くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「あの日からの被災地の話」その2

2013-02-17 06:04:07 | 〈企画〉
 防災の備えでは、こういう話が出ました。
 必要最低限の物質を、非常時のために保存しておく。例えば、水、トイレットペーパー、ティッシュ、乾電池、懐中電灯など。津波の恐れがないような場所に。懐中電灯は大きいものでなくてよし、発光ダイオードのものだとさらによし。
 学校が避難所になるなら、どこに何があるか把握しておく必要があります。備品(調理器具とか。柔道で使う畳や体育マットも、横になることを考えると重要!)や消耗品。立地をよく見て防災することが大切です。画一的な考えではいざというときに役に立たない。
 震災後、県内の学校に防災計画を整備するように通達されましたが、半数は提示された見本を打ち直しただけ、津波に対する備えが項立てされていない学校もあったとニュースで言っていました。
 だけどね。
 どう考えても内陸部の学校に津波対策はいらないでしょう。そういう自明のことではなく、必要に迫られたときにどう行動するかイメージがあった方がいい。津波にも、浜の状況によって被害は変わるのです。山があるか平地なのか。堤防の高さや海抜。スクールバスがあるなら、一概にすぐ帰宅させる手続きをとるのが最良とは言えません。同様に引き渡し訓練も。学校の方が安全なら、そう判断する。自宅が被災する可能性もあります。
 でも、学校が避難所になったとしても、やがては地域の人たちが自治活動できるようにしてほしいそうです。職員が背負い込んでは、学校再開(教育活動)できない。
 あると便利。車用発電機、はぶらし、お薬手帳など。情報収集はどうするかも大切ですね。情報が入らないと風評被害もありますから、しっかり見分けないと。あ、水が出ないときは除菌スプレーも活躍します。
 まず二週間、なんとか粘る。支援物質がその頃になるときます。その管理も必要ですね。
 もっとたくさんの情報を伝えていただいたのですが、まとめるとなると難しいですね。わたしたちは震災の記憶を忘れてはならないと思っていますが、形として(文字でも)残さないと薄れてしまうものもある。
 避難所は翌年の夏に閉鎖されました。
 しかし、浜の子供たちはこの二年でずいぶんと減ったそうです。街に家を建てて、学校も移った。もう一度ここで暮らせるかと聞かれると、難しいようです。浜はどうなるかわからないから。
 これは、ある意味では地域の崩壊だという言葉が印象に残りました。
 この震災、マグニチュードが大きかったこともあるけれど、やはり津波と原発の問題が特徴的だと思います。そ 

あの日からの被災地の話(講話)

2013-02-16 05:50:23 | 〈企画〉
 被災地での経験談を伺ってきました。牡鹿半島の中学校での避難所についてのお話なんですが、もうあれから二年近く経つのだと思いながら。
 その地域には高い建物といえば中学校しかなくて、次々に人が集まってきたそうです。地震のあと二時間くらいして津波がきたのですが、第一波は五メートルの堤防を軽々と越え、体育館の窓のあたりまで水がやってきた。それ以前、何かあればすぐに保護者に来てもらって子供を一人一人帰すべきだと現場では言われてきました。けれど、そういった状態で家に帰すわけにはいかない。学校の方が高台にあり、ずっと安全なのです。
 小規模校だったため子供たちの把握はしやすく、なんとか二三階は使えるようだ。避難してきた人をグループ分けして、炊き出しを始めることにしました。行事で使った米が残っており、水とガスが使えたために、おにぎりを作って配りました。一人に一個として渡すことで、人数が把握できたのだそうです。およそ百五十人が来ていました。余震は続いていましたが、本震を超える規模はないと知っていたので落ち着いて行動できたそうです。スキーウェアを着て、職員室の椅子で仮眠を取る生活。保健室からは薬品、理科室からろうそく、教室のカーテンを外したり新聞紙を巻いて暖をとったり。
 その中で感じたことは、自助努力をすることは大切だということだそうです。待っていれば誰かがそのうちしてくれる、と思っていても何も変わらない。何か自分たちにできることをしていく必要がある。
 高校生たちは紙を持って走り回り、部屋割りや約束ごとの表示を作る。男子生徒はプールからトイレ用に水をくむ。(次の日には水道が止まった) 女子生徒は校舎の掃除。婦人部の方々が食事の用意や洗濯、動ける人は道路を復旧するように片づけにいく。役割を果たすことで、所属感も出てくるそうです。
 始めはごたごたしていたので、緊急だし、土足で走り回っていたのですが、そうしていると気管支炎が発症する。スリッパをはいて、校舎内は土足禁止にしようという提案が出る。
 管理職や地区長のリーダーシップが問われるお話だと感じました。

