waikazuchan のノート

公共交通、福祉を中心に、様々な問題をみる雑学ブログ。千葉県南部の南房総より将来のことも。

月命日の夜に、まさか

2011-11-08 06:16:16 | 管理人プライベート
泊まり込み勤務がおわり、自宅に戻りましたが。

普段あまり、職場のちょっとしたあれこれは書かないことにしていますが、今回は例外として。

昨日は3年前に他界した私の父の月命日。来月が亡くなった命日。
父の恥じることを書きますが、父は生前、アルコール依存症。私と母で何度も地元の保健所に相談に行き、生活上、悩みの一つでした。
私は今でも、お酒を口にしたあとの父の姿は見たくない。しかし、闘病生活から他界したあとは、


父は孤独で苦しんでいた。だから、あのような。


という、私なりに解釈し、父を許している部分があります。


さて、本題になりますが。
職場の泊まり込み勤務中、あきらかに飲酒を繰り返し、会話がうまくつながらない言動の男性が来訪。未明3時から長時間、建物の内外の出入りの繰り返し。
私は生前の父のあの孤独な状態を見てきた経験の中で、なんとか、建物の外にしむけることができるよう、誘導尋問まがいの会話のやりとりをしました。
アルコール依存症とされる方とのやりとりは、会話がかみ合わないのがほとんどです。本人の堪忍袋が切れないよう、相づちをしながら、話をしていきます。つまり、まともな会話求めるのは御法度です。
あとは、言動の中で刺激になるようなことは避けること。こちらの言い分を押し切るような言動は逆効果です。

なんとか、私の経験の範囲内で、この男性を職場の建物から外へ誘導はできました。


アルコール依存と酒酔いは全く異なります。前者が専従的であれば、後者は一時的なものです。

過日、取り上げました香山リカさんの講演があった行事は精神に障害がある方々の交流の集まりです。アルコール依存に関わる方々も足を運ばれます。

人は皆、誰しも悩みがあり、考えて行動します。
よく健常者と障害者という言葉を使いますが、健常者といわれている方々、すべて、健常者と言い切れるか。

アルコール依存と今回は書きましたが、本当はそう分けて考えるのでなく、孤独でつらい気持ちの一人の人物であるという視点だと思います。
それが、私の父の月命日にあるとは、父は私に何か伝えたいのが、それとも、単なる意地悪なのか。
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