先住民族関連ニュース

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メキシコ南部の山村で土砂崩れ、行方不明者11人

2010-09-30 | 先住民族関連
(CNNニュース 2010.09.29 Wed posted at: 11:44 JST)
 メキシコ南部オアハカ州の山村、サンタマリア・トラウイトルテペックで28日未明、大規模な土砂崩れが発生した。ルイス知事がCNNに語ったところによると、同日夜の時点で死者は確認されず、11人が行方不明となっている。
同知事は当初、現場周辺からの情報として、家屋約300棟が被災、500~1000人が生き埋めになったと発表していた。
現場へ通じる道路や橋は小規模な土砂崩れなどで寸断されていたが、到達した救援チームから、大惨事には至らなかったとの報告があったという。
この地域では約2週間前から熱帯低気圧などの影響で豪雨が続き、州当局は27日、州内の広い範囲について緊急事態宣言を出していた。過去3日間の雨量は300ミリ近くに上った。29日にかけてさらに雨が続くとみられる。
サンタマリア・トラウイトルテペックは、州都オアハカから約300キロ離れた山村で、住民約8500人は大半が先住民。2000年の調査報告によると、43%の世帯は電力供給がなく、識字率は60%前後、高校教育を受けた住民は10%前後にとどまっていた。
http://www.cnn.co.jp/world/30000358.html

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松前高、仏で文化交流

2010-09-30 | アイヌ民族関連
(2010年9月30日 読売新聞)
町とPTAが費用捻出
 道立松前高校(石塚耕一校長)の生徒2人が30日から10月10日までの日程で、松前町ゆかりの名画「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」が所蔵されているフランス・ブザンソン市などを交流事業で訪れる。交流事業は、道立高校の再編が続く中、「生き残りのためには、学校に独自色が必要」と町からの補助と、PTA、OB会の寄付で事業費を捻出(ねんしゅつ)し、初めて実施される。
 渡仏するのは、3年の堀翔平さん(18)と2年の三浦賢也さん(17)、石塚校長と英語教諭1人。
 同町では、町内の中学卒業者のうち3~4割が函館市など町外の高校に進学し、同校の生徒数は減少傾向にある。「生徒が学校に誇りを持ち、町外の子供も入学したいと思える学校にしたい」(石塚校長)と、同校は今年から地元について学ぶ「松前学」を総合学習の時間に取り入れるなどしている。交流事業も、特色ある学校としてのアピールの一つだ。
 ブザンソン市は、市立美術館に松前藩の画家蠣崎波響がアイヌの族長を描いた「夷酋列像」11点が所蔵されているという縁があり、2人は市内のルイ・パスツール高校で、一緒に授業を受け、日本文化を紹介する。書家・金子鴎亭を生んだ「書の町」をPRする裃袴(かみしもばかま)姿での書道パフォーマンスも行う予定で、連日、練習に励んできた。
 堀さんは「自分たちが成長するだけでなく、町に刺激を与えられたら」、三浦さんは「フランスのいいところを学ぶとともに、日本の良さを伝えたい」と楽しみにしている。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/news/20100930-OYT8T00039.htm

