泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

私が好きな「飛鳥での散策コース(飛鳥宮跡~飛鳥京跡苑池)」(4)

2020年05月28日 15時17分36秒 | 散歩

私が好きな「飛鳥での散策コース」シリーズも、4回目となりました。

今回は、「飛鳥での散策コース(飛鳥宮跡~飛鳥京跡苑池)」(4)を紹介したいと思います。

(飛鳥宮跡~飛鳥京跡苑池)の散策コース・・・約4キロのコースです

飛鳥宮跡ー真神原ー飛鳥寺(入鹿首塚)ー水落遺跡ー石神遺跡ー山田道ー明日香村埋蔵文化財展示室ー槻の木広場ー弥勒石(飛鳥川沿い)ー飛鳥京跡苑池ー飛鳥宮跡

〇「飛鳥宮殿」跡(伝飛鳥板蓋宮跡)は、645年に 中大兄皇子らが蘇我入鹿を倒し、大化改新の舞台となった場所です。継続的な調査で、複数の宮が置かれていたことが判明しました。現在復元されている石敷広場や大井戸跡は、飛鳥浄御原宮(天武天皇)のものです。

 

〇「真神原(まがみがはら)」は、飛鳥寺を中心とした一帯を言います。《万葉集》には,大口の真神の原とうたわれていることから、 かつては真神すなわちオオカミのすむような原野と意識されていたらしいです。今丁度、田植えの準備が行われています。

 

〇「飛鳥寺」は、596年に蘇我馬子の発願で建てられた日本初の本格的仏教寺院です。 本尊である銅造「釈迦如来坐像」(重文)は「飛鳥大仏」の通称で親しまれており、日本最古の仏像です。

飛鳥寺の境内を西に抜けたところに立つ五輪塔は、 大化の改新のとき、飛鳥板蓋宮で中大兄皇子らに暗殺された蘇我入鹿の首を供養するためにつくられた塔と言われています。五輪塔は、中世のものと言われています。

    

〇「水落遺跡」は、飛鳥時代に「斉明天皇」の息子である「中大兄皇子」が造った日本初の水時計「漏刻(ろうこく)」(水時計を備えた時計台)の跡です。『日本書紀』によれば、660年「皇太子が初め漏れ剋を造り、人々に時刻を知らせた」とあります。

        

「石神遺跡」は、飛鳥時代の迎賓館の跡で、噴水機能をもつ「須弥山石や石人像」といった石造物がこの遺跡の一角から掘り出されています。「 斉明天皇」の時代には、東北に住む蝦夷や南九州に住む隼人、また外国使節を迎え、饗応するためにつくられたと考えられています。旧飛鳥小学校跡地も、遺跡の一部です。

  

〇「山田道」は、古代の主要道路のひとつです。東端は古道の横大路と交わって上ツ道につながり、西端は古道の下ツ道と直交します。

 

〇「明日香村埋蔵文化財展示室」は、旧飛鳥小学校の木造校舎を利用しており、無料の展示室では明日香村文化財課が発掘調査を行ってきた遺跡の出土品を中心に展示されています。実物等が展示され、見応えがあります。

  

〇「槻(つき)の木広場」は、乙巳の変(645年)前に中大兄皇子と中臣鎌足が出会った場所とされ、飛鳥時代に重要な儀式が行われた飛鳥寺西方遺跡です。遠方から訪れた使節をもてなした供宴施設とみられる建物跡が見つかっています。今は、田んぼになっています。

 

〇「弥勒石」は、飛鳥川の東岸にたつ不思議な石の仏様です。地元では、この石像を拝むと下半身の病気が治るという言い伝えがあります。地元の方が、いつもお花をお供えしてしてあります。

 

〇「飛鳥京跡苑池」は、飛鳥川右岸にある 飛鳥宮の庭園跡です。 「斉明天皇」が宮殿に隣接して造った饗宴の空間で、池は石積みの護岸がなされ、底には石が敷き詰められていました。天皇が儀式や饗宴のために使用したとみられています。この苑池を訪れる人のために、無料の休憩所とトイレが作られています。休憩所には、苑池の資料やビデオ等が用意されています。

今回のこのコースは、約4キロですが平坦な道でとても歩きやすいです。

奈良県においても、緊急事態宣言(新型コロナウイルス)が解除されました。その後明日香村においても、主な施設や駐車場が開かれました。以前よりは、少しづつですが飛鳥を訪れる人が多くなったような気がします。

いつか飛鳥を訪れる機会がありましたら、古代の歴史の舞台となった所をのんびりと歩いてみませんか!