「みやぎ地名の旅」太宰幸子

2013-02-15 05:29:57 | 社会科学・教育
 娘のピアノコンクールに来ております。お昼休みに読んだ本、「みやぎ地名の旅」(河北新報出版センター)。震災をめぐって、地名に水害や地滑りに関わるものが残っていたという検証「地名は知っていた」が最近発売されたのですが、わたしは一般的なものが知りたかったのです。宮城県北には珍しい地名が多くて、おそらくアイヌ語起源ではないかと思われるものなど、ちょっと難しい読みをするものがあるのですよ。例えば「十八引(くぐひき)」。「八十一」とか「九十九」とか九九を基準にした読みはよく聞くんですけど、これって足し算?
 あとは岩手なんですけど、「鬼死骸」ってところがあります。吉村達也さんがミステリー小説として発表してましたが、文中では理由は分からないと言ってました。でも、鳴子(宮城県大崎市)には「鬼首(おにこうべ)」があるじゃないですか! ついでに、その鬼を切った剣が、登米市内のお寺にあるって、社会の先生が話してましたよ。
 ただ、この本によると、鉱物資源のある地名には怖いようなものが多いんだそうです。「死人沢」とか……。いわゆるタタラ製鉄に関わる人々を恐れてそのように呼んだのではないかとのこと。地名というのは、二人以上の社会集団の中で自然発生し、伝承されていくものだそうです。その中にいわれが潜んでいるのですね。
 ページをめくると、知っている地名が続々出てきます。「海上連(かいしょうれん)」「姥ヶ懐(うばがふところ)」「泊崎」「小僧」「馬籠」「冠木」「歌津」……。あれ、これって独特の地名だったの? というのもあれば、実家の近くらしいのに、聞いたこともないようなものもある。写真が出ていますが、これだけじゃわかんないですよ。もしかして、これは教え子の家では? という写真もありましたが。
 とくに気になっていたのは、アイヌ語起源のものですね。「猿飛来(さっぴらい)」は、乾く・小石のある・川(サツ・ピ・ナイ)、「女川」は小さな川が成長して大きな川になる(オンナ・ネイ)、「不来内(こずない)」は谷間の川「コツ・ナイ」と、川をもとにしたものが多いみたいです。
 太宰先生は、この地名のもとになるものがある(または過去には存在した)と確信して、滝を探したり湾曲した川をたどったりしてらっしゃるよう。すごいバイタリティです。
 いろんな由来があるのだな、と感心しきりなのですが、後半には合併によって地名をミックスしたものが取り上げられています。高島俊男先生が嘆いていたことを思い出しながら読んでいたら、「浅水」は「浅部」と「水越」が合わさった地名と書いてありました。うわぁ、そうなの? 明治八年の合併ですって。そういえば「浅部玉山」っていう地区があったよ!
 ところで、この浅水、特有の苗字があります。「羽生」さんです。スケートの羽生結弦くんの血統はここだと思うんですが、どうでしょうか。

