泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

飛鳥の「不思議発見!(その1・2)」(1)

2021年06月16日 15時07分21秒 | 散歩

奈良県の飛鳥地域を散策していると、「これは一体何?」・「どうして、この様な物がここに?」というようなものが見受けられます。とても不思議に思い、そのいくつかを数回に分けて紹介したいと思います。

今回は、飛鳥の「不思議発見!(その1・2)」(1)を紹介したいと思います。

〇「この石は、一体何?」      

         その1                   その2

                 

(その1)

「このお地蔵さんの、右下をよくご覧ください!」

お地蔵さんの右下をよく見ると、小さな馬が彫ってあります。どうして、お地蔵さんに馬が彫ってあるのでしょうか?

このお地蔵さんは、奈良県明日香村橘にある「橘寺」の裏の仏頭山の入り口にあります。「橘寺」は、寺伝によると飛鳥時代に推古天皇の命により厩戸皇子(聖徳太子)が創建された寺院であり、生誕の地でもあると伝えられています。

明日香村大字橘に伝わる昔話によると、厩戸皇子(聖徳太子)がわずか6~7歳のころ、「黒の駒」(地元では黒駒ではなく黒の駒と呼んでいます)を彫ったと伝えられています。厩戸皇子(聖徳太子)は、推古天皇の頃、甲斐の国からの「黒の駒」が献上されて愛馬として大切にされていました。後に、飛鳥と斑鳩を「黒の駒」に乗って通われました。この馬を後世に永く伝えるために残されたのが、仏頭山入り口にある「黒の駒」であると言われています。仏像と一緒に彫られていて、現在は地元では災難や厄除けのお守りとして大切にされているそうです。(「明日香村の大字に伝わるはなし」より)

       

(その2)

「この石、自然の物ではなく、なんとなく加工されたようにも見えませんか?」

この石造物は、奈良県明日香村立部にある「定林寺」跡にあります。「定林寺」は寺伝によると、厩戸皇子(聖徳太子)建立の四十六ヶ寺(または七ヶ寺)の一つとされています。発掘調査によると、飛鳥時代の創建で塔跡をはじめ基壇、礎石等の遺構が残ります。現在は、国の史跡として保存されています。

明日香村大字立部に伝わる昔話によると、この石は地元では「乳母石(うばいし)」と呼ばれています。

厩戸皇子(聖徳太子)が、3歳の頃まで戯れた遊び道具と言われています。また、厩戸皇子(聖徳太子)がこの寺で仏法を広められた時に、愛馬の「黒の駒」を繋いだ石とも言われています。(「明日香村の大字に伝わるはなし」より)

「明日香村の大字に伝わるはなし」は、明日香村文化協会発足40周年記念事業として、明日香村の39の大字に伝わるはなしを聞き取り調査されたものを収録されたものです。

今回の、飛鳥の「不思議発見!」は、二つの石造物に関係した地元に伝わる厩戸皇子(聖徳太子)のはなしとして、紹介させていただきました!

      

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