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作家の川嶋さん、白老の名誉町民の生涯描く著書を出版

2010-09-30 | アイヌ民族関連
【室蘭民報 2010年9月29日(水)朝刊】
 アイヌ民族への医療活動に尽力し「コタンのシュバイツアー」と慕われ、白老町第一号の名誉町民となった高橋房次医師(1882~1960年)の生涯を描いた「いのちのしずく“コタンの赤ひげ”高橋房次物語」(148ページ、農山漁村文化協会刊)が、没後50周年記念として出版された。著者のノンフィクション作家、川嶋康男さん(60)=札幌市=がこのほど飴谷長蔵町長に出版を報告、サイン入りの著書を寄贈した。
 3年前、房次を題材にした町民劇「銀杏のそよぎ」の白老上演を契機に、関係者の取材、資料収集を開始した。「子供にとっても身近な存在だった房次さんを次世代に伝えたいと、あえて児童向けにしました」と言う通り、漢字にはルビを振り、平易な表現になっている。
 「白老アイヌコタンへ」「白老の若者たちとともに」「ホロケナシの拓殖医―困った人たちに手を差し伸べる」「ありがとう院長さん」など全9章。室蘭出身の写真家、故掛川源一郎氏がレンズを向けたショットが房次の人となりをしのばせる。
 川嶋さんは「二十数年ノンフィクションを書いてきましたが、その結果が房治を書くことだった」とも。「いのちのしずく」は自身の集大成でもあった。「きょうお墓(竹浦)参りをしてやっと肩の荷が下りました」と飴谷町長に語った。
 「あとがき」で「だれにも愛と信念をもって接した房次のいのちへの思いやりは、いまもわたしたちに自然のなかの人間として差別なく生きることの大切さも語りかけています」とつづっている。
 一冊1380円。問い合わせは農山漁kotann村文化協会北海道支部、電話011・271・1471番。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2010/09/29/20100929m_08.html

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三谷雅純の霊長類学の窓:ヒトは人のはじまり/88 多民族国家のことば事情 /兵庫

2010-09-30 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2010年9月28日 地方版
 ◇子どもに英語を教える?
 ミャンマー(ビルマ)のヤンゴンに住む岩崎さんご一家とは、家族ぐるみのおつき合いです。奥さんのひとみさんは、ヤンゴンで幼稚園の園長をしています。そのひとみさんから子どもに接するようすをうかがうと、ミャンマー語も使うが、なるべく英語を使うようにしているということでした。どうしてだろうと疑問を感じました。ひとみさんの幼稚園は、いわゆる「エリート幼稚園」なのでしょうか? それとも、いまだに植民地時代のイギリスの影響があるのでしょうか?
 日本語でくらしているとつい忘れてしまうのですが、わたしたちの母語(ぼご)は、教科書で習う標準日本語ではありません。たとえばわたしの母語は大阪弁です。わたしは祖母に育てられましたが、祖母は香川県の出身でしたので、わたしの母語は讃岐(さぬき)弁と言うべきかもしれません。しかし、子ども時代、まわりの人が大阪弁を使ったので、わたしも自然と大阪弁をしゃべっていました。

 わたしたちは子ども時代の学習だけでなく、学問の場や専門家の仕事にも標準日本語を使います。たとえば大学で使う物理学の教科書は標準日本語で書かれていますし、医師も標準日本語の医学書を参考にします。日本語ではややこしい概念もなるべく日本語に直し、漢字やカタカナを使って標準日本語で表すようにくふうしたのです。
 ところが、ミャンマーでは事情がことなります。あまりにも多くの民族が住むので、系統の違うことばがたくさんあるからです。それは、たとえば日本語とアイヌ語ほどの違いです。人口の7割はビルマ民族ですが、ミャンマー全体では100以上の民族がいて、ことばがあるのだそうです。これほどさまざまな人がいるのですから、<国語>を決めなければ大切なことが決められません。そこで多数者のビルマ民族の母語であるビルマ語をもとにして、おおやけのミャンマー語が決められました。
 ここで困ったことが起きました。ミャンマー語には漢字がありません。ですから、たとえば日本語で<トラフィック・ジャム(交通渋滞のこと)>と書くように、外来語はビルマ文字で書くしかないのです。ここは英語の出番です。外来語を表す時に使うのが、ミャンマーでは英語なのです。
 似た例は世界中のあちこちにあります。コンゴ共和国の公用語はフランス語とリンガラ語です。正確には、フランスの(=パリなまりの)フランス語をもとにしたアフリカのフランス語です。コンゴ共和国にいた頃、わたしが自由に使えることばは、日本語とアフリカで使われるフランス語でした。長くニューヨークに住んでいた岩崎ひとみさんには、それが日本語と英語(アメリカ語)なのでしょう。その代わり、ミャンマー語はあまりうまくないとおっしゃいます。
http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20100928ddlk28070512000c.html

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