雨生山の名の云われ
愛知県新城市中宇利と静岡県浜松市北区三ヶ日町との県境の弓張山地の雨生山(うぶさん)313mの名の云われを紹介
新城市の最南部に雨生山はあります。
この山から東の金山手前とその下に広がるカンラン岩・ハンレイ岩・蛇紋岩地帯の比丘尼の丘・丸山付近は見たとおり痩せたはげ山が続きます。
今回は、雨生山(うぶさん)の名前はいつ付けられたかを紹介
雨生山から比丘尼城址付近の痩せ山が良くわかるでしょうか。
金山は、植林された山、雨生山の西、宇利峠以西も植林された山になっています。
写真からも、この一帯が独特なのがわかります。
今回の紹介するにあたって参考資料は、平成9年3月、新城市教育委員会編集発行の
「新城」文化財案内によります。
本は176ページのB5版のもので、そのP130に紹介されています。
それによると
「昔、光格天皇(1)のころ日照りが続いて困った事があった。いろいろ雨乞いをしたが雨が
降らないので、最後の手段として宇利の雨引き天神の宝物の(2)二つの面を洗って、村中総出で
白山(雨生山の当時の名)頂上に運び、浜名湖に向けて海神に祈ると、一天にわかにかき曇り
大嵐になった。この時、吹いてきた大風に面の一つが舞い上がってしまった。それ以来、村人は
再び面を持ち出すことをしなかった。舞い上がった面は浜名湖宇志海岸まで流れ着き、土地の
人が拾って祭ったのが宇志八幡神社だという。このことがあってから、白山を雨生山(うぶさん)
とよぶようになったという。」
もう一つ云われがあり、
「昔、殿様に子がないので吉祥山に祈って女の子をさずかった。その産湯にこの山のふもとの泉の
水を使ったから。」
面の話は、宇志八幡神社に「父尉、悪尉の面あり。悪尉の面は雨乞の霊験あり。」と紹介されているので
如何にも合っているようです。
産湯の話は、この地方に殿様というほどの武士がいたのでしょうか?
戦国時代なら、この付近の有力武将として野田城の菅沼新八郎定盈でしょうか?
雨が生まれる山から、雨乞いの話が合っているように感じます。
今回は、毎年一年をとおして一番山野草を見に行く雨生山の名の云われを紹介しました。参考に!!
(1)日本の第119代天皇(在位: 1780年1月1日〈安永8年11月25日〉 - 1817年5月7日〈文化14年3月22日〉
(2)父尉、悪尉の面?
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