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小説「霊南坂の星条旗」 その22 by FUNAYAMA

2007-08-17 12:12:02 | Weblog
ペリー提督の血を引く大使夫人アリスは、脚が不自由だった。
娘時代、欧州航路の客船のデッキで転倒し、左足を痛め、外見からはわからないが、自分ひとりでは靴下のはけない不自由な脚になってしまったのだ。が、アリスにはいささかの暗い影もなく、夫と同じくいつも笑顔を絶やさない心優しい夫人だった。彼女もまたアメリカ上流社会に生まれた者がもつ使命、ノーブレス.オビリージに生きる女性だった。
 耳の不自由な大使と共に、身障者の苦しみを我が身の苦しみと思い、東京聾唖学校の生徒たちを公邸にしばしば招待して、彼らを励ました。
当時の日本の聾唖の子供たちの置かれた境遇は今日ではまったく想像もつかないほど暗く惨めなものだった。聾唖の子供たちが特製のアイスクリームやチョコレート、ケーキなどを振舞われ、嬉々として広々とした庭で誰に気兼ねすることなくはしゃぎ回る姿に、付き添いの先生がハンカチで目頭を抑えている光景を、貞吉は何度見たことだろう。
大使夫妻も、のびのびと遊んだり寛いでいる子供たちを、まるで我が子のように愛しげに見守っているのだ。
 一方、春の謝肉祭カーニバルの季節には公邸に働く日本人職員の子弟たちも招かれるのが恒例だった。手入れの行き届いた芝生の周りの植え込みに、銀紙や金紙で包まれた卵形のチョコレートが隠され、見つければ見つけた者の見つけ得になるという、まったく結構な宝捜しのイベントが用意された。浅ましくも目をぎらぎらさせながら宝捜しに夢中になる銀蝶の息子たちは、貞吉の「節度ある振る舞いをせよ」との厳重注意に、なかば従い、なかば奔放に宝捜しに夢中だった。
背伸びしても手がとどかぬ銀紙の宝ものにうろうろする貞吉の三男坊を、大使はさっとかかえ上げ、取らせてくれたのも懐かしい遠い記憶だ。
大使館の招待側に、のちに参事官になるドューマン書記官がいた。彼は一八九〇年(明治二三年)、大阪で生まれたアルメニア系アメリカ人で、彼の日本語は関西訛りが混ざった歯切れのいいべらんめえ調だった。
貞吉に紹介されたおこうが大阪生まれと知らされ、ドューマンとおこうの間でひとしきり関西訛りの会話が続いた。ビリヤード銀蝶に話が及ぶとドューマンは事のほか喜び、「こんど突きにいきますから」と応じ、言葉どおり時折銀蝶に姿をみせ、「銀蝶さんには外人さんが突きにくる」と、ご近所に評判を呼んだものだ。
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