「歪笑小説」東野圭吾

2013-02-14 05:17:10 | ミステリ・サスペンス・ホラー
 東野圭吾「○笑小説」の第四弾。「歪笑小説」(集英社文庫)。これまでの短編集とは違い、なんと連作短編でした。しかも、灸英社なる出版社の編集者と作家を描いています。玉沢義正には笑ったわー。てっきり架空の人物だと思って読んでいたら、「ミステリ特集」で糸辻竹人なる人物が登場。推理小説の書き方のような本はあてにするなというすごいアドバイスをしてくれます。玉沢氏は日本ミステリ小説協会の理事長として、この、小説の書き方指南の本に賛辞を述べる。
 あぁ、そういえば推理作家協会の理事長、今は東野圭吾だったな……。ん? 前は? 確か……。あっ、「玉沢」って「王沢」、つまり大沢在昌なんですね。そうすると、ゴルフ場で唐傘ザンケ(作家名)を激励したり須和元子を諭したり。
 非常に格好いい役じゃないですか。
 今回はこの唐傘ザンケともう一人熱海圭介という作家がキーマンです。表紙も二人の単行本(文庫?)が撮影され、本の終わりには出版案内もある。これは書き下ろしなんです。全部読んだあとに読むとびっくりしますよ。こんなところに感動ポイントがあるとは思っていませんでした。「引退発表」の寒川先生が、「筆の道」で、唐傘ザンケの「魔境隠密力士土俵入り」と直本賞を争うのです! これで、元子のお父さんも安心のはず!
 どの作品も粒よりにおもしろいのですが、わたしがしみじみしてしまったのは、「序の口」と「文学賞設立」です。大凡(おおよそ)均一という年配の作家さんの味わいがいい。「ミステリ特集」で、ユーモアミステリが書けなかったと奥さんと話しているところもいいんです。
 熱海圭介が出てくると、ドタバタの要素が強くなりますね。「夢の映像化」の木林拓成(キバタク!)が「……ったく。マジかよ。あの主人公は俺しかできないんだよ」って言っているのがすごいおかしい。
 なんだか文芸担当っぽくない編集さんに振り回されたり、辣腕編集長の獅子取さんにアフロヘアを強要されたり、映像化の話がくれば設定を変えられたり(天下一大五郎を思い出しました)。わたしは多分、東野圭吾のギャグの方が好きなんだと思います。しかし、編集さんたちもみんな個性的ですよね。玉沢氏同様にモデルがいるのでしょうか。金潮社や剛談社というネーミングも楽しかった。

「煙とサクランボ」松尾由美

2013-02-13 04:12:27 | ミステリ・サスペンス・ホラー
 最後まできっちりと計算された小説です。松尾由美「煙とサクランボ」(光文社)。
 世の中には成仏できないために、幽霊として暮らす人がいるんだそうです。彼が死んだことを知っている人には、その姿が見えない。でも、幽霊と知らずに付き合っていく人もいる。ただし、何年経っても年をとらないので、不信感を抱かれないとも限らない。
 とあるバーの常連客炭津さんは、交通事故で亡くなって十四年。その間に雑誌社の張り込みの手伝いをしていて知り合った柳井の好意で料金はなし。(もっとも飲食はできません。幽霊だから)
 最近は火曜日にやってくる若い女性晴奈と話し込むことが多いようです。
 ある日、柳井から炭津さんは名探偵だから、謎があるなら話してみてはどうかと言われ、彼女の家で長年謎といわれてきたことを語ります。
 幼少時に火事になった家から、風に飛ばされてきた一枚の写真。そこには見知らぬ女性の姿が。
 どうして火事は起こったのか。この女性は誰なのか。保険会社に勤めていて頻繁に訪ねてきた西島という男。炭津に思いを寄せているような晴奈と、彼女に心を動かされた柳井。幽霊の先輩高田。彼の抱える悩み。
 幽霊を見分けることができるバーテンダー柳井がいい味出しています。炭津さんが幽霊と気づかれないように定期的にグラスを入れ替え、唯一口にできる煙草のためにライターを持ってきてくれる。一般的なライターは幽霊には操作しづらいんですって。
 まんが家としての晴奈が友人に「復讐」するのはどうか。それは、相手の作品を換骨奪胎して新しいものを作り出すことだ、という話や、セールスマンの佐藤和夫の話が、こうつながってくるのか! と驚きです。
 帯のあらすじを読んだときには、バーの客たちが炭津さんに謎を解いてもらうタイプの連作かと思っていました。いやいや、さすがは「スパイク」の松尾さん、気持ちよく騙されました。