   

コメント

私が好きな「飛鳥での散策コース(欽明天皇陵~飛鳥宮跡)」(3)

2020年05月21日 14時43分05秒 | 歴史

私が好きな「飛鳥での散策コース」シリーズも、3回目となりました。

前回の「飛鳥での散策コース」は、自然豊かな「坂田・稲渕地区」(2)を紹介しました。

今回は、歴史的景観が素晴らしい「飛鳥での散策コース」(3)を紹介したいと思います。

(欽明天皇陵~飛鳥宮跡)の散策コース・・・約4キロのコースです

欽明天皇陵ー猿石ーカナヅカ古墳ー鬼の雪隠・俎板古墳ー天武・持統天皇陵ー川原下の茶屋遺跡-亀石ー橘寺・川原寺ー飛鳥宮跡

「欽明天皇陵」・「カナヅカ古墳」・「鬼の俎(まないた)・雪隠(せっちん)古墳」・「天武・持統陵」は、丘陵に一直線上に並んだ古墳です。古墳を見ながら飛鳥宮跡へ行く散策コースです。

〇「欽明天皇陵」(平田梅山古墳)と呼ばれる宮内庁管理の古墳です。墳長は約140mあり、墳丘は北側が2段、南側が3段に築成されています。周濠があり、北側に比べ南側が広く造られていたようです。明日香村唯一の前方後円墳です。

  

「猿石」は、 近鉄の飛鳥駅から北に約10分くらい行った所にある「欽明天皇陵」の手前にある「吉備姫王墓」の敷地内に、「猿石」が置かれています。特徴から、女・山王権現・僧・男の名前がついており、それぞれ高さは1メートル前後です。そのうちの「女」「山王権現」「男」の3つは後ろに天邪鬼の様な顔があります。飛鳥の謎の石造物のひとつです。

         
〇「カナヅカ古墳」は、現在は小さな墳丘に見えるのですが、築造当時は墳丘全面に東西60m、南北25mの大規模なテラスを持っており、その上に一辺約35mの2段築成の方墳であったと考えられています。本当の「吉備姫王墓」(斉明天皇の母)ではないかと言われています。案内板等がありませんので、注意しながら散策してみてください。

   

〇「鬼の俎(まないた)・雪隠(せっちん)古墳」は、奇妙な名前を持つこの古墳は、昔このあたりに鬼が住み、旅人を捕まえては上の俎で調理して食べ、下の雪隠で用を足したというおもしろい伝承がある古墳です。「斉明天皇」の初葬墓ではないかとも言われています。

   

〇「天武・持統天皇陵」(野口王墓古墳)は、飛鳥時代を創った天皇の古墳です。高さ約9m・東西約58m・南北約45mで全面石で覆われた5段築成の八角慕です。2室からなる切石積みの石室があり「天武天皇」の棺と「持統天皇」の金銅製骨臓器が納められていたといわれています。鎌倉時代に盗掘にあい、大部分の副葬品が奪われたようです。被葬者(天武・持統天皇)が、確実な天皇陵だそうです。

   

〇「川原下の茶屋遺跡」からは、飛鳥時代の交差点が検出されていて、数少ない道路跡の遺跡です。東西道は、道幅約12m・南北道は道幅約3mで側溝もみつかっています。東西道路は、直線道路と考えられ、西は下ツ道に交わり、東は飛鳥京に続くと思われます。東西道路は、川原寺の南門と橘寺の北門の間を通っているようです。「飛鳥の横大路」と呼ばれています。古代の道路跡を歩きながの散策コースです。

  

〇「亀石」は、重さ推定40tという巨大な花崗岩を自然の岩肌を残したまま利用した石造物です。うずくまった亀のようなスタイルと残された伝説から「亀石」と呼ばれていますが、いつごろ、何の目的で造られたのか定かでなく、飛鳥の謎の石のひとつです。

      

〇「橘寺」は、寺伝では「聖徳太子」の出生地と伝えられています。「聖徳太子」創建七ケ寺のひとつです。観音堂には、本尊である平安時代後期の「木造如意輪観音座像」(国重文)が安置されています。とても素晴らしい観音様です。

    

