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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」 芭蕉

本日をもって、「奥の細道」を辿る旅も、いよいよ最終日となりました。(^。^)

以下、「俳聖・芭蕉翁」の記事より引用。

「奥の細道」は、元禄2年(1689)3月27日、芭蕉は門人曾良を伴い江戸を発ち、奥羽・北陸の各地をめぐり、8月20日過ぎに大垣へ着くまでの、距離約六百里(約2,400キロ)、日数約150日にも及ぶ長旅です。(^-^)

旅の目的は、歌人能因や西行の足跡を訪ね、歌枕や名所旧跡を探り、古人の詩心に触れようとしました。(^_^)

芭蕉は各地を旅するなかで、永遠に変化しないものごとの本質「不易」と、ひと時も停滞せず変化し続ける「流行」があることを体験し、この両面から俳諧の本質をとらえようとする「不易流行」説を形成していきます。(^。^)

また旅をした土地の俳人たちとの交流は、その後の蕉門形成や、紀行文『おくのほそ道』に大きな影響をもたらします。(^-^)

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

「奥の細道」より、オールラストの一句。

「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」 芭蕉

あまりにも有名な結びの一句。
発句である「草の戸も住替る代ぞ雛の家」と比較して、まず、季節が早春から初秋へと移り変わっています。
5ヶ月間に及ぶ旅路でしたから、その分、季節が進んでいますよね。(^。^)

(解説)
芭蕉との再会を心待ちにしていた門人達は、彼の無事を心から喜び労いました。
しかし、それも束の間。長旅の疲れも癒えぬまま、二見ケ浦へと向かう芭蕉。この句は芭蕉が出発する際の様子を詠んだ句になります。
奥の細道の旅の始まり、江戸を出発する際にも「行く春や鳥啼魚の目は泪」と詠まれており、この二句は対を成すといわれています。

(句意)
離れがたい蛤のふたと身が別れていくように、お別れの時が来た。 私は二見浦へ旅立っていく。 もう秋も過ぎ去ろうとしている。

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

これにて、打止め、千秋楽〜!m(__)m

俳聖・松尾芭蕉の旅路を辿る、祖谷馬関の勝手な妄想ツアーも此処に結びと相成りました。(^-^)

これまで、馬関ブログをご愛読、またご支援を賜りました皆様には、誠にありがとうございました。m(__)m

それでは、祖谷馬関より、返句献上申し上げます。( ^_^)/~~~

 「此処も未だ坂の途中か秋遍路」 祖谷馬関

(注)人生の旅路において、長き道を歩いて来たつもりでも、気がつけば、まだまだ坂の途中。生きてゆくのは苦しいけれども、その先があるからこそ、転んでも、また立ち上がり、懸命に歩くことが出来るのだと思います。(^_^)

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