走れ、麦公

興味のあることや、その時思ったことなどを書いています

花かんざし

2013-03-24 12:33:55 | 日記
「花かんざし」とは和紙で花をかたどった髪飾りのこと。
古い本にこんな記述があります。

『江戸華道三弦の師家男女門弟の童男童女を携て花見と号し向島其他諸所に往く時、
群童を携ふ故に其群を離れ迷んことを恐て皆必ず花簪(を頭に差て標とす』

「お華や三味線の教室では、お弟子さんやその子供たちを連れて向島などに花見に出かけたが、小さい子供たちが迷子にならないよう、頭に花かんざしを差させて目印にした」
というのですね。

これを読むと女の子はもちろん男の子もみな花のかんざしをつけていたようです。
満開の桜の下、子供たちは花のかんざしを付けて駆け回っていたのでしょう。

日本には小さな子供がたくさん登場する西洋の「妖精伝説」のようなものがありませんが、
きっと、現実にこういう「妖精の国」のような風景があったから、あえてそういう想像をする必要がなかったのかもしれませんね。
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ギターラは冥き口を以て歌う

2013-03-10 07:33:16 | 日記
「鉄道員」という曲に惹かれてギターを持ったことがある。
孤独をテーマにした映画の哀愁のある曲調が、社会に出たばかりで未熟だった自分の心のどこかに響いたのだろう。
持ってはみたものの、結局曲らしい曲も弾けないままに投げ出してしまった。
だいたい運動神経がない自分が、左手で弦を押さえながら右手は別の動きをするという難しい操作ができるはずがなかった。
半年ほどで見切りを付け、物置に放り込んだ。

通勤で使う駅舎の前で、少し前まで、自作の曲らしい歌を歌う若者が何人かいた。
駅頭に立って「何があってもくじけちゃだめだ」と、観光案内の向かいに座って「夢があればかならずかなうよ」と、そういう意味のことを声に出して歌っていた。
時間があるときは足をとめて聞かせてもらっていたが、目はその子たちが抱えているギターに行っていた。
流線形の木の箱は、とっくに手放したといってもやはり懐かしい。昔むかしに置き忘れて来た憧れやささやかな夢を思い出すようだった。

しかし、近頃彼らの姿を見ない。駅は公共の場といえ鉄道会社の私有地だから、そちらの都合でそういう若者たちを追い出してしまったもののようだ。
ギターは自分に〝ザセツ”ということを具体的な経験として教えてくれたが、はて、あの若者たちは今でも、ギターを抱えて歌っているのだろうか。
そうあってほしいと思う、夢をあきらめない歌声をまたどこかで聞きたい。
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