〇「川原寺」は、飛鳥寺とともに飛鳥の三大寺に挙げられた大寺でした。「斉明天皇」(皇極天皇の重祚)の川原宮跡に、子の「天智天皇」が建てました。現在は、遺構として28の瑪瑙(大理石)の礎石と塔跡が残ります。最近は、瑪瑙(大理石)の礎石がパワーストーンとして紹介されているようです。

   

〇「飛鳥宮殿」跡(伝飛鳥板蓋宮跡)は、645年に 中大兄皇子らが蘇我入鹿を倒し、大化改新の舞台となった場所です。継続的な調査で、複数の宮が置かれていたことが判明しました。現在復元されている石敷広場や大井戸跡は、飛鳥浄御原宮(天武天皇)のものです。

今回の散策コースは、歴史的景観が素晴らしく、特に古代史が好きな方には是非お勧めします! 

 

コメント

私が好きな「飛鳥での散策コース(坂田・稲渕地区)」(2)

2020年05月15日 20時07分25秒 | 散歩

奈良県においても、緊急事態宣言(新型コロナウイルス)が解除されました。その後、久しぶりに村外に買い物に出かけましたが、以前より人が多かったような気がします。第2・3波がこないことを願っています。油断は禁物!

今まで買い物以外は、村外に出ることはほとんどありませんでした。それでも、毎日朝夕は健康維持・気分転換のため村内を散策していました。

今回せっかくですので、私が好きな「散策コース」を数回に分けて紹介したいと思います。

前回の散策コースは、日本最初の厄除け霊場「岡寺・2020」を紹介しました。

今回は、私が好きな「飛鳥での散策コース(坂田・稲渕地区)」(2)を紹介したいと思います。

今回紹介するのは、村内を流れる飛鳥川の源流域にある「奥飛鳥」(稲渕(いなぶち)、栢森(かやのもり)、入谷(にゅうだに)の3地区)のなかの、「稲渕地区」と「奥飛鳥」の入り口にあたる「坂田地区」の散策コースを紹介したいと思います。
 
明日香村全体が歴史的景観保全のため、「明日香村特別措置法」(1980年施行)による厳しい建築規制を受けています。高い建物がなく、訪れる人は、ほっと心安らぐ田園風景に包まれています。「奥飛鳥」の「奥飛鳥の文化的景観」は、国の「重要文化的景観」にも選ばれています。また、「稲渕地区」の棚田は、棚田百選にも選ばれています。

(坂田・稲渕地区の散策コース)・・・約5キロのコースです

坂田地区(都塚古墳ー坂田寺跡ーマラ石)ー稲渕地区(棚田ー飛鳥稲渕宮殿跡ー塚本古墳)

〇坂田地区(都塚古墳ー坂田寺跡ーマラ石)

明日香村阪田にある「都塚古墳」は、 別称を「金鳥塚」ともいいます。6世紀後半(古墳時代後期)の築造で、形状は方墳で国の史跡に指定されています。「蘇我稲目」の墓と推定する説があります。類例のほとんどない「階段ピラミッド」形状を持つ古墳として知られています。特に石室内にある見事な石棺は、当時のままです。村内では、ここのみ石棺を見ることができます。柵はしてありますが、自由に見学できます。古墳の上にはつつじが植えてあり、丁度満開でした。この場所は、細川谷の入り口にあたり、周辺の山々には約200位の古墳があります。

「坂田寺」は、鞍作氏の氏寺として建立されました、飛鳥寺と並ぶ最古級の寺院(尼寺)と言われています。522年に渡来した「司馬達止」が、造営したとも言われています。現在見ることができる「坂田寺」跡は、奈良時代の遺構です。また、飛鳥の謎の石の一つである「マラ石」を見ることができます。

            

〇稲渕地区(棚田ー飛鳥稲渕宮殿跡ー塚本古墳)

稲渕の棚田は、「日本の棚田百選」にも選定されています。この棚田は、中世(平安~室町時代)に開墾されたという歴史あるものです。300枚あまりの田畑は、奥飛鳥の文化的景観として国の重要文化的景観にも選定されています。

「飛鳥稲渕宮殿跡」は、飛鳥川の近くに建てられました。「皇極女帝」が難波から還都したときに、一時的に利用した「飛鳥川辺行宮跡」といわれています。現在は、空き地となっています。ここから、稲渕の棚田がみられます。

飛鳥川が流れるくぼ地を見下ろす位置にある「塚本古墳」は、残念ながら後世の改変で墳丘や石室の多くが失われています。1辺約39メートルの方墳です。蘇我氏一族の古墳ではないかといわれています。棚田の中にある古墳で案内板等がありませんので、事前に場所の確認をされることをお勧めします。

稲渕の棚田周辺には周遊道があり、一周約4キロ位ですが色々な景色を見ながらの散策は、とても気持ちがいいです。週1~2回は、散策しています。このコースは、お気に入りの一つです。現在「稲渕地区」では、田植えの準備が行われています。まもなく見られますが、田んぼに水がはられた棚田の景色は、とても懐かしい風景でまさに「日本の原風景」ですよ~!

