ただの映画好き日記

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おかわいそうに - 東京捕虜収容所の英兵記録 / ルイス・ブッシュ著

2014-06-11 | 本 その他


  おかわいそうに - 東京捕虜収容所の英兵記録

  ルイス・ブッシュ 著  明石洋二訳    文藝春秋新社 / 1956(昭和31)

  

  東京捕虜収容所の英兵だった、ルイス・ブッシュ氏が当時の日本の様子を書き綴ったもの。
  戦時中の記録ながら、親日家だった彼の、日本に対する愛情がひしひしと伝わる記録です。






アンジェリーナ・ジョリーが監督した旧日本軍が描かれている映画の原作に書かれているという、日本軍は生きたままの捕虜の人肉を食べることを習慣としていたのかがどうしても気になり、原作著者と同時期、大森捕虜収容所に居た英海軍将校ルイス・ブッシュさんの回想録『おかわいそうに』を読んでみました。
昭和31年に発表されたもので既に取り扱いがないため古書を探していたところ、ネットに全文アップされているのを見つけ、有り難く読ませて頂きました。
ネットに掲載して頂いた方に、心より感謝致します。


ルイス・ブッシュさんの「あとがき」に書かれていることを、大変、失礼ながら、引用させて頂きたいと思います。

”ジェントルマン・ジム(村岸大尉)”、”ハイデルベルグのヘンリー(林大尉)”、”カーディフ・ジョー(松田通訳)”、徳川義和氏などによって代表される日本人の好意と援助の手がなかったら、何千にものぼる連合国の捕虜は、生きて終戦を迎える事が出来なかったかも知れない。
こうした心の美しい日本人はいくらでも居たのに、今日彼らについての事跡は何も語られていない。忌まわしい憲兵や、”ブラウン”や”ケダモノ”の蛮行の陰に消されてしまっていたからなのだ。
本書の大きな部分は、こうした心の美しい日本の人々についての記事なのだ。あの苦難に満ちた日々、二度とこの地上を訪れる事を願わない悪夢のような時期にこそ結ばれた、強固な友情の物語である。
今日世界は、ブラウンやケダモノを許してやらなければならない。こうした人物は世界のどの国にもいるからである。われわれ人類は、所詮一つの世界に住んでいるのだ。各々の生活様式や考える事は異なるにせよ、ある程度お互いに依存し合わないでは、生存して行けないのだ。この事は国家間にも当てはまる。
お互いに理解し合い、自分の欲する事を他人にも施す、つまり、自由を愛し、自己を主張する権利を認め合い、誰もが愛情に結ばれて生活するようにしようではないか。
私は日本の明るい将来と、国際社会に参加して世界全体の利益に寄与する日本の能力に対して、全幅の信頼を寄せている。日本人には、偉大なるよさ、勤勉さと稟質があるからだ。
日本の行き方や思想傾向は、必ずしも西欧と相容れるものばかりとは限らないかも知れないが、どんな家族にも、その構成員の中には正反対の気質を持ったものがいる事を知るべきである。 (あとがきより)


どうでしょうか、全てを代弁して下さっているように思いませんか?

捕虜施設では、確かに、悪行をなす病的なブラウンと呼ばれていた伍長やケダモノと呼ばれていた人物がいました。
ですが、概ね、というより、上記2名と数名以外はみな親切だったとルイス・ブッシュさんは仰っています。
もちろん、食べるものがなく健康を害する程であっても、日本軍が生きたままの捕虜の人肉を食べたとは一切、書かれていません。

私は捕虜生活と言えば、日本軍がシベリアで受けた悲惨なものをイメージしていました。
シベリアでもさすがに人肉を食べるとは思ってもみませんでしたが、過酷な生活を強いられるのだろうと勝手に思っていました。
ジュネーブ協定で捕虜の扱いに規定があることは知っていましたが、戦争中でありながら、律儀に協定を守っているとは思っていませんでした(シベリアをイメージしていたので)。
ですが、ルイス・ブッシュさんが望む協定通りの対応ではありませんでしたが(食べ物がないのは仕方ない)、私がイメージしていた捕虜とは違っていました。
だから…とは言いませんが、敵も味方も戦地で命を捨てることになってしまった兵士とは明らかに違いがあるなと思ってしまいました。
こう思うのがルイスさん曰くの日本人なのでしょうか…。

