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閑話つれづれ其の8

2008年08月20日 | Weblog
光る海

 筆者高校柔道部の同期で主将を務めた友人が死んだ。享年22歳。詳細は分らない。工業高校の建築科を卒業後夜間大学に通っており、アルバイト先の事故であったと聞く。火ダルマになって息を引き取る寸前にも「まだまだやらねばならん」と言ったという。彼の父親はその話から、息子のその根性は柔道で培われたものであると感動し、母校の柔道部に相応の寄付を行った。その基金から彼の名を刻んだ校内柔道選手権カップが誕生した。

 彼の父君は板金業で、筆者などからみればかなり裕福な家庭に見えた。夜間大学というのも彼の独立気性からの選択に過ぎなかったのではないか。彼には練習帰りにたこ焼きを奢ってもらったことがある。奢り返す機会もないままとなった。

 母校の柔道部は筆者の代までは弱かった。県大会の1回戦敗退が多かった。しかし、練習は熱心だったし、筆者の代では1年生から毎年夏休みには1週間から10日間の合宿も行った。瀬戸内海の島、そこにある県立高校の分校の道場での合宿合同練習。思い出は書き尽くせない。

 3年生の時は、同期10人くらいが卒業間際まで後輩の練習に付き合った。当時県警機動隊の先輩が熱心に指導に来ておられ、練習は夜の9時頃まで続くこともあった。お陰で、1年後輩は春の県のスポーツ祭で準優勝を飾る。県内の高校の柔道は全国的にみて低いものではない。近隣の私立校の1年後輩には現在の無差別級世界王者(2007年世界選手権者)棟田康幸の父君利幸氏が居た。利幸氏自身往年は全日本選手権の常連であり、高校時代から強かった。筆者は高校時代1度だけ、利幸氏の柔道を見た。立ち技からの脇固めを掛けたのが印象的で、気性の激しい柔道に見えた。見事な息子さんを育てられたものである。

 市内中央に位置する城山にも柔道着でよくトレーニングに走った。そんな時、同期の主将の音頭でよく歌ったのが、吉永小百合さんの「光る海」*7)だった。「激しい日もある和む夜も、我らは若い波頭・・・・青春、青春こそは光る海、ああ金色に光る海」



   *7)佐伯孝夫作詞、吉田正作曲 64年ビクター
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