いわきウーマン・OJONCO館

「旧石川医院」の古民家を住民交流拠点OJONCO館として再生、いわきと首都圏住民協働で新たな街の姿を創造する

歴史はふるさとを知ることから

2018-03-04 | おじょんこキッズクラブ

「上三坂の歴史を知ろう」2018年2月17日 OJONCO館

講師 山名 隆弘(ヤマナ タカヒロ)氏

1、ふるさとを知る

「郷土誌」1912(大正元年)、旧三阪村の4小学校校長によって編さん。

  上三坂尋常小学校長 田子 最仲

  中三坂尋常小学校長 佐藤 福弥

  下三坂尋常小学校長 野木 末吉

  差塩尋常小学校長  草野 金作

     三阪村変遷

1889(明治22)上三坂村、中三坂村、下三坂村、差塩村→磐前郡三阪村

1896(明治29)石城郡三阪村

1955(昭和30)三阪村、沢渡村、永戸村→石城郡三和村

1966(昭和41)5市、4町、5村合併→いわき市  

山 柴山、愛宕山、亀石山、良々堂山

川 三坂川、夏井川、そこにはどんな町が、神社があるか、

気候

凶作 飢饉 自然災害、戦争などにより

動物

昆虫

植物 

自然から、地名から、伝承から先人の暮らしを想像する

今に活かせることはできるだけ伝承していく

 

2、歴史の手がかり

三倉城

三坂越前守

岩城常隆

伊達政宗

三坂の弓

竹貫の弓隊

田子家文書

 

中世、三倉城(さのくらじょう)は、岩城氏家臣・小川越前守が城主となる。

岩城氏は、西の阿武隈高地一帯(現在の川内ー三阪ー古殿ー上遠野)を防波堤に見たて、田村、郡山方面に勢力拡大に乗り出していた。伊達政宗との合戦には、竹貫(古殿)の弓隊が活躍、その良質な竹の産地は上三坂であった。

先日公開された田子家の古文書は国の重要文化財に値する。

3、天の時、地の利、人の和

 この三拍子がそろってこそである。相撲の「天・地・人」

 

子どもから大人まで、歴史が身近に感じられ、楽しいお話でした。

先生は「おじょんこ」を着て講演されました。ありがとうございました。

福島民友新聞(2018年3月4日)に掲載されました。

 

 


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