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沿岸部にあった中心街はほぼ津波で喪失した。
全面嵩上げの工事、かなり高いので土砂の量は半端じゃ無い。
砂浜は人口砂。
山間部にある友人宅は、沿岸部から避難してきた知人たちの避難所となった。
2011年3月12日から2ヶ月間、11人の共同生活を支えたのは井戸水、薪ストーブ、保存食、そして共感。
現在は夫婦で穏やかな日常だが、変わったことと言えば、ご近所さんが増えたこと。
彼らが敷地の一部を提供し、知人たちが家を建てて落ち着いた。
また、南三陸にボランティアで入った女性グループが「パン工房」を立ち上げていた。
パン作りの先生は、気仙沼から通う20代の若者。
充実した訪問となった。
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