「オンナらしさ入門(笑)」小倉千加子

2013-02-12 05:16:00 | 社会科学・教育
 先日、有元先生の本を読んでから、教科書の中のジェンダーが気になってなりません。そうして考えてみると、どうも東京書籍の中三の教科書(今年改訂されたもの)は男子の恋愛をモチーフにしているような気がする。藤村の「初恋」に光太郎の「レモン哀歌」、「いちご同盟」、それから、「風の唄」。女子の恋愛は額田王とか小町しかないんですよ。
 もっとも、文壇で中心になってきたのが男文学だから仕方がないのかな。
 ジェンダーについて考えてみたいと思って、小倉千加子「オンナらしさ入門(笑)」を借りてみました。しかし、「よりみちパン!セ」のシリーズって、なんかいらいらするんです。なんだろう、この感触。文体もいつもの作者のものとは少し乖離しているような気がします。思春期向けだから、わたしのようなおばちゃんには理解できないんですかね。でも、ほかの中高生対象の本はそんなことないんですよ?
 小倉さんのテレビ時評がすごくおもしろかったので、期待しすぎたんでしょうか。
 どうも、この本の中心にあるような女の子らしさから、わたしは随分遠くにあるような気がします。「可愛くなければ女ではない」「お母さんは、自分のお母さんが分かってくれなかったことを、この子は代わりに分かってくれるだろうという期待を、自分では知らぬ間に持ってしまいます」「この子のせいで、自分は素敵なものと出会えるという夢と永遠に分かれなくてはならない」……女の子が生まれたときに、お母さんはそう思うんだそうです。えぇっ? そんなことで悲しくなったことなんてないですよ! 
 その後、子供の名前についての項が続くんですが、願いが名前に表れ、女性の系統の苗字は捨てられてきた(男性血統の苗字が採用されるということです)といいます。
 ジェンダー論の入口っぽくなってきましたね。夫婦別姓問題です。夫の苗字になって、アイデンティティを失ったという人は結構聞きます。あー、でも、わたしは苗字変わってないので(夫とは同じ苗字だった)その気持ちは分からない……。
 学生結婚した同級生が、そのときは何も考えないで夫の苗字を選択したけど、今になってどうかと思うようになったからペンネームを使う(講演などをしているらしい)と言っているそうで、影響されやすい人なんだな、と思いました。
 影響されるのは悪いことではありません。多かれ少なかれ、周囲やメディアによって考えが変わることはあるのですから。
 で。わたしが思ったのは、ジェンダーって苗字問題が取り沙汰されるように思っていたけど、それはほんの一角なんだな、ということです。象徴にすぎない。その奥に潜む自己存在の意義が、真に考えるべきことなのでしょう。小倉さんはそこのところを、「女の子は砂糖菓子」という例のマザーグースを使って説いていく。
 可愛さを求められる女子は、「鏡の中の自分」を意識して生きていくことになる。世間の目であり、自分のモラルの象徴化がしてあるのです。それはなんとなく分かる。世の中で評判は大切だと思います。
 高校生くらいになると、成績と女の子らしさを両立させるのは難しいという項目がありました。そういえば、友人(美人)は難しい方程式が解けることを隠していましたね……。非常に気配り上手な子でした。わたしは女の子としての自覚がたいへん低い高校生だったと思います。ジャニーズに興味なかったし。(世の女の子が彼らに情熱を注ぐのは、「鏡に映った理想のあなた」であり、自分の代理として行動してほしいという願いからだそうです。なんか、BLを書く人もおんなじようなことを言われてますよね)
 「みんなでない本当のあなた」になることを最後に小倉さんはすすめます。他の人にない、自分だけの好きなものを探すように。
 好きなもの。わたしには本がありました。だから、「みんな」からはみ出しても気にならなかったのかしら。
 「風の唄」では、天才ゆえのままならなさも描かれていましたね。東真の嫉妬は男だから(彼氏だから?)なのかもしれない。逆の立場だったら、女子は自分より絵がうまい男子の才能に振り回されて描けなくなるってことはなさそうな気がします。(と、無理矢理教科書のジェンダー的な読みに持ち込んでみる)
 余談なんですが、先日この教材の朗読CDを聞いて仰天。すごい迫真の演技、と思ったら池田昌子さんでした! メーテルだっ。つい聞きほれてしまったのでございます……。
 

