くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「5まで数える」松崎有理

2017-10-18 05:54:15 | ミステリ・サスペンス・ホラー
 今回も、よかったです、松崎さん。
 「5まで数える」(筑摩書店)。SF短編集。
 松崎さんがおっしゃるには、設定を限定した作品を求められることが多いので(随分前に読んだのでかなり意訳になっているかも。求められるのは、「北の街」関連かな)、ノンジャンルの短編集が嬉しいとのこと。
 「たとえわれ命死ぬとも」は、動物実験が禁じられた世界で、実験医たちは自分の体で新薬を試す物語です。
 崇高さを感じました。
 彗星が通過するときに流行する病気のワクチンを作ろうとする医療チーム。弱体化を狙うものの、次々と感染して亡くなっていきます。中核を担う青年医師の大良は、実験のたびに自分は殺人者ではないかと感じるようになる。
 とうとう彼以外のメンバーは亡くなり、大良はある方法を使って実験を続けることにします。
 やり場のないラストでしたが……。
 胸にもやもやとした悔しさが残ると言いましょうか。
 形として残るとか、苦労した結果が活用されるのは大切だなと感じました。

 次々の二作は連作。「やつはアル・クシガイだ」「バスターズ・ライジング」。
 ノーペル賞を二回も受賞した天才ワイズマンと、手品師として名声を得ていた「モヒ族さいごの呪術師」ことホークアイ。そして、プラカードを持って登場するパディ。
 この三人は、国立科学浄化局の疑似科学バスターズです。
 電磁波とか地震予知とか筆跡判定とか、そういう胡散臭いショーをこの三人でばったばったと斬って行くエンタメなんですね。実際見てみたいアイデアです。
 しかし、この二作、配置が不思議なんです。
 時期としては、「やつはアル・クシガイだ」の方が遅い。なにしろ、長年プラカードを持って叫んでいたパディは、どうやら「非業の最期」を遂げたらしい。しかも、ワイズマンとホークアイも、作品後半で死んでしまいます……。
 アル・クシガイ(イメージ的にはゾンビ??)という疑似科学に、バスターズたちは立ち向かえなかったということでしょうか。
 「ライジング」の方は、彼らが結成する直前の様子を描いています。ワイズマンがなぜ疑似科学を憎むのか。ホークアイと超能力をうたったロクスタとの確執は。パディはどういった男だったか。
 秘書のリズの有能さを感じました。
 疑似科学バスターズの活躍をもっと読みたいところです。

 「砂漠」は、凶悪な犯罪少年たちが護送途中で砂漠の真ん中に放り出されるサバイバル小説。
 彼らは全員が手錠でつながれており、一蓮托生の身。麻薬取引、放火魔、冤罪、強姦魔、詐欺師、殺人者の六人(大泥棒は墜落死)が命からがらの逃亡を図ります。
 なんとか生還したい。しかし、収監されたくない。
 冤罪や放火魔の技術と詐欺師の知恵で一夜が明けますが、翌日……。
 途中、とある連続殺人の話題がのぼるところで、展開の予想はつくのですが。
 平行して「ビブリオバトル部」シリーズを読んでいたので、SFとライトノベルの生命観(特に主人公クラス)についての差を感じて納得しました。

 「5まで数える」は、すばらしい。数学の美を感じます。
 わたしは文系ですが、数学はわからないながらも好きなんですよ。
 他の科目では優秀なのに、数学だけどうにもならない少年アキラ。テストのときは抜群の記憶力で丸暗記して答えるのですが、応用はききません。なにしろ、とある原因で5まで数えることもできないのです。
 五年生の担任になったファン先生と、教会に現れる数学者の幽霊「ポールおじさん」の導きで、数を使わない数学を知ります。
 彼のコンプレックスが次第に晴れていくことに、ホッとします。

 最後のショートショート「超耐水性日焼け止め開発の顛末」もおもしろい!