泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

明日香村にある中世の城郭2「雷城と飛鳥城」

2017年12月14日 18時13分41秒 | 歴史

前回に引き続き、明日香村にある中世の城郭2「雷城と飛鳥城」を紹介したいと思います。

〇「雷丘(いかづちのおか)」は、奈良県明日香村大字雷にある標高110mほどの丘にある城です。「雷丘」は、中世には城が築かれてました。

「雷丘」は、飛鳥時代に「柿本人麿」によって詠まれた「大君は神にしませば天雲の雷の上に廬りせるかも」や、「雄略天皇」の時の「雷神」で有名な丘です。

『日本霊異記』と『日本書紀』に、「雷丘」に関連する伝承が記されています。
「雄略天皇」の時、家臣の小子部栖軽(ちいさこべのすがる)が、天皇に「雷神を捕らえてこい」と命じられます。
栖軽は、豊浦寺と飯岡の間にある丘に落ちていた雷神を連れ帰り天皇に献上するも、天皇は光り輝く雷神に恐れをなし「落ちていた所へかえしてこい」と命じます。この雷神が落ちていた所を「雷岡(雷丘)」と呼んでいます。

この場所は、発掘の結果、多数の円筒埴輪片や石室が発見され古墳があった可能性があります。この時、深さ2m程の中世城郭の堀跡が発掘され、ここに「雷城」があったことが裏付けされました。城は、「雷丘」の中央部に主郭を置き、空堀を隔てて西側に二の曲輪、更に西側に一段下がって曲輪を置き、更に南北両側に一段下がって帯曲輪を伴う縄張りとなっています。西堀切は、幅約7m。東堀切は、幅約3mを測る薬研掘りです。

講師の先生の詳しい説明により、掘割等を見てこの場所が中世の城郭とわかりました。現在、公園と整備されて遺構の改変もあり、なかなかわかりづらい城跡でした。

                    

〇「飛鳥城」は、奈良県明日香村大字飛鳥にあり標高119mの竹藪の小さな丘上にあります。築城時期・築城者とも不明ですが、城主は「大和誌」によれば、飛鳥氏とされていますが不明です。南方に鎮座する、「飛鳥坐神社」との関連も考えられます。城址は、明日香村のほぼ中央に位置し「飛鳥坐神社」の北にあります。現在は、竹林となっている独立丘陵の頂部に主郭、西側と東側に一段低く副郭を設け、主郭の北側は横堀、南側は堀切で防御しています。南側の堀切は西に向かって斜面を竪堀状に下っており、外側には土塁を伴っています。北側の横堀の外側は数段に渡り平場がありますが、どこまでが当時の地形なのかよく分かりません。東側は、破壊が激しく空堀なのか曲輪なのかわかりません。小規模な城ですが、人工的な掘割等の遺構が比較的よく残されています。

「飛鳥城」は、いつも散歩で横を通っていたのですが、まさかこの小さな竹林の丘が中世の城郭とは思いもしませんでした。

小さな明日香村内に、なんと中世の城郭が11位残っているようです。明日香村に住んでいながら、知らないことがいっぱいです。

次回は、「小山城」を散策の予定です。とても楽しみにしています。

明日香村は、飛鳥時代の遺跡が多く残るところですが、今回地元の皆さんと一緒の中世の城郭歴史散策は、とても勉強になりしかも楽しいひと時となりました!

             

 

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