くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「万葉秀歌」斎藤茂吉

2015-09-12 05:13:33 | 詩歌
 岩波新書の創刊第一冊は、茂吉の「万葉秀歌」だったそうです。上下巻。ちょうど万葉集を取り上げる季節なので借りてきました。
 茂吉は柿本人麻呂の研究もしており、率直でおおらかな万葉の趣は、写生道を唱える彼にはいかにもふさわしいと思われます。
 教科書に載っている歌は八首。そのうち半分くらいが茂吉の好みに合ったようです。
 まず、柿本人麻呂(本文中は「人麿」)「あふみのうみ・ゆふなみちどり」。大津宮に遷都した天智天皇の時代を偲ぶ歌です。が、生徒は滋賀に都があったことを知らない。結構衝撃を受けました。
 目次を見ていると、人麻呂は結構この宮趾の荒廃を嘆いた歌が残っているのですね。
 「ささなみの・しがのからさき」「ささなみの・しがのおほわだ」これらの歌意が近いことから、同時期に詠まれたものかもしれないと推察されています。
 
 「しろがねも・くがねもたまも」山上憶良。「瓜食めば」で始まる長歌も、憶良の歌として「第一等」おっしゃる。その反歌。仏教の影響があるそうです。金・銀・瑠璃・瑪瑙などが七宝として仏典に引かれているんだって。

 「うらうらと てれるはるびに」は、家持の「独詠」が際だっていると書かれていました。確かに相聞や雑詠は相手があることが多いですね。わたしは教科書では赤人の「春の野にすみれ摘みにと」を並べてその違いを感じさせるのですが、こちらも載っていました。実のところ、密かに深読みしていたのですが、茂吉はわたしの疑念を解いてくれましたよ。(すみれとは擬人化ではないのか、ということです。「そこまで言わぬほうがよい」だそうです)

 東歌「しなぬじは いまのはりみち」。
 わたしはこれを最初に見たのですが、ちょっとびっくりしました。「信濃道」だから、当然のように「しなのじ」と読んでいたので。でも、他の作品にも、現代なら「の」のところを「ぬ」と読む作品があり(さっきの「春の野に」も「ぬ」でした。二カ所とも)、当時の発音と関係があるのかなーと考えてしまいました。
 小町の「思いつつ寝ればや」も読みは「ぬれば」ですよね。

 ところで、わたしにとって最もインパクトがあったのは人麻呂の旋頭歌です。「愛(うつく)しと吾が念(も)ふ妹(いも)は早も死ねやも生けりとも吾に依るべしと人の言はなくに」。旋頭歌なので下の句から読んでもいいそうです。茂吉の訳「可哀(かあい)くおもう自分のあの女は、いっそのこと死んでしまわないか、死ぬ方がいい。縦(たと)い生きていようとも、自分に靡き寄る見込が無いから」。キョーレツじゃないですか! すごいよ人麻呂!