「石ノ森章太郎」シュガー佐藤

2013-02-11 23:07:54 | 歴史・地理・伝記
 市立図書館にて息子が選んだ一冊。コミック版世界の伝記「石ノ森章太郎」(ポプラ社)。息子は図書館のテーブルで読み始め、娘はご飯を食べてから開いて、二人とも終わるまで動こうとしないほどです。
 シュガー佐藤は、石ノ森さんのアシスタントとして活躍された方なので、作画もご本人に近く、おもしろく読みました。
 しかし、ですね。わたしは石森の隣町に生まれ、生家の前を通って高校に通学していたものですから、まんがを通して「ちょっと違うぞ」と思うことが多少あったのです。
 まず、彼の生まれた家。現在の記念館の資料を使って描いたのでしょう。左上屋根に差し渡してある看板は記念館ができたあとにつけたものだと思います。この家には、それ以前弟さん一家が生活されていました。郵便ポストに原稿を出しに行く場面もありますが、ポストもこの家の前にあったのです。
 町の名前は「中田」に「なかた」とふってありますが、「なかだ」です。
 ついでに、上京する駅の名前が「石森駅」になっていますけど、汽車は走っていないので「石越駅」から乗ったのではないかな。憶測ですが。記念館で上演している短編映像でも、使われているのは石越駅の描写ですよ。
 こうやって考えてみると、情景を絵にするのは大変なことですね。これまで読んできた実録まんがも、そんな小さな違いがぽつぽつあったのでしょうか。全体の流れからするとたいしたことはないんでしょうけど。そういえば、かつて石ノ森氏の情報番組みたいな映像、川縁を散歩する姿が映っていましたが、どう考えてもその川のあたりには行かないような場所が撮影されていました。
 トキワ荘の物語とか「仮面ライダー」のデザインについてとか、結構何度も読んだんですが、こうやって伝記のスタイルになるのは、また新鮮な感じがします。
 「ひとりの著者により描いた作品数が、世界でもっとも多いまんが家」としてギネスにも紹介されているとか。十二万八千枚、七七〇作にも及ぶそうです。
 手塚治虫に見出された少年が、やがて同じようにまんが家の卵たちに慕われていく。「トキワ荘最後のまんが家」とは少し時代がずれているのが、不思議な感じ。
 石ノ森さんを慕って遊びにくる子供たちが描かれていましたが、実際にその中のお一人にフランスで活躍されている佐藤達さんがいます。石ノ森さん、早く亡くなってしまいましたが、実のところわたしたちの父親世代なんですよね。
 巻末資料に関わりのある特撮のリストが載っているんですが、すごく懐かしい。「透明ドリちゃん」! 「ロボット8ちゃん」! 「レッドビッキーズ」! ……「びっき」が「カエル」の方言だって、当時は全国に流れたんでしたっけ?