残念ながら、病的な将校や兵曹がいたということを知りました。
そして、憲兵隊という悪魔のような組織が日本人を貶める行いをしていたことを知りました。
日本が、日本人が、ボロボロになっていた時、アメリカもイギリスも豊富な食料、嗜好品、衣服などがあり、その現実の大きな差に愕然としました。
ですが、日本本土を焼き払われ、放射能を撒き散らされ、数百万もの日本人の命が失われ、占領下を経験しても、日本は経済的かつ精神的な豊かさと日本人の誇りを取り戻したんだなと思いました。

ルイス・ブッシュさんには、心から感謝したいです。
日本人を理解してくれて、愛してくれて、嬉しいなと素直に思いました。
どうか、一部の病的な人間がしたことが全ての日本人がしていることと誤解して欲しくないと思いました。
過去に戦争をしましたが、でも、今を生きている日本人は真っ当に生きていると思います。
迷惑をかけず、世界に貢献していると思います。


以下、本文より、印象に残った部分を抜粋させて頂きました。
重ね重ね、アップして下さった方に心より感謝致します。



海軍のホイットフィールドという若い志願軍医が、トラックに赤十字の旗をたてて、味方の負傷者を収容に出かけて行った。十人余りが日本軍の伏兵に引っ掛かってなぎ倒されていたのだ。日本側は直ちに射撃を止めて、軍医が負傷者を収容するのにあらゆる便宜をはかってくれた。 (二、歩く弾薬庫)

病院の看護婦に暴行し、病床にある負傷者を銃撃したり銃剣で刺したりするのは、日本帝国陸軍の慣習なのであろうか、という事であった。事実スタンレー要塞の北地区ではその通りの事が行われていたのだ。 日本側の大佐は、もしそのような事実があれば、早速軍規に照らして犯人を逮捕し銃殺に処すであろうと答えた。事実その後その通りの処刑が行われた。 (三、降伏)

豪州軍少佐は鈴木中尉の肩を叩いて、 「お互いに命があって又戦後会うことが出来ましたら、一つシドニーの銀座に御案内して、私の行きつけの酒場でうんと今日のご馳走のお返しをしますよ」 と笑っていた。(三、弾薬庫の英雄)

アバディーンでは鈴木中尉と別れると聞いて、一同ガッカリして残念がった。挨拶に来た中尉をとり巻いて、みながバッジだとか、お守りだとか、シガレットケースなどを、形見として贈りたいと申し出た。中尉はひどく感激していたが、未だお互いに敵味方の間柄なのだから、厚意だけは頂くが贈り物は謝絶すると言った。(三、精鋭浅野部隊去る)

何百人という中国人が中庭に連行されてくる。その多くが銃砲の台尻で撲られたり、水責めにあったりした。これは、窒息するまで鼻の孔から水を注ぎ込むという残忍きわまるもので、こうした見るに耐えない拷問が、次から次へと行われた。中国人の多くは略奪者だった事は事実だが、こうした残忍な取扱いは甚だしく当を失している。われわれの衛兵は憲兵ではなく、栃木連隊の兵隊だった。よい人ばかりで、衛兵としての立場を超えて親切を尽してくれた。いずれも憲兵を嫌悪しており、われわれの前で公然と彼等の事を非難した。(四、ケダモノ)

毎日中国人たちが、何ら裁判らしいものも経ずに、次から次へと港に面した埋立地の刑場に送られていく。そこで墓穴を掘る事を命ぜられ、終ると、憲兵が首を刎ねるのである。こうした悪魔的な残虐行為は、日本人一般が決して許さない事を知っている。日本人は元来親切で寛容な国民だ。日本の歴史は捕虜や弱者に対する任侠の物語を数多く伝えているではないか。 憲兵というのは人間の感情が全然欠如した新しい種類の人間だ、という私の意見に全面的に賛成する事になったのである。(四、血の池地獄の獄卒)

