いほど労働への需要が増加し、実質賃金が高いほど、より多くの労働を供給しようとする。いかなる物価水準が与えられても、名目賃金が伸縮的に変化するため労働市場は均衡する。自発的失業*57)はあっても非自発的失業*58)は存在しないと考えられた。このため、与えられた物価水準に対し、経済全体でどれだけ労働者が雇用され、生産が行われるかを表す総供給曲線(AS曲線)は、完全雇用国民所得で垂直になる。これに対してケイイズは、名目賃金の下方硬直性によって、均衡実質賃金より高い水準の実質賃金が成立し、非自発的失業が存在することを指摘した。そこでは、AS曲線は初め右上がりで完全雇用国民所得のところでようやく垂直になる。

 この図(縦軸に物価P、横軸に国民所得Yをとる)に右下がりである総需要曲線(AD曲線)を加えると、古典派理論の垂直なAS曲線の場合は、均衡国民所得は需要側(AD曲線)には全く依存せず供給側だけで決まる。所謂「供給はそれ自身に等しい需要を生み出す」セイの法則*59)である。

 一方ケインズ理論の場合、AD曲線がAS曲線の右上がりの部分と交わるとき、労働市場は均衡しておらず、非自発的失業が発生しているが、ここで拡張的な財政政策を行いAD曲線を右側にシフトさせれば、国民所得を増加させ、労働市場も均衡に向かう。すなわち総需要管理政策が有効となるのである。こうして政府の財政の力を利用しながら市場を作り出してゆくという、経済政策としての有効需要操作が定着してゆく段階を迎えたのである。
 






*54)カール・メンガー(1840-1921)オーストリアの経済学者。オーストリア学派(限界効用学派)の祖。ミクロ経済学の理論はあくまで合理性の追求にあり、現実が非合理的な社会であればあるほど、近代的合理的な自我を持った人間は、経済的にはこのような行動をするに違いないという前提でミクロ理論の基礎を築こうとしたといわれる。
*55)J・M・ケインズ(1883-1946)。1929年の大恐慌とそれにつづく慢性的不況に、在来の経済理論では対処できない中、従来のミクロ分析に加えて、マクロ分析を導入し、国民的所得分析の手法を一般化して、均衡財政至上主義にかわる伸縮的財政政策(景気の変動に合わせて、政府が政府支出の額や税率を調整し景気の安定を図る=総需要管理政策)を登場させ、雇用・景気のための国家の経済への介入を理論化した。1930年代のなかば以降の新しい経済学の建設者である。
*56)「雇用・利子および貨幣の一般理論」
*57)労働者が現行賃金では働かないことを選択するために生じる失業
*58)現行の賃金で働くことを希望しても就業できない労働者が存在することによる失業
*59)古典派の経済学では、自由放任主義を展開しており、どのような供給規模であっても価格が柔軟に変動するならば、必ず需要は一致しすべて需要されるという考えに立っていた。

 本稿は、伊東光晴、佐藤金三郎共著「経済学のすすめ」筑波書房1968年刊を参考にし、『 』内は直接引用しています。またTAC中小企業診断士講座「経済学・経済政策」テキストなども参考に編集しています。
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