「ご近所美術館」森福都

2013-02-10 05:18:24 | ミステリ・サスペンス・ホラー
 あかねぶーが好き。友達になるならこういうタイプだと思います。お姉さんの董子さんがあまりにも美人で、みんなぽーっとなっちゃうけど、自分らしく明るいところや、美術館の企画に熱心なところもいいんです。
 森福都「ご近所美術館」(東京創元社)。もうずっと読みたくて、あのとき買えばよかったかと悔やむこと半年、やっと図書館でお目にかかれました。このカバーと佇まい、魅力的です。森福さんといえば中国古代もの。そのイメージが強かったんですが、現代ものも楽しいですね。こういう美術館が近くにあったら通いたいー。(といっても田舎なので、海老野のいうエンカン自体近くにありません)
 月に三千円の入館料、手軽に飲めるコーヒー、美人館長(董子)と同人誌にまんがを描いている妹(あかね)、ほんわかした常連たちとのやりとり。
 職場が近くにあることから、この美術館の常連になった海老野(「ぼく」)。あかねと親しくなり、董子に一目惚れして、いいところを見せようとするうちに「美術館専属の探偵」扱いされるようになります。この美術館は、「エプロン・ママ」という新聞ヨンコマを描いていた西園寺英子の作品を展示していて、彼女たちはその遠縁にあたる。初めはあかねが館長だったのですが、姉の引きこもりを直すべきだということになったようです。
 董子には結婚間近の恋人がいました。しかし、浮気をされてしまった。同じ会社だったので退職し、美術館の上階にある自室で過ごしていたのだそうです。
 海老野は探偵といいながら、いいところを南田という男にとられがちです。彼は董子が落とした財布を拾って届けてくれたことをきっかけに、付き合いが始まった古美術商の跡取り。海老野はライバル視しています。董子やあかねの推理も入ってきて、掛け合いが楽しい。
 わたしが好きなのは、地方紙を読む男性を探す「ペイパー」、ホームパーティーのデザートがすごくおいしそうな「パレット」、そしてあかねぶーがほんとにかわいい「スケール」です。
 創元社の連作ものって、センスいいですよね。これも続編がよみたい一冊でした。

「生きのびるための犯罪」その2

2013-02-08 20:15:45 | 自然科学
 もともとこの本を読もうと思ったきっかけは、以前ダルクの方の講演を聞いたことがあるからなんですが。親子講演会だったので結構事後の感想が分かれまして、「言葉遣いが汚い」「生の言葉で話してくれた」「薬物は怖い」「そこまでいっても受け止めてくれる場所があるんだ」等々。
 「犯罪(みち)」っていうタイトルがついたのは何故でしょう。過酷な環境の中で生きていくために、気持ちをそらしたり苦しみから逃れようとしてアルコールやリストカットをする人がいる。薬物に依存してしまう人もいる。なんらかの犯罪に結びついてしまうことになる場合がある、ということなのだそうです。
 アルコール依存の治療も、薬物を使わずに生きるためのサポートにも、女性への門戸は開かれにくい。そこで上岡さんはハウスを立ち上げることにするのですが、仲間たちとミーティングして、自分のこれまでのことやつらかったことを話し、共有することを活動の柱にしている。
 それを読んでいろいろ感じたのですが、まず、同じような体験をして、同じように辛い思いをして、自分のために誰かが手を差し伸べてはくれないのかと悩んだ、という内容が圧倒的に多いのです。(前回はその中の学校や勉強についてピックアップしました)
 でもね、ここまでは極端でないかもしれないけど、学校生活(だけではないのでしょう)で誰かから馬鹿にされたり居場所がないと感じているのは、誰しもの心の中にある感情なのではないかな、と思うのです。もちろんわたしの中にもあります。人気があって、いろんなことがうまくいっているあの人だって、そう思っているかもしれない。
 そうではないかもしれませんが、考え方を変えると気持ちは楽になります。今、悩んでいる子には。
 それから、その話し合い方。「長く話さない。みじかく、ひとことずつ」「『いま、ことばにならないけれど、なんだかイヤだ』という感じを大切にする」。ほかにも項目はあるのですが、このへんは国語の授業で扱う話し合い活動とはスタンスを異にするように思います。言語化が叫ばれる昨今。どうなんだろうと考えるに、そうすれば体験はずっと抽象的に、共有しあえる型になるということも大きいのではないかと思いました。
 例えば、同級生からいじめられたとまとめられるとしても、一人一人に起きた事件は差異があるものです。同性か異性か、幼なじみか知り合ってまもなくなのか、方向、きっかけ、場所、手段、事後の対応……。
 そして、気になったのは他人をなかなか信用しないということ。助けてくれようとする人すら信頼できずいることも多く、相手が差し出した手を拒否してしまう人も少ないようです。
 しかし、この本でずいぶん楽な気持ちになりました。あとがきで上岡さんがお友達とドライブしながらこう考えます。「いつしか私たちの悩みの種類は変わっていき、自分のことよりも仲間のことや家族の問題の方に頭を悩ましている、そんな自分たちに気がついた。でもまあやっぱり、悩んでるよねぇ。それにかわりはないけれど」
 わたしも気にかかることがあったのですが、自分が抱える問題って、自分主体というよりも相手があることなんですよね。今を、しっかり踏みしめたいと思います。