 コロナウイルスの終息した後、のんびりと飛鳥の自然や史跡等を訪ね歩いてみませんか・・・

 

           

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント

私が好きな「飛鳥での散策コース(厄除け霊場岡寺)」(1)

2020年05月08日 08時53分06秒 | 散歩

 奈良県明日香村においても、緊急事態宣言(新型コロナウイルス)をうけて、いつもの春とは違った様相を呈しています。現在、村内にある主な駐車場(国営飛鳥歴史公園等)は閉鎖となっており、訪れる人もとても少ないようです。

例年と変わりのない景色は、新緑とレンゲが綺麗なこと、田植えの準備がなされていることでしょうか・・

こういう状況の中ですが、健康維持のため毎日村内を散歩しています。

4月下旬に散歩の途中、「岡寺」に参拝してきました。丁度、石楠花やボタンの花が満開でした。

今回は、私が好きな「飛鳥での散策コース(厄除け霊場岡寺)」(1)を紹介したいと思います。

奈良県明日香村にある西国三十三所の第七番札所『岡寺(龍蓋寺)』は、岡寺は日本最初の厄除け霊場としても知られています。

「岡寺」は、飛鳥の東の山の中腹にあり、坂を上ると重要文化財に指定されている鮮やかな朱色をした仁王門があらわれます。本堂などはその奥、石垣の上に建ちならんでいます。本尊である「如意輪観音座像」は塑像(土で造られた仏様)で、塑像としてはわが国最大の仏像です。また本尊は厄除け観音で知られ、古来より信仰を集めています。西国三十三所の第七番の札所ともなっています。

奈良時代の名僧「義淵僧正」が創建した『岡寺(龍蓋寺)』の名前の由来は、民衆を苦しめていた悪い龍を岡寺を開山した義淵僧正がその法力で池に封じ、大きな石で蓋をしたという伝説から来ています。のちに龍は改心し、よい龍になったとのことです。この池は今でも境内に残されており、悪龍の災厄を取り除いたとして、「岡寺」は日本最初の厄除け霊場としても知られています。

歴史ある境内には、約3,000株もの石楠花(シャクナゲ)やサツキ、牡丹・著莪(しゃが)、ツツジなど、美しい花々が境内を彩ります。残念ながら、とても人気があった『華の池~水面に浮ぶ天竺牡丹~』は、開催中止となりました。今年はコロナの影響もあり、参拝される方はほとんどおられませんでした。今のところ、岡寺・飛鳥寺は参拝できますが、橘寺は参拝ができません。明日香村の主な施設等も閉鎖しています。

一日も早く、普通の生活に戻れるように願っています!

コロナウイルスの終息した後、のんびりと飛鳥の自然や史跡等を訪ね歩いてみませんか・・・

   

                            

コメント

なぜ、飛鳥は日本の国の礎となったのか?「飛鳥ブラタモリ・2020」(3)

2020年05月03日 08時54分02秒 | 歴史

2020年4月18日放映の「ブラタモリ」では、「なぜ、飛鳥は日本の国の礎となったのか?」ということで、奈良県の「明日香村」が取り上げられました。見られた方も多いのではないでしょうか。

せっかく私が住んでいる大好きな「飛鳥」を紹介していただいたので、「ブラタモリ」で訪れた場所を、今の様子と共にまとめてみました。

最終回は、なぜ、飛鳥は日本の国の礎となったのか?「飛鳥ブラタモリ・2020」(3)を、紹介したいと思います。

〇斉明天皇は「石好き」だった!?

