6月30日(土)
この時期にやっているという
多賀城跡「あやめまつり」に行くことにした
まつりは去年、今年と中止になっていたが
あやめはまぶしいくらいに満開になっていた
どうですかぁ このあやめの数
何と 数え切れないほどのあやめに
たくさんの名前がついているんだもんねぇ
そしてあじさいも綺麗じゃないですかぁ
「あやめ園」の隣には多賀城跡があるんよ~ん
何んもないけど なんかお城があったような気がするぅ~
階段を登ると ずっと先に 政庁跡へ続く道があるじゃないですかぁ
そしてここにはこんな古いものが
この多賀城碑は奈良時代の石碑で、724年の多賀城創建と
762年の改修を伝えたもの 日本三大古碑の一つ
国の重要文化財に指定されている
その昔、大和朝廷が蝦夷(えみし)を制圧するために軍事拠点として
多賀城を建てたんだとぉ
余談だが 蝦夷(えみし)とは畿内の大和朝廷が東方・北方の
異族視していた人々に対する呼称
蝦夷を今は「えぞ」と読むが・・・
そして政庁南門へ
どうですかぁ 政庁跡へ続く道と政庁南門階段
何かがここにあったような気がするぅ~
僕は日陰の全くないこの道を歩いて
喉がからっからになってしまった
そして頂上に登ると
何もないじゃないですかぁ しかも奥で何かやってるしぃ
あっ 何かあった・・・
まあ こんな感じだったんでしょう
余談だが 政庁とは政務を取り扱う役所のこと
当時の日本では平城京を中心に 南に大宰府
北に多賀城を置くこととなった
多賀城はここにあった国府・鎮守府や政庁・寺院を守るために
建てられたもの
日本では政庁という言葉が使われるのは限られていて
その一つが大宰府政庁でもある
と言うことは、大和朝廷は国内のほとんどを統一していたんだねぇ
あ~ちっちぃ あ~ちぃ になったのでそろそろ引き上げることにした
帰りは「野田の玉川」を通って帰った
広い通りに出たところに こんな意味深の橋が・・・
そのほとりに「おもわく」と言う美少女がいた
安倍貞任(あべのさだとう)は彼女に思いを寄せ、彼女の家に通うため
ここに橋をかけさせたので、その橋を「安倍の待ち橋」または
「おもわくの橋」と呼ぶようになったそうなぁ
平安の中期に貞任が多賀城に残した恋伝説であった
土佐には「はりまや橋」があるがよ
多賀城にはいろいろと散歩ッポをするところがたくさんある
また 来ようっと!
何か?