ジフテリヤの大流行を見た事があった。日本側の軍医は、香港には在庫がないと言ってジフテリヤ血清の支給を拒んだ為、多数の収容者が苦しみながら、助かるべき命を失った。流行が絶頂に達したころ、東京から高級軍医が視察に立ちよった。この恐るべき状態を見、血清のない事を知らされて、彼は激怒した。直ちに日本側の軍医が呼ばれ、一時間後には血清が収容所に行き渡った。さしも猛威を振るったジフテリヤも一挙に壊滅した。その後日本側の軍医は左遷されて収容所から姿を消した。 (六、電気足)

捕虜の宣誓については、国際的に認められたパロールという方式がある。絶対に敵対行為はしないという誓約書なのだが、その代り、それに署名することによって行動の自由を許される。一旦パロールに署名した捕虜はその制約を絶対に破る事は出来ない。破れば自国の軍法会議にかけられ、”捕虜として不名誉な行為”があったとして自国の政府によって処罰される。ところが、日本側の強制する誓約書というのは、宣誓だけさせて何らの特権も与えぬ、全く一方的な利益だけを狙ったものだったのだ。(六、秘密受信器狩り)

憲兵隊という組織全体がいかに腐った悪の巣窟であるかという私の意見を思いきり吐露してやった。喜んだのは水兵たちだった。彼らとても、いつも日本の軍人と一般市民に迷惑をかけ通しだった、この憲兵という人種に、限りない憎悪の念を抱いていたのだ。 (十二、八月十五日)

大森でも所長が、B29の乗員には医者の手当を与えてはいけないと命令を出した事があり、藤井軍医が医師道徳の名誉を守るために、上司の命令を一切無視して、秘密に治療してやっていたのだった。藤井軍医が戦争裁判にかけられた時に、こうした人道的行為の証拠が後から後から提出された。彼の努力によってこそ何百という捕虜の命が救われ、その健康状態が保たれた事を私は信じている。 (十二、今は懐かし”竹の橋”)

悪玉以外の日本人職員の為に、われわれは手紙を書いてやるのに忙しかった。これは後から来る占領部隊に見せる為のもので、報復を受けないようにとの心遣いからだった。(十二、雨と降る食料、衣類)

「君らを虐待した奴はどいつだ。ドシドシ言ってくれ!」
「いや、今キャンプにいる連中はみな親切でよい人ばかりだ」
 われわれは急いで説明した。
「悪い奴と言えば、そこにいる収容所長くらいなものだろう」 (十二、大森よさらば)

私はジェントルマン・ジム、藤井軍医、紺野、加藤両軍曹、炊事場係りの親切で男らしい深田伍長(彼は空襲で家を失っていた)その他心の美しい日本の人々と別れの握手を交わした。 「さよなら!」 この人々の努力がなかったら、きょうのこの感激の日をわれわれの何人が生きて迎える事が出来たろうと思うと、あらためて深い感謝の念に心をゆさぶられるのだった。(十二、大森よさらば)



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4 コメント

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Unknown (michiko yusa)
2016-05-16 06:16:54
フランクな、コメントをありがとうございました。私もこの本をアメリカの東洋学のクラスのため、学生の読本の一書に加えました。
michiko yusaさんへ (izumi)
2016-05-18 17:45:16
コメント、ありがとうございました。
また、この記事を読んで下さってありがとうございます。
何処ぞの国が捏造した日本の悪いイメージを払拭し、少しでも真実が広まってくれたら嬉しいです。
おかわいそうに (ポンペン)
2018-04-01 17:13:47
私の父が旧制弘前高等学校の学生時代にルイス・ブッシュ先生の授業を受けていたことを聞いて覚えています。この本も父は購入して蔵書としていました。
ポンペンさんへ (izumi)
2018-04-01 20:53:38
コメントありがとうございます。
お父様、ルイス・ブッシュ先生の授業を受けていらしたんですか!英語の授業以外にも色々なお話をして下さったんですかねー。
本、お持ちなんですね!ぜひとも再販して、多くの人に読んでもらいたいですね。

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