「斉明天皇の国づくりの痕跡とは?」

「日本書紀」の656年には、「宮の東の山に石を累ねて垣とす」とある。この石垣の造営にはのべ7万人が動員されたと記されている。

・酒船石遺跡

「亀型石造物」と、南方の階段を上がったところにある「酒船石」の遺構を含めて「酒船石遺跡」といいいます。「斉明天皇」の時代に造られたとされる、長さ2.3メートル、幅約2メートルのユーモラスな亀の姿の石造物です。
円形の甲羅には深さ約0.2メートルの水槽が彫り込まれており、丸い目を持つ頭が取水口となり、甲羅にたまった水が溝の刻まれた尻尾から流れ出るようになっています。その南側には、この亀の頭部に水を供給する船形の貯水槽が、そのさらに南側にはレンガ状に加工された砂岩切石を積み上げた湧水施設が設けられており、この湧水施設から船形の貯水槽へ、貯水槽から亀形石造物へ水が流れる構造になっています。

「酒船石」は小高い丘の上にあり、長さ約5.5m、最広幅約2.3m、厚さ約1mの大きさで、上面に丸いくぼみとそれにつながる溝が刻まれています。「亀型石造物」や「酒船石」を使って、祭祀が行われたのではないかと言われていますが不明です。「酒船石」がある丘陵は、わざわざ山を削りその後、版築土(20cm×30cm)で積み上げた人工の丘でした。四重の石垣で取り囲み、周囲総延長800mある丘です。日本書紀には、「宮の東の山に石を累(かさ)ねて垣とす」とあります。この場所が「石の山丘」ではないかと言われています。証拠の「石(天理砂岩)」を見ることができます。

「斉明天皇」は、「亀型石造物」のある場所で身を清め、「亀型石造物」で溜まった聖なる水を、「酒船石」を使って国家の方針を占ったのでしょうか!?

「斉明天皇」は、夫の「舒明天皇」亡きあと、飛鳥で「皇極天皇」として即位し、645年の乙巳の変(大化改新)後、「斉明天皇」として再度即位し、日本史にその名が刻まれる女帝です。飛鳥に残る数多くの石造物の多くは、女帝が残したものだといわれています。

また、朝鮮半島動乱に端を発した国難(白村江の戦)に対して、天皇自ら九州(福岡県)に赴き陣頭指揮をとります。しかし、その半ばで倒れ福岡の地(朝倉橘広宮)でなくなりました。(661年7月24日・享年68歳?)

「斉明天皇」は、緊迫した東アジアの状況の中、渡来の技術を導入しつつ大規模な運河や建造物(宮殿・迎賓館等)をつくるなど国土を整備し、「国づくりの基礎」なしたこと等が最近再評価されています。個人的には、波瀾万丈な人生を送った女帝に大変興味を注がれます!

ところで「酒船石遺跡」のある場所は、今は竹藪だらけの丘ですが、ロマンいっぱいの場所です。こちらも、「亀型石造物」は、コロナの影響で入場ができませんが、「石(天理砂岩)」と「酒船石」は、見ることができます。

 

                              

〇日本の原風景とは、日本の原点!?

「飛鳥は、日本最初の国づくりの始まりの場所である!」

明日香村は、奈良県の中央部付近に位置している村です。中央集権律令国家の誕生の地であることから飛鳥時代の宮殿や史跡が多く発掘されていることで知られ、現代は、「日本人の心の故郷」とも紹介されています。今はのどかな田園風景が広がる「飛鳥」の地ですが、7世紀頃は日本の政治と文化の中心で、活気に満ちあふれていました。そのエリアは、さほど広くありません。飛鳥川の主に東岸を中心とする範囲だったと考えられています。北限は天香具山の南麓辺り(山田道)、南端は「聖徳太子」生誕の地といわれる「橘寺」付近までと言われています。(東西約1キロ・南北約2キロ)

古代飛鳥の景観は、「斉明天皇」によって造られたとも言われています。

この「飛鳥」の地において、律令国家としての都市計画(大道などのインフラ等)・戸籍制度(庚午年籍)・納税制度(租・庸・調)・貨幣経済(富本銭)・時計と暦(漏刻)等の諸制度のしくみがつくられました。  「飛鳥」は、「日本最初の国づくり」の始まりの場所でした!

「ブラタモリ」で訪れた場所を、3回に分けて今の様子と共にまとめ、紹介させていただきました。

明日香村には、現在も歴史的な遺産が数多く点在しています。

そんな深い歴史が息づく「飛鳥」で、コロナウイルスの終息した後(一刻も早くコロナウイルスの終息を願うばかりです!!)、のんびりと史跡等を訪ね歩いてみませんか・・・

 ・飛鳥の春風景

                  

コメント