イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その4

2009年08月22日 21時42分20秒 | 旅行記
それから数日、エイコちゃんと何度かメールをやりとりした。
みんなの近況を教えてもらう(28年ぶりの「近況」というのもヘンだけど)。
男子はけっこう浜田に残っている――清君、カペ君、梅津君、ナットミ、へっか、ゆうすけ君、水野君――名前を見ただけで懐かしい。もちろんみんな、元気にやっているとは思っていた。だけど、エイコちゃんのメールに記された旧友たちの名前見て、ただそれだけで嬉しく、胸が高鳴った。「みんな、生きてたんだ!」繰り返すけど、みんな元気でやっているとは思っていた。だけどやっぱり実際にナマの情報を教えてもらうと、その当たり前といえば当たり前の事実を妙に実感してしまう。「お前、生きてたんだ」と思われてるのは、僕の方だとは思うけど。

エイコちゃんは大阪、マキちゃんは広島、由美ちゃんは鹿児島、紀子ちゃんは京都に住んでいるらしい。みんなの仕事についても教えてくれた。コマッキーは美容師に、浜崎さんは看護婦になっているとのこと。驚きと同時に、そういえば当時から将来そういう職業につくような志向があったんだよなぁと、勝手な解釈をしては妙に感動してしまう。子どもだったみんなが、大人なって立派な職業人になっている。みんな、よう頑張ったなぁ。子どもだったのはお前も同じだろ、という声が聞こえてくるようだけど、僕のなかでは1981年の3月で時間が止まっているから、みんなが当時のままで、ずっと浜田にいるような錯覚をしてしまう部分もあるのだ。逆に、僕は僕でみんなの記憶のなかで十才のまま止まっているのかもしれないけど。

メールをやりとりするうちに、エイコちゃんの文体がだんだん口語体(言文一致)になり、そして浜田弁に近づいてきた。それがまた懐かしい。その後、小学校高学年、中学、高校と、いわゆる思春期を過ごした、その記憶が伝わってくる。僕は当然浜田ではない場所で同じような時代を過ごしたわけなのだけど、そのパラレルワールドのことをちょっとだけ想像できるような気がした。

エイコちゃんからメールが来てから二日後の4月15日、ブログにこんな文章を書いた。

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あの日から、もう28年

一昨日、小学校三、四年のときのクラスメートの方からメールをいただきました。僕は6才のときから10才(小学校の四年生)まで島根県の浜田市に住んでいたのですが、当時、同じクラスに在籍していた方です。僕の転校をきっかけに音信不通になっていたので、なんと28年ぶりです。このブログを見て、僕かもしれないと思って連絡をくださったのです。こんなに時間が経過したのに覚えていてくださったなんて、感動です。ものすごく懐かしく、そして嬉しい気持ちになりました。Tさん、本当にありがとうございます!

当時の友達とはずっと連絡をしていなかったわけですが、どうしてるのかなあ、とよく思い出していました。クラスメートの方のメールによると、いまでも地元にいる人も多いとのこと。30年近く経って再会するとなると緊張もしてしまうと思いますが、ぜひいつか遊びに行って、みんなと会ってみたいと思います。こんなに時が経つのに、仲の良かった友達のことははっきりと覚えています。みんな、本当にいいキャラクターを持っていました。

当時の恩師もまだご健在とのこと。僕が非常に尊敬していた先生です。僕たち家族が浜田市を去る日、駅まで見送りに来てくれ、国語辞書をプレゼントしてくれました。いつまでも忘れられない先生です。友達も駅まで見送りにきてくれました。さらに、汽車が駅を出て、母校の小学校の前を通り過ぎた時、何人かの友達が校庭にいて手を振ってくれていました。僕も汽車の窓から思いきり手を振りました。井上陽水の『少年時代』を聴くと、いつもあの日の光景が浮かんできます。あの日からもう28年も経ったなんて、信じられません。

浜田市はとても自然が豊かなところで、すぐ近くに海と山があり、子供が走り回って遊べるようなスペースもふんだんにありました。当時はまさに野山を駆けまわって毎日たっぷりと遊んでいたような気がします。野球もさんざんやりました。ウルトラ怪獣の消しゴムも集めました。虫もザリガニもたくさん捕まえました。あのころ、毎日くたくたになるまで遊んでいたことが、自分の原点になっているのだと思います。今の自分が、立派な大人になっているのかどうかはともかくとして、子供時代を浜田で過ごすことができた幸運に、あらためて感謝したいです。

きっかけはブログというデジタルな手段ですが、結果として果てしなく懐かしいアナログな記憶の世界が蘇りました。30年前の日々を思い出すと、土と草の匂いがします。過去は決して消え去ることはない。あらためて、多くの人たちとの出会いに恵まれて、生きてきたのだと痛感します。30年近く、僕がみんなのことをよく思い出していたように、僕のことを思い出してくれていた人たちもいた。それだけで、生きててよかったなあと思ってしまいました。あの頃の僕たちがそうだったように、これからも毎日を精一杯、元気に生きていきたいです。
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書きながら、自分にとって浜田で過ごした5年間はとても大きな意味を持っていることにあらためて気づいた。懐かしい友達、忘れがたき師。雄大な大自然。
そしてこうやって今でも僕のことを思い出してくれ、連絡してくれたエイコちゃんたち。清君やカペ君たちとも会いたい。

昔の友達から連絡をもらった。ものすごく嬉しい。ものすごく懐かしい。
でも、それだけで済ませてよい話ではないような気がした。
う~ん、やっぱりこれは、浜田に行くべきだろう。行かなきゃ男じゃない。ふだんはかなり腰の重たい僕だけど、今回ばかりはさすがにそんなことを感じ始めていた。

※写真は、景山先生が汽車の中に入って見送りをしてくれているところです。左は僕の親父。阪急の野球帽をかぶっているのが僕です。

(続く)

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2 コメント

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おっ。なつかしいね。 (ゆみ)
2009-08-23 00:13:22
これからもどんどんコメントいれとくでー。
あたしも転校してたからこの気持ちよくわかる。あたしも、えいこちゃんと紀子ちゃん以外は1980年でとまってるもんなー。ほんとあたしにとっても久しぶりなことだったよ。
ほんでこのタイミング。
ね、今じゃないと重い腰あがらんちゅーの。
いやーほんとにあえてよかったよ・・・毎回これですまんね。

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そうそう (iwashi)
2009-08-23 01:04:33
転校生って自己中心的に考えているから(笑)過去を都合良く凍結させてるんだよね。実際は自分が消えていったほうなのにね。

でもまあ、本当いいタイミングだった。会えてよかったばい。コメントありがと、待ってるよん!
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