「生きのびるための犯罪(みち)」上岡陽江+ダルク女性ハウス

2013-02-07 21:30:09 | 自然科学
 正直に言います。わたしには、この本を、理解できなかった。
 おそらく、上岡さんが後半で書いているような「正しい世の中」がわたしにとってすべての世界だから。
 文中に示される森とか崖とか、そういう場所に生きる人のことを、考えたことがないのです。彼女たちは「住むところ」「家族、実家」「仕事」「お金」「健康」のうち三つ以上をなくした人だと仲間の一人は言うんです。ふたつまではなくしてもなんとかなる。でも、それよりも多いと社会的に救われる術がない。だいたいにおいて、暴力から生き残った人は、もともと家族がいないし健康とはいえない。
 そうなんです。前半の、体験談を読んだときからなんとなく思ったのが、「親のやったことは、子供に返ってくる」のではないか、ということ。凛ちゃんという女性は、親がDVで離婚したあと、母親から執拗に虐待されます。朝まで正座。殴る。「出ていく」とわめく。カードで浪費。進学先をけなされて、願書をぐしゃぐしゃにされる。
 本人は「バカ学校」といっているけど、その後にスチュワーデスの専門学校に進学したり、上場企業に就職が決まったりしているんですよ。しかも、別荘まで持っている。環境をみるとどん底というわけではないんではないか。
 自分の子供と暮らせないという人もあり、それは母親として苦しいだろうなと思うんですが、そこまでいきつけない苦しみの方が大きいんでしょう。
 全体的に、わたしが感じたのは、「混沌としている」ということ。普段本を読んだら、すっきりと整理された筋道が見えるものなんですが、この「生きのびるための犯罪(みち)」(イーストブレス)は、いろんなものがごちゃごちゃと投げ込まれ、攪拌し、あちらこちらばらばらに置かれたような感じを受けました。
 上岡さんは、子供さんが小さい頃、いつも家で寝ていた。郵便ポストが怖くてのぞきにいけない。意を決して郵便をもってきても、仕分けができない。子供の学校の提出書類もノータッチ。担任に向けて遅れたお詫びやいいわけの手紙を書きながら、「親の私を悩ませるような書類を、いたいけな子どもを通して持たせる鬼のような学校に、心底、腹が立つ(思った通りにコトを進められない人間だっているんだよ!)」……。
 調子が戻れば逆恨みだとわかるんだそうですが。
 うーん、学校勤めとしては、納得しかねる。そのほかにも、「たしかに学校の価値観とは合わない」ような意見がミーティングで出てきます。「親が働いていたから、夜も預かってくれる学校(同じような子が集まってゴロゴロできる場所)」「家で困っている人のための『姫クラス』」「金八先生みたいに、その子に合ったケアをしてくれる」
 金八先生って学校の価値観と違うのかって? わたしは苦手です。
 でも、「勉強だけじゃない、もっと楽しいことを教えてほしい」とか「運動や勉強ができなくても『君はいい子だね』とほめてくれる」という言葉には、考えさせられます。
 わたし、学校って勉強をするところだと思っています。楽しく勉強させたい。生きていく力をつけさせたい。勉強が少しでも「楽しいこと」としてランクアップしてほしいのです。
 学校生活、決してほめられないというわけではないと思うんです。相対的に考えるとそうじゃないってことなのかな。
 まとまりません。もう少し考えてみます。