おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
さて、「アドラー心理学ブームについて」の6回目です。
トラウマを巡っては3回目です。
今回は、『嫌われる勇気』の中の「トラウマは、存在しない」に関してトラウマの存在の肯定/否定の判断基準を提供します。
このことは、3月15日と20日に行った「『嫌われる勇気』を読み解く」で明らかにしました。
判断基準は、次の3つです。
1.アドラーの「大切なのは、何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」の言葉をどう準用するか?
→そもそも与えられていないものを人が使えるか?
2.同じくアドラーの「自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」の言葉からトラウマをどう解析するか?
→トラウマに相当する経験をしたことを「ない」ものとして決定できるのか?
3.PTSDの歴史的研究者であるアレキサンドラ・アドラーのPTSD研究をどう評価すればいいのか?
私は、『嫌われる勇気』の90数%には賛同しますが、「トラウマは、存在しない」は、編集者のキャッチ―なコピーにすぎないと思うし、岸見さんご自身も勇み足をしてしまったと思います。
アドラー心理学は、独断に対して慎重な心理学です。カウンセリングでの解釈場面でも、“Could it be・・・・?”(もしかして・・・・?、ひょっとして・・・・?)という可能性表現(弱め言葉)が使われ、決めつけを避けます。
解釈はあくまでもカウンセラー側の仮説にしかすぎないのですから。
アドラー心理学を学ぶ際も、伝える際も文脈を忠実に理解し、あくまでも「・・・・の可能性がある」「・・・・かもしれない」と、独断を避け、自分と相手を傷つけないでいただきたいのです。私の切なるご提案です。
◆今までの1~5回目は以下をご参照ください。
3月18日 アドラー心理学ブームについて(1)
3月19日 アドラー心理学ブームについて(2)
3月25日 アドラー心理学ブームについて(3)
3月29日 アドラー心理学ブームについて(4)
3月30日 アドラー心理学ブームについて(5)
<お目休めコーナー> 夜桜
(クリックしてね)
青年は、最後まで抵抗しているのに、一番最後で、分かったような(分からないような)結末になっているような気がしました。
議論(各章)には、数カ月の時間があるんでしょう。だから当然の成り行きなのかもしれません。
でも、これだけ息まいている青年の、最後の納得がそれに至る理解の中身(彼の論理的裏付け)が不十分のような・・・不十分ならそれで良いのですが、理解の容認(青年の負け)が急過ぎる感じがしないでもありません。
青年役の編集担当者の勢いに飲まれたんでしょうかね、岸見先生。そうなってしまう先生の状況にあったのかなぁ・・・
トラウマの事の他の個人的感想です。
確かに最初や途中の押しの強さが最後はあっけなかったですね。
急にお利口さんになってしまった感じです。
まずは、検索の上コメントありがとうございました。
アドラーのトラウマは「 フロイドの言うトラウマ 」という意味だと私も理解しています。
岸見さん自身も『嫌われる勇気』の中で微妙な言い回しをしていますが、本文にも書きましたとおり「トラウマは、存在しない」は、編集者のキャッチ―なコピーになってしまいました。
「トラウマは存在しない」は、アドラー派の共通認識でなく、岸見氏の独断であることをご承知おきください。